約束
森を出ると、空気の匂いが変わって、人里の匂いがする。
イオルは頭に乗せられた花冠にそっと触れた。
指の腹に柔らかい花弁が触れ、胸が締めつけられる。
(…エリー、俺にはもう時間が無いんだ)
こちらを遠巻きに伺う領民の視線を受けイオルは花冠を頭から外し、花冠を胸元に抱えた。
誰にも触れさせない宝物を守るかのように腕に力をこめる。
「……はぁ…」
色呆けただの、精神を病んだとか。
噂が好きな大人はいつだって話題探しに夢中なものだ。
「…ただいま」
ゆっくり歩いてきたつもりでも家にはすぐ着いた。
「おかえりなさい、イーダン。
また妖精さんと遊んでたのかしら」
冷ややかな声が飛んできた。
顔を見ずともわかるその声にイオルはうんざりしたように返す。
「……別にどうでもいいだろ」
「どうでもいいですって?
あなた自分が領内でなんて言われてるのか、分かってるのかしら。
…どこまで家の恥を晒すつもり_」
(本当に面倒臭い)
何か言い返してもここでは無駄だ、そう判断したイオルは最後まで聞かずにそのまま自室に上がる。
エリーから貰った花冠はこれで2つ目。
不思議と枯れること無く、今も1つ目は存在している。
エリーから貰った物は木箱にまとめて保管してある、よく分からない変な石とか、花、葉っぱで作った舟とか。
あとはエリーのつけていたピアスの片方とか。
見たことの無い宝石が付いているので、これはさすがに巾着に包んで入れて保管していた。
もう片方はエリーが持っている。
大切なものに見えるが、エリーは物に頓着がないのかいつもこちらに投げ渡して来ていた。
(懐かしいなぁ…)
「…………」
巾着を開いて中身を取り出す。
シャラッと音を立てて掌に落ちたピアスは、薄い緑色の宝石を涙型に加工してある。
蝋燭の薄い光を受けてキラキラと光る、宝石商が見たら欲しがりそうな繊細なカットが施されている、とイオルは眺めながら思った。
どこかエリーの瞳の色を思わせるその色合いにしばらくの間目を奪われていたが、部屋の扉がノックされ我に返る。
イオルはピアスを閉まって返事をした。
「坊っちゃま、旦那様がお呼びです」
「…」
使用人の言葉にイオルは返事をすることもなくそのまま父の部屋へ歩く。
やたら広いだけで人のの居ない屋敷はただただイオルの心をすり減らせる。
靴の音が廊下に響くのをこれほど不快に思ったのはいつぶりだったか。
森だと足音は土に吸収されていくから、
こんなにも不快だったということを長らく忘れていた。
「……お連れしました」
「下がってろ」
使用人は父の部屋の扉を開けたあと頭を下げて部屋の外へ出ていった。
「…………」
「………それで、森に入り浸る親不孝息子に何か御用ですか」
長い沈黙の末に先に口を開いたのはイオルの方だった。
森での様子とは180度違う自分を見たらエリーはどんな反応するだろう、と少し思って笑みこぼれた。
「…明日から、セレーン嬢が来る事になっている」
つまりは家にいろ、そう言いたいのだろう。
イオルは「そんな事でわざわざ呼んだんですか」と鼻で笑った。
そしてそのまま父親の止める声も聞かず自室へ戻った。
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イオルが森へ行かなくなって二日経った。
(エリーはどうしてるかな…、案外気にせずその辺で寝てるかな)
ここ二日は両親の嫌がらせのような連日だった、婚約者が遠路遥々やってきて四六時中一緒に張り付いて夜は舞踏会。
イオルは言わずもがな最悪の気分だった。
遠い親戚で婚約者のセレーンの性格は一言で言えば我儘。
見てくれは良くても傲慢で我儘なセレーンはもう16にもなるがその勝気な性格では嫁の貰い手は無く、今回イオルとの婚約は、森に魅入られたといつの間にか至る所で知られてどうしようも無いということで、親同士が勝手に余り物同士をくっつけた、いわゆる政略結婚なのだ。
「ねぇ、イーダンあなたピアスなんて開けてたかしら」
目敏く気づいたセレーンの指が耳元に伸びてきた瞬間、イオルはその手を叩き落とした。
「…なによちょっとくらい触ったっていいじゃない!」
そう喚く女をイオルは汚物を見るような気持ちで見下ろした。
(気持ち悪い)
その一言に尽きる、イオルは彼女を置いてそのまま自室へ帰った。
(…酷い顔だな)
顔を洗う為に鏡を見れば森では柔和な笑顔を浮かべていたとはとても思えないような人相だった。
イーダン・グレイマーク、現在14歳…明後日で15歳になる。
グレイマーク領の次男だった、どこへ行くにもグレイマークの2番目、と言われて育った。
特筆して優秀ではなかったが、
病弱で床に伏せりがちの兄とやたら比べられて育ってきた。
エリーにはイオルとしてただの一般庶民として別人になりきっていた。
イオルは誰にでも好かれる好青年、そうありたかったのだ。
(…………)
窓を開けて森の方角を眺める。
3年間イオルは毎日エリーと遊んでいたが、また明日、の約束を破ったのは今回が初めてだった。
明日は、行けるだろうか。
そう考えながら窓を閉めた。




