中
【古い時計】
壁掛けの時計が壊れてしまった。まあ、はなからあって無かったようなものだ。俺は夜から明け方にかけて見張りの仕事をすれば良いのだし、相方はその反対なだけなのだから。
だが、それでも一応備品である。時計屋に修理に出すことにした。随分と古ぼけた時計なため修理費が高ければ新品を買うつもりだ。
水の曜日はケリドーン通りの入口で待ち合わせをし、二人で歩く。
気を付けていないとすぐに手と足が同時に出る。
「――素敵ですね」
彼女が言うのが俺が抱える時計の事だと分かるまで、勘違いをして棒立ちになってしまった。
「もう50年ほど現役です。老兵です」
俺の言葉に彼女はクスリと笑ってくれた。
修理費は思っていたより高くついた。これならば新品を買った方が良いだろう。
「老兵さん、引退ですか」
「引き際が肝心というやつです」
「それなら、私がその時計をいただいても良いでしょうか」
「壊れていますよ?」
「いいんです」
彼女があまりに熱心だったため、俺は古い時計を渡した。
【観覧車】
翌週。
「夏祭りにいきませんか」
俺の誘いに彼女は驚いた顔になり、次いでうつむき呟いた。
「私、人魚ですから……」
秘めた想いを抱くうち、些末な事だとすっかり頭から抜けていたが言われてようやく気が付いた。
「し、失礼しました」
口籠った後どう続けて良いのかも分からず、しとしとと雨の降る中二人で黙って歩き続ける。
迂闊だった。
塔に戻り、見張りをしつつ、
「俺は馬鹿だ」
と傍らに止まる蝶に言った。
「はなから分かっていた事じゃないか。そうだ、本気になんてなるもんじゃない」
蝶は羽根を震わせながらゆっくりと光った。
「そうだ……今ならまだ……」
俺は、水の曜日に買い出しに行くのをやめようと思った。
だが、決心は一週が経つうちに脆くも崩れ去ってしまった。
今日も俺はコートを羽織り、雨の中道を下る。
「もう、会えないかと……」
俺を見て、彼女が小さく呟いた。
「いや、例え祭りに行けなくとも」
俺は手を差し出しながら彼女を誘ってみた。
「あれには乗れますよ」
広場には、夏祭り日にむけて小さな人力観覧車が稼働していた。
「素敵、素敵!とっても高いです!」
外を見ながら彼女が興奮して声をあげる。
こんな小さな観覧車でも嬉しそうにしてくれる、その仕草が愛おしい。
「いつか」
もっと彼女を喜ばせてあげたくて、
「いつか、もっと高い所へ連れていってあげますよ」
俺はできもしない約束をした。
【秘密と嘘】
中央から召集令状が出た。俺がいる塔とは反対にある隣国との戦争だという。
「良かったじゃないか。退屈な日々とはおさらばだ」
相方がそう言って笑った。
「いや……俺は……」
口籠っていると、
「オレはお前が羨ましいよ。手柄さえ立てれば、また中央の隊に戻れるからなあ」
相方の片足は膝から下が無かった。
「オレの分まで頑張ってくれよ」
励ましに、俺は力無く頷いた。
俺は元々中央隊にいた。
弓の腕前が良かったのと夜目が効くため戦争では夜の奇襲時に重宝されていた。
失態したのは数年前の小国への侵略戦争時である。俺の見張りの際、闇に紛れて逃げ出す王族の子どもたちを見落としてしまい、そうしてここまで飛ばされた。
俺は手の中で広げた召集状をじっと見た。
代わりの見張りは数日内に来る、と書かれていた。
水の曜日の良い所は、必ず雨である代わりに柔らかで上品な降り方という所だ。
彼女と並んで歩いていても、そのほっそりと美しい声がよく耳に届く。
「今日でしばらくお別れです。中央から呼ばれました」
『しばらく』という言葉を足して告げたのは、彼女に『高い所へ連れていく』と約束をしたからだ。
「いつ頃戻られるのでしょう」
尋ねる彼女の顔は不安げだった。
「俺もよくは知りません」
「あの、もしかして危険なお仕事では……」
心配そうな顔と声に、
「いやあ、子どもの使いのようなものですよ」
と明るく答える。
「では、いずれはお戻りになるのですね」
ほっとした声が聞けた事を、嬉しいと思った。
