残ったコーン
ピッと聞き慣れた音を通り過ぎてホームへ向かう。
「やっぱりさむい」
会社から出たときは行けるかと思った。が、だめかもしれない。やれ温暖化だの異常気象だの言われていたのはどこへやら、いきなり冬らしくなってもうマフラーと手袋は手放せない。はずなのに。
「さむいさむいさむい」
痒いような刺さる冷たさが手を覆い、いつもは大好きなはずの白い息もここではなんの役にも立たずじれったささえ感じる。暗いホームにぽつんと、終電間際の時間帯。こんな状況も慣れてしまったけれど。そんなことより今はこの冷たさをどう回避するかだ。
はた、と目に入る光。
***
「すいませーん、お昼行ってきます!」
話し声に怒鳴り声、ひそひそ声と紙の音、機械音などが入り混じる部屋の奥に声をとばす。
返事は、ない。
「…え、」
なんだなんだ、いつも大声で返事をしてくるあの陽気な部長はどこへ行った。
ねえ藤井さん、と同期の事務の顔の前で手をひらひら振ってみる。くるりと椅子を回してパソコンから目を離した彼女の顔を見て驚く。
「ちょ、なに徹夜だったの?」
いつも綺麗な顔はぱんぱんに腫れ、くまができている。しかしどことなく幸せそうな表情。
「、まあね」
少しどもったように返ってきた返事。
「無理しちゃだめよ、」
そんなこと言われなくても彼女はわかっている。お互い苦笑いしたあと話をすり替える。
「あ、で、今日部長どうしたの?返事返ってこなかったからちょっとびっくりしたんだけど」
少し、間があいた。
「…あー、部長ね、なんか取引先の会議だって言ってたけど。今日はまる一日いないみたいよ」
「ふうん」
部長がいないここは初めてかもしれない。ずしんと奥の机で構えて、声が大きいからいつも聞こえていたのに。
「そっかそっか、ありがと。じゃあ私お昼食べてくるね」
「いってらっしゃい」
にこりと笑って、手を振りながら部屋を出る。彼女の顔はよく見えなかった。
…定食屋もラーメンも、行きたいとこが全部満席ってどういうことなの。畜生。いやしかしここの天ぷら美味しいな。つるつるとうどんをすすりながら思う。あー仕事めんどくさい。
「ごちそうさまでしたー」
お金を払って店を出ようとする。
「あ、」
同じように店を出る同僚が見えた。でもさっきとは違い私服。
「藤井さーん!」
彼女もこちらに気づいたようで手を振り、少し高めのヒールを鳴らし駆け寄ってくる。
「藤井さん今日は午前だけなの?」
彼女が口を開くまえに尋ねてみる。
そんなことも気にせずに答える彼女の表情はさっきと同じような雰囲気になった。
「そうなの。」
綺麗に着飾って化粧もバッチリ。どこかにお出かけのようで。
「いいなー、これからデートでも行くの?」茶化すように聞くと、照れたように頬を赤くさせ満面の笑みをこちらに向ける。
「ないしょ」
はい確定。
「楽しんできてくださいな」
笑い混じりに言い、彼女は微笑みながら手をこする。よくみるとその手は真っ赤で。
「…、はい」
持っていた手袋を彼女に差し出すとキョトンとした顔でこちらを見ていた。
「寒そうだし使って?」
え、と言葉を漏らす。
「いや、悪いよ」
「いやいやいや、だって藤井さんマフラーもしてないしこれからデートなら風邪引いちゃダメでしょ」
ね?と言うと少しはにかんで受け取ってくれた。
「ありがとう」
もう彼女は時間がないらしくそのまま別れ、会社に戻った。
***
その光の先には黄色いラベルの缶。
「うわーうわーいつのまにあったい飲み物売ってたの」
これなら、と思い鞄に手を入れ財布を取り出す。
ガタン
しばらくは開けずに握った、じんわりと手が感覚を取り戻す。
「うまー」
久しぶりに飲んだ気がする。なかなか自動販売機を利用しないものでね。美味しくて、温かさがしみて、いつのまにか飲み終わっていた。
でも、
「コーン残ってる…」
このコーンたちは反抗期なの?え?
ぶつぶつと呟く。すると階段のほうから大きな声とヒールの音。お、と思い振り向くとやはり。これは声をかけるべきなのかと少し近寄るがあることに気付く。
腕、組んでる?
は?
え、え、ちょっとまってまってまって
咄嗟に物陰に隠れるも心臓がばくばくいって落ち着かない。確認してみるが、やはりどう見ても向こうにいるのは部長と藤井さん。
ちょっと待て落ち着けどういうことだ。なんで二人が腕組んでんの、えー。ていうか部長…部長あなた既婚者でしょうに…。半ば諦めモードに入りもう一度見る。
彼女は昼に渡した手袋をして、相手を見上げ微笑んでいる。相手も彼女の手を握り笑いながら何かを話している。
握っている缶が冷たい。
もうすぐ電車がくると放送が流れる。
私は物陰から二人を見つめたまま。
二人は私に気付かず抱き合いキスをした。顔を見合わせすごく、凄く幸せそうに笑う。
ああ、これは、
くるっと二人とは反対側にあるゴミ箱にむかう。
かたん、と、残ったコーンは一緒に、今日の記憶と一緒に、ゴミ箱に入れた。