14
今日は曇りだ。
天気予報では、お日さまを雲が隠しているマークが表示されていたけれど、おれはやはり、この雲の量は、もう曇りだと言ってしまってもいいんじゃないの、と思う。
「最近晴れ続きだったのになぁ」
独り言は、独りでに出てくるから独り言と呼ぶのだろう。気が付けばおれは、さも曇りは嫌だと言うようにつぶやいていた。
別に晴れでも雨でもどっちでもいいんだけど。
しかもおれは、特に空を見るでもなく、黒板に文字を列ねる教師の背中に向かって、最近晴れ続きだったのになぁ、などと呟いてしまったのだから、きっと周囲の人々から見れば、それはもう不可思議な人間に見えたのだろう。目の前の教師は、何だコイツ、という顔でおれを見つめていた。
「どうしたんだ神波?」
数学。
数学は面白い。
数学者は何かに気付くと、いちいちその法則に名前を付ける。
友愛数とか、220と284はもしかすると特に仲が良いわけでもないかもしれないのに、勝手に友愛の情で結びつけて。
「か……神波?」
「別に、ただ、曇りだなぁって」
「あの……今は数学の時間だからな、天気は、今はどうでもいいんだぞ?」
「そうでもないですよ、そろそろ雨が降らないと、水不足でトイレが流れなくなりますから」
「え、でも今お前、曇りを嘆いていなかったか?」
「そうでしたっけ」
「空がどんよりだと心もどんより、というかんじの言いぐさだった気がするが」
「先生結構ロマンチストですね」
「そ……そうか?」
つまんない。
数学なのに、つまんない。
なんでかわからないけど、とにかくつまんない。
早く帰りたい。
早く帰って、あいりに会いたい。
「まだ5限かぁ……」
そして放課後は図書当番。
「………まぁ、か、神波は聞いていないふりをして、しっかり聞いているからな……」
何をだよ。
あ、授業か。
べつに、聞いてないふりしてるつもりはないんだけど。
「……せんせぇ」
「なっ、なんだ神波?」
「お腹痛いんで帰らせてください」
「何!?」
数学教師はオーバーリアクションをして、保健室に行くか?と優しく言った。
だから、帰りたいんだってば。
「チェリー、どうせサボりだろぉ?」
後ろの方から、男子生徒の声が聞こえた。誰だよおれの心を読むヤツは。
そういえばあいりは、いつもおれの心を読むよなぁ。でもだからって何かしてくれるわけでもないんだけど。
きっとあいりのそういうところを、おれは好きになったんだと思う。
おれは欲しいものをもらえずに育ったから、そんな簡単に欲しいものをくれる人を好きにはならないのだろう。
それに対してあいりは、欲しいものを遠慮なく欲しがるし、欲しくないものも欲しがる。
あいりは、
あいりは、欲しいものをすべてもらって育ってきた。
あいりはどうなんだろう。
欲しいものをもらえることに、喜びを感じるのだろうか。
そもそもあいりが言う欲しいは、本当に、欲しい、という意味なのだろうか。
あいりの欲しいものって、何だ?
「あいり……」
おれはあいりが好きだ。
何度も思った。言葉にもした。
けれどあいりがおれに、好き、だなんて言ったことは、一度も無い。
あいりはおれがいないとだめなんだ、と、思っていたのに。
あいりはおれがいなくても、大丈夫なのかなぁ?
あいりはおれのこと、好きじゃないの、かなぁ?
「ど、どうしたんだ神波?あいりって……」
「別にどうもしません、ちょっと、保健室……行ってきます」
そう言い残して、おれは教室を出た。
教師を含む他の人の、心配やら何やらの声は無視して。
おれは、あいりに必要とされていないとしたら、何のために生きればいいのだろう。
おれなんかが死んだって、誰も悲しまないような気さえする。
「……だめだ」
マイナス思考はだめだ。
味方なら吉原がいるじゃないか。
……………。
味方、だよな?
変じゃないと思うって言ってくれたし。
いやでもおれがあいりについてこんなにもいじいじ考えているのは、吉原が、あいりはお前を好きじゃないんじゃないの、という意味の脅しをしたからなのであって、たとえばもしあいりがおれのことを好きであるとして、それで吉原があんな大袈裟に言ってたとしたら、いたずらにおれを脅かしたとしてこれはもう訴えるべきなのではないの?
あぁでもそうしたら何故そんなことをするのかという疑問が生まれるよな。
なんでだろう。
はっ、まさか吉原…………!
「吉原もあいりのことが好きなのかぁぁあぁああぁ!?」
なんということだ!!
吉原は味方だと思っていたのに、油断させておいておれに近付きあいりをおれから奪おうという、そういう魂胆か!?
なんたる非道、なんたる不義、なんたる無法者であろうか、吉原……ええと、下の名前は知らねぇや、吉原めぇ!!
「ちくしょう、あの笑顔に騙されかけたぜ理系の吉原!」
っていうかもう8割騙されてたんだけど。
「吉原はどこだぁ!?」
静かな廊下で叫んだ後、しばらく歩いて思い当たり、おれは降りかけていた階段を再び昇った。
早足で渡り廊下を渡って、着いた先に、
図書室に、吉原はいなかった。
「あ……あれ?」
いると思ったのに。
「あ、そっか」
考えてみれば、今は授業中である。
たしか昨日は吉原もサボっていたのだけど、そういつもいつも吉原がサボるとも限らないし、サボるとしても、おれとぴったりタイミングが合うとも限らない。
「あちゃあ」
ぺちん、とおれは額を叩いて、誰もいない図書室を見回した。
窓が開いている。その窓から校庭を覗くと、体育、サッカー。
「………あれ、いた」
5組対6組らしき試合で、吉原が丁度シュートを決めたところだった。
………うわぁ。
「超かっきー……」
どうして人間というものは、こんなにも不平等に作られているのだろう。
おれなんかシュート決めたことないぞ。
いっつもアシストばっかで、吉原みたいに黄色い声援なんて浴びたことない。
女子生徒たちはアシストの偉大さを解ってはくれないんだなぁ、シュートを決めるヤツにばかり恍惚の視線を送る。
………。
やっぱり攻めの姿勢って大事だよなぁ。
次の体育では頑張ってシュート決めよ。
というか次の体育はサボらずに出よう。
あ。
吉原と目が合った。
黄色い声援を送り続ける女子生徒たちには目もくれず、吉原はおれに向かって、あの綺麗な笑みを見せた。
吉原……一体今までにその笑顔で、何人の少女を……いや、おれも騙されかけたのだ、きっと少女だけではない。それこそ老若男女どころか魑魅魍魎さえも、騙してきたのだろう。
だがしかし格好いい。
まったくもって、この世は不平等である。
吉原に笑顔を返すのはなんとなくためらわれ、おれはずるずるとその場にしゃがみこんだ。
吉原の、何だあいつ、というような表情に、おれの顔は火を噴きそうだった。