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【天賦の才】


 深夜の訓練場にて練習用の弓を取る。ゴム矢を足元に、まずは素引きで慣らしをしていると「久しぶりだな」と声が掛かった。懐かしい声は振り返らずとも兵長だと分かった。

「随分のんびりしていたようだが、腕を鈍らせてないだろうな」

「はあ。まあ……たぶん」

「相変わらず気の無い奴だな」

 俺は上司の隣で稽古をこなしていった。明かりの無い半月の下、的に向かって幾本もゴム矢を放つ。

「惜しいな」

 半刻ほど横で稽古に付き合った後、兵長 ――いや、それは当時のことであり今では伍長だ―― に呟かれた。

「お前にもう少し野心があれば、あんな辺境に飛ばされずに済んだろうに。

 今度はちゃんと仕事をしろよ」

「はあ」

「――いらん情けはかけるな」

 逃がしてしまった子ども達の事だと分かった。

 伍長が去った後、俺は的の下に溜まったゴム矢をのろのろと拾い集めてた。

 人より夜目が効き、弓が使えるおかげで中央隊に入れた。


 俺は兵になどなるべきではなかった。


 彼女を抱いた温もりを思い出し、塔に戻りたいと思った。だが、もう戻ることはないのだろう。

「手柄を取る気でいけ」

 伍長の言葉を思い出す。

「お前、そんな調子では今に死ぬぞ」

 前の戦争まではそれでもいいと思っていた。だが今は生きたいと思っている。




【口紅】


 出兵前日に城下町に出た。

 女性が好きなものなど分からない。装飾店を覗きはしたが、ごてごてしたそれらが彼女に似合うとは思えなかった。

 彷徨い歩くうちに雑貨売りの露店で貝殻が合わさったものが目に留まった。

「彼女にどうですか」

 店主の言葉に手に取り開くと、薔薇色の紅が詰まっていた。

 便箋と封筒を買い茶屋に入る。手紙は二通書いた。一通は巻物屋の店主に、もう一通は彼女に。通信局に持っていき紅と共に小箱に入れて託した。

 用事が済んだので宿舎に戻る。支度は既に済んでいた。

 集会が終わり、隊員達と共に飯を食い風呂に浸かる。

 明日の今頃は国境を超えているのだろう。




【方舟】


 もう何日、湯船に浸かっていないだろう。最後にまともな夢を見れたのは、いつだったか。

 十を超えた頃から射抜いた敵兵を数えなくなった。

 敵陣だけでなく街も襲い、略奪をした。母が子を庇おうとして共に崩れる姿も見た。


 会いたい。

 彼女に触れて、抱き締めたい。



 月が分厚い雲に隠れて視界を無くす。敵陣までの道程は夜目の効く少数のみで行う。音を立てぬよう甲冑は革製を着込んだ。

 草むらの合間をぎりぎりの距離まで這うようにして近付く。油壺を出し布巻きした矢をたっぷりと浸し、壺が空になるまで幾本も作る。

 四方に散らばると合図を待った。

 一斉に火矢が飛ぶ。次々と放たれた炎はやがてテントに燃え移り、鐘とラッパがけたたましく鳴り響いた。飛び出てきた敵兵の頭を狙い弓をつがえる。

「おい、そろそろ引くぞ」

 数人射抜いたところで相方に言われた。本陣が奇襲をかけるのが見える。

 頷いて引き揚げだした背後から、固い蹄の音が近付いてきた――――。




 ――震える手で腰を探り、袋から小さな紙包みを取り出す。

 ぽたぽたと落ちる血が中に入らないように気を付けながら、残った指でそっと開く。


 虹色に淡く光るそれは、彼女の鱗であり、そうして蝶の羽でもある。


 見張りが終わり朝になる度俺は蝶の亡骸を拾った。亡骸はやがて虹色の鱗へと変わった。

 あの朝、彼女が残したものと同じだ。

 俺は彼女に会えなくなって初めて、毎夜彼女と共にいたのだと知った。


 ずるずると這い続けるうちに、ようやく小さな川岸に出た。せめて、この鱗を誰にも取られたくない。

 あの川に流そう。そう思ったが、いよいよ力が出なくなり始めていた。

 腕を伸ばしてみても水辺までは届かなかった。

 俺は諦めると鱗を掴み、口に含んだ。干からびた喉をなだめながら何とかその小さな虹を嚥下する。

 どこかの子どもが作り流したのだろう、霞む視界に木の葉の方舟が流れていくのがぼんやりと見えた。

 その可愛らしさに微笑みながら、俺はゆっくと瞼を閉じた。





* * * * *



【水を飲む】



――――――――


 お元気ですか。風邪などひかれていないでしょうか。

 今朝見た夢にあなたがいました。けれど、目覚めるともう何も思い出せませんでした。代わりにあの日の朝焼けを見ようと目を閉じてみましたが、薔薇色に燃えるあの光景が本当に私が見たものなのか、それとも作りあげたものなのか、最近よく分からずにいます。

