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私だけが愛して1度も笑ったことの無い夫が、死んだはずの息子を連れてもどってきてくれた

作者: まつめ
掲載日:2026/03/12

「父上の様子はどう?」

 アルヴィンは心配そうに私の瞳を覗き込んで、そう私に聞いた。


 窓からの光が彼の瞳を輝かせ、透き通った栗色の瞳は父と息子で全く同じ色、けれど夫が1度も私に見せたことのない柔らかい微笑みをアルヴィンは同じ瞳の色で見せてくれた。


「そうね、穏やかな顔をしているわ、痛みはない様子で安心しています」

 夫は戦地から私の元に帰って来てくれた。

 大怪我を負い、瀕死の状態を治癒魔法でなんとか繋ぎ止めている。けれど望みは薄い……

 

 彼の生命は魔法という自然の理を曲げた力で、細い糸一本でかろうじてこの世に留め置かれている。水も飲めないほどに衰弱している彼の体力は削げ落ちていき、やがて魔法を受けることができなくなり、この糸も切れる……

 治療師の言葉によればあと数日のうちに……


 夫は逝ってしまう……


 けれど、彼は帰って来てくれたのだ、もう助からないと諦めた息子を連れて、私の元に二人で帰って来てくれた。


 夫は氷のような冷たさをいつも纏って、家庭でも戦地にいるような緊張感を消さない人だった。

 穏やかに微笑みあって言葉を交わしたことは1度も無い、それでも国を守るあの人の支えになりたいと自分なりに、精いっぱいの想いを伝えてきた。彼に同じ言葉を返してもらったことはないけれど、愛していますと、必ず帰ってきてくださいと、私は数えきれない程に言葉を贈り続けた。


 夫は魔法騎士団の団長を務める、国随一の魔法剣士だった。

 国で魔法が使える人間は極わずか、その中でも優秀な者達を幼い頃から地獄のような鍛錬で鍛え上げ、国の鉄壁としてつくり上げられる魔法騎士団、その鉄でできた殺人機械のような騎士達を統率する騎士団長を務めてきた人だ、私は夫の人間らしい顔を出会った日から一度も見たことが無い。


 長く続く隣国との戦争は激化し、初陣で従軍している22歳の息子の部隊が前線に立っているとの知らせを受けたとき、私はひたすらに祈るしかできなかった。

 私はどうか息子を守ってくださいと祈った。

 神では無く、夫に……この国で最も強い男と称される彼に願いを送り続けた。

 そして、その祈りは夫に届き、彼は壊滅したとされる息子の部隊から、あの子を連れて戻ってくれたのだ、死にかけの体で、もう魔法の力が無ければ今にも消えてしまう体で、それでも私の元に……


 頬から涙がこぼれ落ちるのを知っている、けれどそれをぬぐわずに、私は明るい声でアルヴィンに話しかけた。

「せっかく帰ってこれたのだもの、これから好きなことをたくさんしなければ駄目よアルヴィン。あなたの父上が救ってくれた命なのだから。ねえ、何がしたいか教えて」


 アルヴィンは目をきょろきょろさせて、思いを巡らせているようだった。もうすっかり大人であるのに、なんだか幼子のようで可愛らしい顔だった。

「そりゃあ、決まっているさ。婚約者のクリスティナに会いに行く、それ以外にしたい事なんてない」


 得意げな顔のアルヴィンに私は、少し意地悪く聞き返した。

「まあ、それは驚きだわ。おまえはクリスティナ嬢にちっとも愛想が良くないでしょう? 彼女を気に入っているなんて母は知らなかったわ」


「僕の愛想が良くない? そうかな、いつも全身全霊をかけて集中しているんだ、彼女をけして傷つけたくないからね。僕はこんな厳つい体と顔だろう? だから彼女を怖がらせたくないんだ、なるべく近くに立たないようにしているんだよ」


「まあ、そうだったの? てっきり彼女に興味が無いのかと思ってた」

 まさか! と彼は息をのんだ。


「分かるかい? 彼女がどんなに眩しいか! 見つめるだけで心が満たされる存在がこの世にあるんだよ。それなのに、彼女は僕を見上げて「大好き」って、あの宝石のような青い瞳が僕だけを見て……」

 アルヴィンは込み上げる喜びが苦しいのか、吐息をついて目を閉じた。


「可愛い、たまらない、愛おしすぎる。どうして彼女はあんな子リスのように小さいのか…… 僕が触れたら壊れてしまうとずっと怖かった。でも抱きつかれて、もうどうにも我慢できなくて抱きしめた時…… 柔らかくて、甘い香りがして、僕は溶けてしまったんだ…… 不可能だ、あれほどの幸福に抗うなんて、抱いて、抱いて、分かるかい? すぐに壊れてしまう脆い宝ものだと思っていた彼女が、抱きしめても壊れないと知った時の最高の気持ちが! 彼女はこれから僕の妻になるんだ」


