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「………」
「………」
「………なぁ」
「はい?」
「えっと……本、借りたいんすけど?」
「あ、はい、それじゃあカードを」
「いやもう出してんだろ」
「あっ、そうですね、ええと、なんだっけ」
「………なぁあんた、大丈夫か?」
そう心配する、おそらく上級生であろうお兄さんを、おれは見上げた。
「大丈夫って?」
「いや……なんか、見てるこっちが不安に……ってちょい待て少年!」
「?」
「あんたは一体何をしようとしているんだ?」
カードを洗おうとしているおれの手首をがしっと掴み、お兄さんはひきつった笑みを見せた。この人は何を恐れているのだろう。
「いや、普通に洗おうと」
「いやいや洗うことはちっとも普通じゃないと俺は思いますが?」
「へ?」
「何故洗う」
「あ」
思い出した。
「そのセリフ吉原も言ってました!」
洗ったら機械が読み取れなくなっちゃってよくないんだ。ええと、じゃあどうするんだっけ、カードを………カードを?洗っ……ちゃダメだし、もうなんでこんなところに水道と洗剤が、まったくもって紛らわしいことこの上ない、で、カードを、ええと、うんと、うぁう?
「おいおい大丈夫かよマジで」
「大丈夫じゃないよ吉原助けて………」
「あー、やっぱいいよ、俺自分でやっから」
「いやいやいやいやこれは図書当番の仕事なのでそんな!」
「いやいいよ!てか俺早くしないとまだ飯食ってねぇんだよ、食いっぱぐれんの!」
「あ、や、でも、まっ、ごめ、ごめんなさいおれがんばるから、もっかいやらしてください!!」
「いやでもあんたわかんないんだろ!?」
「にゃっ、ぅあ、あの、その」
「いーよ、大丈夫だから」
そう言ってお兄さんはおれを無理矢理座らせ、カードをひょいとコンピュータにかざした。
おお、そうだ。あとスタンプを押して、貸出し完了で。
お兄さんが、おれの思った通りに動いたので、おれは満足して、ありがとうございましたぁ、と頭を下げた。
「まぁ……暇なのはわかるけどさ、俺も一応図書委員だったし……とりあえず頑張れよ、少年」
お兄さんはおれの肩をポンと叩いて、本を持って行ってしまった。
「うぅ……また失敗した……」
これで三回目だ。
一回目は借りようとしていた知らない男子生徒を何故か怒らせてしまい、二回目は女子生徒を呆れさせてしまった。だめだなぁおれ。やっぱだめなんだよおれは。
と、おれが段々ネガティブになりかけていると、図書室の入口で固まっている、女子生徒の群れが目に入った。
あれ?
あの人たちって、吉原目当てなんじゃないの?
おれが首をかしげると、女子生徒たちが、きゃあ、と喚いた。
そういえば、おれは、可愛いのである。
吉原は昨日、吉原目当てなんじゃないの、とおれが聞いたら、そうでもないと思う、みたいなことを言っていたけれど、もしかしてそれって、あの女子生徒たちのお目当ては、神波なんじゃねぇの、という意味だったのか?
おれは女子生徒たちに向かって、恐る恐る、小さく、ちぃさぁく、手を振ってみた。
振り返された。
にこ、と笑って振ってみた。
満面の笑顔で振り返された。
にーっ、と笑って振ってみた。
ものすごい笑顔で両手を振られた。
おお。
おおおおおおおおおお。
もしかしておれ、もしかしなくってもおれ、モテてるんじゃないの?
「うひひっ」
あっなんか変な声出ちゃった。
……………いや、だめだ。
だめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだ。
おれにはあいりがいるのだ。
「そぉだよおれにゃあっ、あい……」
………あいり。
あいりは。
「………おれの、妹なんだ」
あいりは、おれの、妹なんだよ。
……………。
やめよう、あいりのことを考えるのは。なんか……暗くなるから。
「あの」
「うおっ!?」
がたたん、とイスが鳴いた。見上げると、入口でたむろっていた女子生徒たちのうちの一人が、カウンター越しにおれを見下ろしていた。
「だ……大丈夫ですかっ!?」
イスからずり落ちたおれに、女子生徒は手を差しのべてくれた。おれは、ありがと、と言いながら彼女の手を取ると、ひゃっ、と彼女は手を引っ込めやがった。おれは当然しりもちをついて、つい彼女を睨んだ。
「ご……ごめんなさい………」
「うー……」
やばい、おれちょっと涙目になってる。
「な、……んの用でございましょうかぁ?」
半ば投げやりにおれが聞くと、おそらく一年生であろう彼女は、本当に申し訳なさそうに言った。
「………えと、本を」
だよねぇ。
「……じゃあ、カードを……」
「返しに来ました」
「あう」
このタイミングで返却ですと!?
返却の手順なんて教えてもらったっけ、あでもなんか聞いた気もするぞ、あでも忘れた。ごめん吉原。ええと。ええと返却は、なんだ、どうすりゃいいんだ、うぐぐ、あっ、洗……いやダメダメ、洗ったら機械が読み取れなくなるのだ。あぶねぇあぶねぇ。
「困っておられるようですね、お兄さん?」
「う?」
背後からかけられた声に、おれが見上げると、にやり、と、望月が不敵に笑った。
「もっ………もちづきぃぃぃ」
「どーうどうどう、大丈夫だからねぇ、あーほらぁ泣かないのっ、うんうん可愛いやつめ」
助っ人の登場に、おれは脱力してその場にしゃがみこんでしまった。
あろうことか、望月が女神に見えてしまったのである。
この時はまだ、おれの頭をなでくりまわす望月を、いい人だと思っていたから。