3メガバイト
突然居間の机に一枚の写真があったら、あなたは何を疑いますか。
仮にその写真が誰かの秘密を暴くものだとしたら…。
休日の午前十時を回ったところ、細谷春奈は掃除を始めようと家中をあちこち動き回っていた。そして、一家一同で食を囲む居間の掃除にあたろうとした際、机の上に一枚の写真を見つけた。
それはどこかの書棚を映したものでそこには、歴史書や哲学書など彼女にとって造詣の浅い書籍が並んでいた。
それ以上に不思議に思ったことが、朝食を家族で食べた際にこの写真の存在に気付かなかったことである。つまり、朝食を終えたのち誰かがここに写真を置いたということである。
細谷家は、春奈とその母の明菜、そして春奈の夫である達也、息子の健也と娘の菜月の五人で暮らしている。達也を除く四人で朝食を摂り、そのまま今に至る。子供二人は自室にいるみたいで、お母さんは庭の手入れをしていた。
気になった春奈は家にいる全員を呼び、写真の持ち主を明らかにしようとした。しかしそれが、ある秘密を暴こうとしていたとは知る由もなかった。
「ママどうしたの?何事?」
私と母が先に居間で腰を下ろして待っていた時に、子供二人が面倒くさそうにやってきた。
「ちっ、何か用?今忙しいんだけど…」
「健也はゲームしてただけでしょ」
「ゲームで忙しかったが、何か?」
「こら。二人ともとりあえず座って…、この写真…誰の物?」
「いやぁ…知らない。」
「俺も」
そんなはずはない。この中のうちの誰かがここに写真を置いたことは確実である。ということはこの中で誰かが嘘をついているわけだ。
「ばあちゃんのじゃないの?じいちゃんとのアルバム大切に持ってたよね」
「いや…私は違うよ。茂さんとのアルバムは二人で写っている写真ばかりだからね…」
「そうなんだ」
茂さんはお母さんの夫で私のお父さん。最近咳き込む日が多くて、病院で検査してもらったところ軽度の肺炎だった。今は大事をとって入院している。
「この写真っていつも健也が勉強しに行く図書館の景色にそっくりじゃない?」
「は?知らねえよ。まず図書館で写真なんか撮らねぇって」
この写真はおそらく図書館で撮られた写真である。昨日図書館に寄ったとき、ここと似たような景色を覚えていた。写真の中身には身に覚えがあるが、写真自体は全くの無関係である。それこそ…
俺は写真なんかほとんど撮らない。いつも俺のアルバムにはスクリーンショットが溜まっていくだけ。風景や人、思い出を写真に残したくない。
まず俺は写真に写りたくない。なぜ自分の不貞腐れた顔を改めて見ないといけないのか、写真に対して前向きでない俺に、無理やり写真に入れたいからってすぐに笑顔を作れると思うな。写真なんてただの自己満だろ。スマホを構える自分に酔ってるだけだろ。広大な景色を目の前にしてスマホとにらめっこしている人間をひどく滑稽に思うね。
俺は写真なんか撮らねぇから俺が持ち主な訳ねぇんだよ。
「それなら別に菜月だって、そこで自習してるだろ」
「え?私??」
まぁ確かに学校終わりに自習しに図書館行くけど…、私は無関係かな。
それこそ…
写真なんて自撮りしてなんぼでしょ。私が写らない写真なんか撮る必要ある?写真に写った自分を見たら自己肯定感あがるでしょ。ポーズとか画角考えてる時間が一番楽しい。せっかくの思い出なのに自分を撮らないのはもったいない。友達と写真見せ合いっこして「可愛くない?」って盛り上がりたいでしょ。何のためにスマホ持ってるの?自撮り撮るためでしょ。
私がいない写真とかほとんど持ってないよ。要らないものは消してるし…
だから私が持ち主なんてありえない。
「まず怪しむべきは第一発見者じゃない?実は…みたいなのって物語の鉄板でしょ」
「菜月!私を疑うの?」
「いやだって、私も健也も違うって…。それに…ばあちゃんだって」
確かに私が初めに写真を見つけたのは確か。それにあることを知ってしまったのも確か。でも掃除の最中に見つけたのよ。それこそ…
「あれ?ママの爪、赤くなってない?大丈夫?」
「え?あっ…」
「ケガしたの?」
「健也。医療セットを持ってきて」
「分かった」