 うっとりと微笑むアルヴィンの顔はこのうえなく幸せそうで、私はふふっと笑ってしまった。

「それならちゃんと、クリスティナ嬢に愛していますと伝えなくては。黙っていても分かってもらえるなんて思っては駄目よ。言葉にしなければ、心に思っていることは相手には分からないのだから」


 それは、わかっているんだ……とアルヴィンは困ったように目を伏せた。

「母上はいつも僕に言うよね、言葉にしなければだめよって。僕も母上に賛成だ。だから、僕はなかなか頑張っているだろう? クリスティナをどうすれば大切にできるかいつも考えているんだ」


「そうね、あなたは私の自慢の息子だわ。女性の気持ちをちゃんと思いやれる優しい息子に育って嬉しい、あなたの父上は、本当に無口で物を食べるのと、部下に命令する以外に口を使わないのかと思うほどだわ、あなたからも言ってやって、もう少し母上に優しい言葉をかけてやってと」


「そんなことはないよ、父上はいつも母上に優しい言葉をかけているよ」

「まあ、私は1度も聞いたことが無いわ。たとえばどんなこと?」


「夫の留守を侯爵夫人としてよく務めてくれている。なによりも息子を本当に良い子に育ててくれた。心から感謝している。とか…… 出会ったときから変わらず美しくて、見つめるのが苦しいほどだ。とか……」


「あの人が? なんだか別人のようね、信じがたい……」


「それは、僕も分るよ。父上は話すのが苦手だからね。だから態度で示すようにしていたようだよ、その母上のお気に入りの首飾り、それも父上が長い時間をかけて選んだものだよ。それから庭のミモザの木も、母上が好きだから、遠くから取り寄せてたくさん植えさせた。冷え性の母上のために屋敷も改築して最新式の暖炉を入れたし」


 知らなかった。どれも使用人が私のつぶやきを拾って、奥様このようになさってはと彼らが準備を整えてくれたのだと思っていた。まさか夫が私のためにしていたなんて……


「そらから何よりも気を配ったのは……社交界で母上が嫌な思いをしないように、各所手をまわした。戦地に行ったきりほとんど帰れない父上は、それでもできる限りを尽くして母上の身を護る最善策を常に実行してた。母上を守るためなら、少々汚い手も使って、政敵をつぶしてきた」

「え、そうなの? 戦地に行ったら、私のことなんて思い出しもしないと」


 アルヴィンが目を見開いて私以上に驚いた顔をした。

「クリスティナを想うことだけが、僕を人間としてこの世に留めてくれる。彼女以外に想うことなどある? それが世界の全てで、それを守るためだけに僕はこの世に存在しているんだ。父上だってきっと同じだったと思うよ」


 結婚してからの23年間、夫は戦地にいた年月の方が長い。

 終わらない戦争の合間に帰って来ても、常に気を張り詰めて鍛錬しているか、王城で激務をこなすだけ。夫婦の時間なんてあっただろうか、家にいても、彼が口にするのは必要最低限の侯爵家の運営についてだけだ。


 それでも、僅かな夜の逢瀬の度に、彼は激しく私を抱いた。

 戦場での昂ぶりを解消するためにそうしているのだと思っていた。

 愛なんて、あの氷のような表情の向こうには、どんなに探しても小さな欠片すら見つけられなかった。

 触れる手は優しかったから、それだけがいつも私を切なくさせた。


 それでも私はかまわなかったの。あなたの側にいられるのなら……

 初めて身をゆだねた人だったから。


 夫と結婚する前、私には家同士が取り決めた婚約者がいた。

 ある晩のパーティーで私は婚約者の足を思い切り踏んでしまった。それは何十回と繰り返されたことだった。ダンスの度に私はパートナーの足を踏み、体制を崩し、ひどい時は二人でもつれて倒れることもあった。全て私のダンスが壊滅的に下手なせいだった。


 あの晩、婚約者はとうとう怒りを爆発させて、私を公衆の面前でなじった。ダンスのことだけでなく、私がいかに愚鈍で、不美人であるか、最悪の婚約をさせられていると喚き私を責めたてた。


