獣王国:ガルネード
レグナードに挨拶を済ませたアンテルは、静かに城を出た。
王城の石段を降りながら、視線をガルネードの方角へ向ける。
(……よくも今まで中立国などと名乗れたものだ)
小さく息を吐き、竜舎へ歩く。
馬車なら十日はかかる距離だが、今のアンテルにそんな時間はない。
「さぁ、行きますよ」
白竜の額に指を添え、魔力で身体の負担を軽減させると、軽やかに背へ乗り込む。
竜は空を震わせて飛び立った。
雲より高い高度での移動は風切り音すら弱く、他の魔獣や人影と遭遇することもなく最短経路、最速で目的地に到着出来る。
国境を越えると徐々に地面は赤茶けた砂に変わり風も、乾いた風が頬を掠めた。
(……本当に、荒れ果てている)
やがてガルネード王都〈ガルド〉が見えてきた。
遠目からでも分かるほど、街の輪郭は歪み、要所の壁は欠け、色褪せていた。
竜を街外れに降ろすと、アンテルはそっと撫で、
「ここで待っていてください。すぐに戻ります」
と告げ、フードを深く被って王都の門をくぐる。
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街に一歩入ると、香辛料のきつい匂いと生臭い獣臭が鼻を突き思わず顔をしかめる。
足元の道は長年補修されておらず、でこぼこ道が続く。
(この荒れ方……戦後以前の問題だ)
通りを行き交う人々の服は薄汚れ、破れた靴を紐で結び直している者も多い。
通りの角では母親らしき獣人が子を抱えて座り込み、
子どもの目は焦点が合っておらず、正直アンテルにはソレが生きているのかと疑問に思った。
裏路地を横目にすれば、
痩せ細った少年が薬草の残滓のようなものを吸っていた。
すでに廃人寸前の者もいる。
瞳は虚ろで、腕には見慣れない黒い痕…非合法な薬物に手を出した、典型的な末路だ。
これほど荒れているというのに、
国の財政調査では赤字どころか黒字に近い。
(……ルーリャ様の目には、到底触れさせられませんね)
ガルネードは赤字国家ではない。
本来ならここまで荒れる理由が無い国のだが、王やその周りだけが私腹を肥やし、国を見捨ててきた証拠だろう。
アンテルは静かに歩を進め、豪奢な王城が視界に入るたび、街との落差に眉を寄せる。
迎えの兵士を断っているため、門番たちは怪訝そうにこちらを見たが、皇帝の紋章を見せるだけで顔色を変え、すぐに通された。
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ガルネード王城は、街とは正反対の豪奢さだった。
真紅の絨毯、天井には金箔の文様。
壁に飾られた宝石装飾は、戦勝国でもなければ見られないほど。
玉座の間へ通されると、左右に家臣が並んでいたが、
空気にははっきりとした派閥が漂っていた。
王寄りの家臣は肥え太り、
宝飾まみれの服を着てこちらを睨みつけている。
一方、痩せた若い家臣たちは目を伏せ、
どこか不安げに王を横目で見ていた。
アンテルは一礼し、静かに名乗る。
「…アトラ帝国、宰相を務めておりますアンテルと申します。
此度の属国化について、帝国が提示する条件と保証をお持ちしました」
家臣たちが騒ぎ始める。
そのざわめきを一切無視し、アンテルは巻物を開いた。
「では、必要事項を読み上げます」
玉座の間に静寂が落ちる。
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✦ 第一条:現王の即時退任
横領・搾取・腐敗行為を帝国査問により立証し、王権の放棄を要求する。
✦ 第二条:継承権の移譲
王弟の第一子カイラム王子を新王とし、政治は帝国監察官が補佐する。
✦ 第三条:過剰課税の撤廃
人頭税・食料税は即時廃止。
酒税・輸送税は大幅減免。
✦ 第四条:物流の帝国管理
主要特産品は帝国経由で再輸出し、収益の一部を国民へ還元する。
✦ 第五条:軍備権の委譲
防衛戦力は帝国軍が管理し、外敵侵攻時は即時出兵する。
✦ 第六条:保護民制度の適用
帝国式識字教育・魔法治療・生活保障を市民へ開放する。
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読み上げるたび、王派の家臣は青ざめ、
逆に国を憂う派閥は息を呑んでいた。
「冗談じゃない!」
宝飾まみれの家臣が吠える。
「王を退ける? 我が国を帝国に差し出せと言うのか!
属国とは、王権を保持したまま保護を受けるという意味のはずだろう!」
「それに、政務を帝国が握れば、実質的に支配と何が違うのだ!」
一方で、小声で意見する者もいた。
「……しかし、このままでは国が……」
「街の惨状を思えば、改革は……避けられぬかと……」
現実が深く理解できない家臣たちの後列から絞るような声で――
「…はぁ…そもそも、属国とは保護と引き換えに主権の一部を委ねる関係。
王権が揺らぐのは当然のことではありませんか」
と、そう静かな声が響き静まり返る。
王の周囲で派閥が二分され、玉座の間に亀裂のような空気。
そのすべてを、アンテルは淡々と見下ろし口を開く。
「以上が、帝国からの救済条件です。
拒否されても構いませんが──」
アンテルの瞳が、静かに王を射抜いた。
「その場合、貴国は明日には地図から消えているでしょう」
空気が一瞬にして凍りつく。
「なっ…脅しか!?
宰相風情が一国の王に退位を迫るなど、一体どんな権限が……!」
王は震える拳で玉座を叩きつけた。
アンテルは微笑んだ。
「ええ。宰相如きですが…こちらは魔王様も承認した内容です。
そして貴国はこちらに属国を申し出た側…つまり文句の言える立場ではないでしょう。
帝国は甘くありませんので」
ざわついていた家臣たちは、誰一人として王の味方をしようとしない。
長い沈黙の末、味方も消え国の存亡を握られた王は震える声で搾り出した。
「……受けよう……その条約、すべて……」
その様子は言葉とは裏腹に屈辱と憤怒を顔に浮かべていた。
数秒前まで王であった獣人の心を知らぬまま、数名の家臣が小さく肩を落とした。
共通して全員、安堵とも後悔ともつかない息が漏らす。
アンテルは静かに頭を下げる。
「では正式な継承儀式を行いましょう。
……民の未来のために」
この日、ガルネード王国は静かに幕を閉じ、
新たな再生の第一歩を踏み出した。