「いや、そんな大ごとじゃないから…」
「大ごとでしょ。ママ隠さないで」
「春奈。止血するよ」
右人差し指に赤く滲んだ血色。左手で包み隠そうとする春奈にティッシュを押し当て止血を試みる菜月。拭き取ってみると、そこにひどく清潔な爪が現れた。
「え?」
そう言った菜月はティッシュにしみ込んだ赤を眺める。「血だよね」
「医療セット持ってきたよ。ん?何事?」
「…」
「いやぁ…これはね掃除した時に付いちゃったのかな?」
「その写真の裏赤いぞ?端の白いところ滲んでる」
机のそばで立ち尽くす健也が写真の方へ指さす。菜月が急いで写真を裏返すと、そこには裏白地の右下に血色が見えた。
おそらくある一人を除いて、この一連の筋書きが浮かび上がろうとしている。そこまで行かずとも、あの問いの答えを即答できるだろう。
「いや違うよ。写真見つけた時に持ち上げたの!その時付いただけ」
「そうだとしても何で最初の時に言わなかったの?何を隠してるの?」
「それは…」
一連の母娘喧嘩を眺めていた健也は、疑問に思うことがあった。
いや、明らかに何かを隠したように上塗りされている。
裏に赤色の何かを指でスライドさせたようなカスリが見える。その犯人が恐らく母さんなのだろう。多分その下に書かれているものを隠している。
彼にある仮説が流れた時、冷や汗が止まらなくなった。
先月この付近で暴行窃盗事件が発生した。家の近くの交差点脇で中年の男性が頭部に外傷を負った。手持ちのカバンを盗まれ現金数万円を窃盗された事件。怖いのは事件があった場所の電柱に写真が貼ってあり、その後ろに血を塗ったような跡が見つかったとネット記事で見た。
今俺はとても怖い。思春期以来母親を睨んでいる。あの時の感情とは全くの別物。
別に隠してなどない。凶悪犯の狂気じみた自己主張。
「母さん!離れて!逃げないで…!」
「どうしたの健也!?逃げないよ…」
いきなり立ち上がった健也が私を見つめる。心なしか震えているように見えた。
「母さん、違うよね。あの事件…」
この言葉で彼が私に向けた視線の理由を察した。ただの偶然で息子からそんな目で見られるなんて…。
「春奈。それ血じゃないね」
「え?」
娘孫の緊張感を感じ取り、冷静に姿勢を保ち続けた明菜が口を開いた。
「絵の具ではなくて?掃除のときに出てきたのでしょう」
「健也。そう簡単に家族を不届き者に仕立て上げてはいけません。私たちを信頼していなくて?」
「いや、違うよ。ばあちゃん」
「なになに?どういうこと?」
「菜月はもう少し時事に触れなさい。ここでは無関係なので、今回は何も言わないよ」
「…うん」
するとお母さんがゆっくりと話を始めた。
その写真に写っている書物は茂さんが著したものだという。そしてその書棚は図書館に茂さんが寄贈したものらしい。なので、図書館には珍しい分類がされていなかった。しかし、その書棚は別の場所に移すことになった。
「それってどこなの?」
「今は教えられません。彼との約束ですから」
お父さんは軽度の肺炎だが、年齢も年齢だ。これまで記してきた宝を近くに置きたいのかなと春奈は想像していた。
すると、達也からの着信。
「もしもし?あぁ、うんうん。分かった。伝えておく。」
「この写真。達也さんのものだって」
「なんだぁ。無駄だったじゃん」
「菜月、無駄なんかではありません」
それこそ…
茂さんとの思い出が私のすべてです。アルバムを眺めるだけで、あの日々の記憶がつい昨日のように思い返される。私にとって写真は記憶なのです。まさかこの一枚の写真が、私の生涯を追尾するきっかけになるとは思いませんでした。
「うん」
「ところで母さん、家族写真撮影って再来週だった?」
「え?あぁ…そうね。再来週の土曜日、予定空けてるよね」
「うん。俺は大丈夫」
「せっかく友達と遊ぶ約束してたんだけど…」
「ごめんね、急な予定で…」
「いいよ。おじいちゃん、来週退院だしね。久しぶりに会えるから」
たった三メガバイトの一葉から、容量の測れない日常を重ねる。
人間の想像する以上に、写真には滋味あふれた魅力が隠されているのかもしれない。