彼女の思い出に俺が少しでも残ってくれたなら、それで充分だ。
* * * * *
【水を飲む】
水中都市の城内にて私は陸長に呼ばれました。
長は私のように陸に上がり買い出し等を行える人魚達を束ねる方であり、仰ることには必ず従わなくてはなりません。
「お前は目を飛ばし過ぎた」
長の声は厳しいものでした。
「鱗の大半を無くしたためにびっこをひきつつ泳いでおる。おおかた人間に懸想でもしておるのだろう」
黙って項垂れていると、
「今宵から目を飛ばす事を禁じる。陸にも上がってはならん」
と厳しい声で告げられました。
口ごたえは許されないため、私はただそれを受け入れるしかありません。
最後の日まで、せめて夜は共にいたかったのに。
私は自室に戻ると、窓辺に飾っていた硝子の瓶を手に取りました。中には人間の足を擬態できる魔法の水が入っています。今までこれを飲み、私は街に出ていました。
蓋を引き抜き傾けようとしたものの、私にはどうしても中身を捨てることはできませんでした。
(――今夜だけ)
私は決意しました。
今夜だけ、もう一度足を作ろう。
自分の足で、あの人の所まで行ってみよう。
私は瓶を口に付け、中身を全て飲み干したのでした。
* * * * *
【秋の朝に拾った】
俺は、ぼんやりと先程までの出来事を思い返していた。
夢じゃないのかと思った。
いや、おそらくは本当に夢だったのだろう。
彼女は人魚だ。いくら足を擬態したからといってこんな所まで一人で来れる筈がない。
第一、場所を教えたことも無かったのだ。
きっとうたた寝でもしていたのだろう。
塔の上から彼女の姿を発見した時、想うあまりに幻でも見たのかと思った。
駆け下りてよろめく身体を支え、ぎょっとする。
彼女の足は酷くぼろぼろだった。震える足の所々から鱗が飛び出て血が流れ、今にも皮膚が裂けてしまいそうだった。
「何故こんな所まで!?」
「……会いたかったんです」
か細い声は途切れがちだった。
「わざわざこのような事をせずとも!」
咎める口調になった俺に
「ごめんなさい……」
と彼女は呟き、咳き込んだ。
「あなたに伝えたかったから……」
その言葉への予感に胸が震える。
だが彼女の身体を休ませるのが先だ。俺は彼女を抱き抱えると、鉄扉を開き螺旋階段を登っていった。彼女の身体は羽根のように軽かった。
足を使って椅子を繋ぎ合わせ、動く指で毛布を幾重にも重ねてから簡易ベッドを作った。彼女をそこに降ろし、
「ココアでも作ります」
と部屋を出かけて振り返る。
もしかしたら彼女は幻で、目を離した隙に消えてしまうんじゃないだろうか。
「――待っています」
美しく微笑む彼女にぼうっとしばらく見惚れた後、俺は浮足立って階段を駆け降りた。
それから、ココアを抱えて二人でいろんな話をした。
その多くが俺が暇な仕事中に思付いた与太話だったが彼女は始終にこにこしながら聞いてくれ、時折声を立てて笑ってくれた。
「そろそろ帰らなくては」
夜空がうっすらと白み始め、慌てたように彼女が言った。
――帰ってしまう。
俺は勇気を出すことにした。彼女が立とうとするのを止めて、告白する。
「あなたが好きなんです」
たっぷりの間が空いたのち、
「…………私は、人魚ですよ……」
目を落とし、彼女が聞こえないほど小さな声で呟いた。
「人魚でも何でも構わない。愛してるんです」
手を取ると、彼女の小さな指がそっと俺の指に絡んだ。
「本当は……私も……あなたに『好き』と、そう伝えたかったんです」
俺は彼女の手を引き、その身体を抱き締めた。
駆け寄り顔を合わせた瞬間から、互いに想いは分かっていたのだ。
彼女が去り、俺はぼんやりと朝焼けが終わるのを見ていた。
これまでは、もしも彼女が俺を好いてくれたならどんなにか幸せだろうとそればかりを妄想していた。
――だが、その想像は外れだ。
明るく差し込む光に混じり何かが煌めいた。手を伸ばして拾ってみると、それは小さな鱗だった。辺りをよく見てみれば、ぽろぽろと何枚も床に落ちている。
俺はそれらを全てを拾い集めると、交代を呼びに階段を降りて行った。