 出す宛の無い手紙を書くひとときが、今の私の只一つの楽しみです。

 あなたはもう塔に戻ってきているのでしょうか。

 私の事など忘れてしまっているでしょうか。

 鱗を失い掟を破った私は、鎖に繋がれ奥部屋にて細工仕事の日々を送っています。誰も私に話しかけませんが仕方ないことだと思います。

 もうあと1年も経てば私の罪は許されます。今は全て抜かれている鱗が生えてしまえば、会うことはできずともまた目を飛ばすことはできるようになるでしょう。

 塔にいるあなたの姿が見たいです。


 いえ、本当は……もう、それだけは嫌です。

 あなたに会いたい。

 

 会いたいです



―――――――――




 鎖で繋がれてから3年。罰を受けたその日から私は努めて真面目に働き、彼など忘れたように振る舞い続けました。元より私は模範的に仕事をする人魚でしたから、反省した態度が認められ予定より早く戒めは解かれました。

 元の自室に戻り、私は嬉しくて泣きました。

 これでようやく、あなたに会えます。

 鱗が生え揃うまで時間がかかりますから目を飛ばすことはできません。私は勤勉に励み、数か月後、ようやく街まで買い出しに行く権限が与えられました。

 あの人は今でも来ているだろうか。

 忘れられているかもしれない。

 火の曜日の夜、私は昂りと恐怖で震え、眠れずに夜を明かしました。


「あんたが来るのを待っていたよ」

 数年ぶりに開いた巻物屋の扉。店主さんは私の顔を見るなり溜息をつき、そう仰いました。

「預かっていたものがあるんでな。いやあ、ようやく渡せる」

 渡されたのは一通の色あせた手紙と貝殻が合わさった物でした。

 待ちきれず、その場で私は封を解きました。

 手紙にはあの人の文字で、戦争に出ることになったということと、それから戻る事ができたら結婚してほしいという事が書かれていました。

『愛しています』

 手紙はそう締めくくられていました。

 小さな貝を開いてみると、腐った黒い紅が詰まっていました。

 私はその場に崩れて泣きました。


 ああ、やはりあの朝焼けは二人で見るから美しかったのです。


 魔法の水を何本も持ち出し私はその全てを飲み干しました。

 そうしてよろめきながらも自分の足でようやくあの塔まで辿り着きました。

 夜にも目の効くあの人ならすぐに私を見つけてくれたでしょう。ですが誰も出てきてはくれませんでした。

 ぼろぼろと涙を零して倒れながら、私は薔薇色の空を一人で見ました。このままでいれば、いずれ戻るのと同時に私は干からび死んでいくでしょう。

 バン!と扉が開く音がしました。


 ――そうして、そこで私の記憶はおしまいです。




* * * * *



【秋の夜裸足で】


 枯草混じりの草むらを一歩、また一歩と彼女は脚を震わせて歩む。辺りの石は全て先に取っていた。

「一旦休もう」

「いいえ、もう少しだけ」

 滲む汗が月に光り、俺は彼女の手を取りながらゆっくりと共に進む。


 塔から彼女を見付けた時、あれは幻なのだろうと思った。

 もう、幾度となく同じ夢を見ていたからだ。

 けれど消えない幻は、やがて泣き崩れるようにしてゆっくりと倒れていった。俺はうまく動かぬ脚を引きずりあらん限りの速さで降りると、彼女の身体を抱き上げた。



 あの日、俺は確かに死んだ筈だった。

 だが、目覚めると俺は救護テントの中にいた。戦場医師に『生きているのが奇跡だ』と何度も言われた。

 あれだけ幾度も幾度も切りつけられて、何故こうして生き残れたのか。

 医師に行動を答えているうち、

『おそらくそれは人魚の鱗のおかげだ』

 と教えられた。

 人魚の鱗は万病に効く薬であり、鱗屋はそのためにあるのだとも教わった。

 ――彼女が、俺の命を救ってくれたのだ。

 顔も体もたくさんの傷が残り、指も数本失った。脚の付け根も幾分おかしくなってしまった。

 だがそれが何だというのだ。

 彼女に会えその温もりを抱ける事が、今はただ愛おしく嬉しい。



 彼女が小さく咳をした。慌てて抱き上げ戻ろうとすると、

「いいえ」

 と彼女はかぶりを振った。

「あなたと一緒に夜明けを見たい……」

 俺は彼女を後ろから抱き抱えると、どっかりと草むらに座り込んだ。これで少しは温かいだろう。



「全く、泣き止むのを待ってから戻ってきたと話すつもりが、お嬢さんときたらそのまま飛び出しちまうんだから、いやあ~、あの時は焦ったよ!」

 巻物屋の主人にそう言われ、彼女の頬が赤くなった。

 退役の話も出たものの、俺は回復と同時に元の辺境警備を志願してこの地へと戻ってきていた。

 何本も魔法の水を飲みながら、彼女は人間になりたいと強く願っていたらしい。

「稀にいるのだ、このような人魚が」

 水辺にて陸長と呼ばれた老齢の人魚はため息をつきつつそう言った。

「なってしまったものは仕方がない。せめて幸せにおなり、水の子よ」

 彼女は頭を垂れながら涙ぐんでいた。




 この辺境の地は静かである。

 願わくば、いつまでもそうであってほしい。

「――綺麗」

 腕の中で呟かれたのは、おそらく明けの明星のことだろう。

「綺麗だ」

 彼女の耳に呟くと、それからは、二人静かに穏やかな朝焼けを見ていた。




         <しがない辺境警備兵のはなし・おわり>

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