「私と踊っていただけませんか?」

 聞いたことがないほどの低い男性の声、振り返ると魔法騎士団長の見上げるほどの大きな体がある。暗い茶色の瞳は無表情のまま、私の前に手が差し伸べられていた。


 ダンスとは、殿方に完全に身を預けること。そうしないとそもそもダンスは踊れないのだと初めて知った。


 腰に添えられた大きな手が私を独楽の軸の様にして、どんなに動いても体が振り回されない。もう一方の握られた手が、進むべき方向を教えてくれる。

 リズムだけを聞いて、彼の体が示す先に体重を移動させるだけ、それだけなのに、回る、回る、身を反らしても大丈夫、だって彼の手が絶対に支えてくれる。


 羽になる、ふわりと宙に浮く。

 弾けるように、もっと速く、軽やかに、回る、回る、大丈夫、この人となら永遠に踊っていられる。


「あの方は結婚なさらないの?」


 私を颯爽と救ってくれた氷の魔法騎士団長は、1度だけダンスを踊るともう私の前に現れることはなかった。けれど私が父に問うたその一言は巡り巡って王の耳に届いた。

 殺人機械をまとめ上げる、国で最も強い氷の男、彼は長らく心を待たぬと思われていた。その男が自ら踊った、ただ一人の娘。彼女が望むのであれば都合が良いと、あっという間に彼との結婚が決まった。


 王が決めた婚姻に彼が逆らえるはずもない。

 氷の瞳は出会ったあの瞬間から一度も微笑まなかったけれど、私は愛していたの。

 だから、言葉にして、溢れるほどの気持ちを、くり返しくり返し告白した。あなたが触れてくれなくても、自らその大木のような大きな硬い体に抱きついた。返事がなくてもたくさんお喋りして、手を引っ張って散歩した。大好きなミモザの花を一緒に見られたのは、ほんの数回だったけれど……


 私はアルヴィンの髪を優しく撫ぜた。

「疲れたでしょう? 休んでいいのよ」

 たくさん話して苦しくなったのだろう、彼の胸が上下している。それでも顔は穏やかで、その微笑みに苦しみは何も見えなかった。


 息子の亡骸もとても穏やかな顔をしていた。


 冷たい戦地の土の上ではなく、この胸に抱きしめてやれたことを感謝している。


「ねえアルヴィン、どうしてあの時、私と踊ってくれたの?」

 

 ベットに横たわる彼のズタズタに傷を負った手が、震えている。なんとか持ち上げようとしているのだと分かり、その手を持って、大きなてのひらを頬に押し付けた。あの日、私の背を支えて踊ってくれた大好きなあなたの手。


「分からない、気が付いたらそうしていた。ああでも…… 逆だよ……」

 私は彼の言った意味が分からなくて「逆ってなあに?」と聞いた。


「何故か分からないのは、どうして私が魔法騎士なってしまったのか……そちらの方。知らないうちに決まっていて、子供の私には逃げることができなかった。苦しくて、ただ苦しくて、友を得ても、皆死んでしまった。なりたくなんてなかった。どうして…… ねえ、どうして……」

 彼は初めて苦し気に眉を寄せた。


「クリスティナと踊っている方が本当で、あとは……全部……いらない方…… どんどん心が壊れていくのが分かったよ、でもどうすることもできなかった。どんどん冷たくなって石みたいになんにも感じなくなってく…… でもそんなときは、思い出すんだ。クルクル、クルクル君が回る。楽しそうに笑って、蝶々のように可愛らしく舞う、この世でなによりも愛しい君を、そうすると私は人間にもどってこられる。私を見て笑ったのは、ただ一人君だけだ」


「また踊りましょう」

「そうだね…… クリスティナ…… 僕が元気になったら毎日踊ろう。 ああ、無事に帰って来られてよかった。だって僕が死んだら母上泣くだろう? 絶対に嫌なんだ母上を悲しませるのは 」


 アルヴィンはゆっくりと目を閉じて眠りに落ちた。

 何の苦しみも感じさせない、穏やかで幸せそうな微笑みがあった。


 夫はもうすぐ逝ってしまう。


 戦線で単独で敵陣に切り込んで、息子の亡骸を探し出した。まるで狂鬼のようであったと……

 戻った夫は心も体も壊れてしまい、まるで息子のように振る舞う。


 息子になってしまった夫の口調は私達の愛し子エーリクにそっくりだ。そっけない夫は息子に興味がないのかと思っていたのに、本当に良く息子を見ていたのだと笑ってしまう。


 愛する息子を連れて、あなたは帰って来てくれた。


 こうして帰って来てくれなければ、私は知ることがなかった、あなたがこれほどまでに私を愛していてくれたことを。

 目を覚ましたら、あなたはきっと、また息子になってしまうのでしょう? 

 だからあなたに、私も愛していますと伝えられなくて残念だわ。


 でも、いいの。私クリスティナは結婚してからずっと、あなたに愛していますと伝えてきたから。

 そうして、それが伝わっていたことを、今は知っているから。


 エーリクと一緒に帰って来てくれてありがとうアルヴィン。


 母として、そしてあなたを愛する妻として優しく彼の頭を撫でながら、窓の外を見る。

 ああミモザの花が咲いてる。

 数えきれない程のミモザの木々が、これからずっと側にいてくれるあなたの愛が、嬉しそうに光っていた。



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