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CHERRY  作者: のの
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どうせ返事は期待しない。

返事を期待しないのだから、無駄に大声を出しても、それは無駄以外の何物でもなくて、だからおれは、誰にも聞こえないような小さな声で、ただいま、と言った。予想通り返事はなかった。

当たり前だ、気付かないように言ったのだから。

いや、でも考えてみれば、おれの声には気付かなかった。それはいい。けれども、玄関の扉を開く、及び閉める、といった音にも気付かないとは、一体どういうことなのか。

玄関とリビングは、そんなに、というか、ほとんど、離れていないのだ。詳しく説明すると、玄関に立つ。で、前方右手を見ると、リビングの扉がある。といった具合に、玄関とリビングは、近いのである。

にもかかわらず、この時間ならばリビングにいるはずの、母、そして妹は、玄関の扉が開閉する音にも気付かない。

これはまずい。

何がまずいのかというと、たとえば、この家に、泥棒が目を付けたとする。目を付ける、というのは、盗みに入るターゲットとして見る、という意味である。で、泥棒は、この家について、徹底的に調べる。すると、この家のこの時間、玄関の扉が開閉されても、リビングにいる、母、そして妹は、そのことに気付かない、という穴を泥棒は知る。

こうなるとまずい。

何がまずいのかというと、当然、泥棒は、その、この家のこの時間玄関の扉が開閉されてもリビングにいる母そして妹はそのことに気付かない、という穴を突いてくる。よほどバカでない限り。

で、泥棒が家に侵入する。母も妹も気付かない。泥棒が父母の部屋にある、預金通帳、高価な装飾品や時計、父母それぞれのへそくり、などを盗る。母も妹も気付かない。泥棒が家を出る。母も妹も気付かない。

これで泥棒は盗みに成功。

これはまずい。

非常にまずい。

もし父母の部屋から預金通帳、高価な装飾品や時計、父母のへそくり、などが盗まれたとする。

父の収入は少ないわけではない。が、それでもやがて諸々の支払いに追いつかなくなる。生活は苦しくなり、ついにはサラ金に手を出す。借金返済に追われ、生活はますます苦しくなる。もとはといえばてめえが泥棒の侵入を許したせいだろうがこのボケぇ、と父母の関係も最悪なものになる。一家は崩壊、おれと妹は兄妹そろって路頭に迷うことになるのである。

あぁ、そんなことになる前におれがなんとかしなければ。

そうだ。

妹がそんなことを気にするわけがないのは目に見えているが、母、そうだ、おれが母に、今後玄関の開閉する音に敏感になるように警告すれば、あの母のことだ、素直におれの言うことを聞いて、結果、最悪の事態は避けられるだろう。

いやまてよ。

今まで泥棒の被害に遭った時のことを想定したことはなかったが、考えてみればこれまでもそうだったわけで、つまり、父母からは何も聞いていないが、父母が気付いていないだけで、これまでに泥棒の被害に遭ったことが無いとは言い切れないのである。

あぁでもどうしよう。

もし何かを盗まれていて、父母がそれに気付いていないだけだとすると、今この神波家の平和を保っているのは、父母の鈍感力である。

つまり、おれが、母さん泥棒の被害に遭ってはいないのか、などと余計なことを口走り、泥棒の被害が露見し、結果、先程述べた最悪の事態に陥らないとも限らないのである。

どうしよう。困った。 

「おかえり、お兄ちゃん」

「うわっ、……て、なんだ母さんか」

あーもうびっくりした。

「?どうしたの、お兄ちゃん」

だって、いきなり、あーもうびっくりした。

「いや、何にもないよ」

おれが笑ってみせると、母さんもいつものように優しく笑った。

ちなみに言うと、おれは母の兄ではない。なのに母はおれを、お兄ちゃん、と呼ぶ。なぜだろう。いや、別に名前で呼ばれたいとかそういうんじゃなくて、単純になんでだろうって、そう思っただけなんだけど。

「何してるの、早く上がって。ご飯にしよ」

友達のような口調で、母さんはおれを促した。

って、いやいやいやいや。

「それどころじゃないよ母さん!」

言ってしまってから、はっ、と両手で口を押さえた。

「?」

キョトン顔でおれを見る母さん。どうしよう。あー、ええい、言ってしまえ。

「母さんっ、泥棒が来てない!?」

「……は?」

………あれ。

なんかあんまし、なんか、危機感的なのが、伝わっていない?

「は?じゃなくて!母さんの、あるいは父さんの高価な装飾品や時計やへそくりは盗まれていないっ!?」

おれが必死に泥棒の被害について説明しているというのに、母さんはけらけらと笑い出した。

「何言ってるの、お兄ちゃん?そんな盗まれるようなもの、うちにあるわけないでしょ?」

「えぇ?何言ってるんだこの母親!」

「………本人目の前にして、この母親はないでしょうよ」

盗まれるものが無いなんて、いや、そんなはずがない。絶対に。母さんが父さんに内緒で買った高価な装飾品が、または父さんが見栄をはるために買ったロレックスが、必ずあるはずなのだ。

いや、たとえそういったものがないとしても、へそくりぐらいあるだろう。無いわけがない。

「あのね、母さん。これは深刻な問題なんだよ、母さんが思っているよりもずっと。だからね母さん、ちゃんと聞いて。隠さなくてもいいんだよ。大丈夫、父さんには絶対に言わないから。あるんでしょ、へそくり」

「無いってば、そんなの。ほら、お兄ちゃんもお腹すいてるでしょ、ご飯の準備手伝って。あいりちゃんもお腹すかせてお兄ちゃんが帰ってくるの待ってたんだから」

うっ……。

「………わかった」

妹の話を出されると弱いおれなのだった。

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