【2-4】社会的な死
貴方が暴力を振るったわけではないでしょう。
令嬢が最初に思ったことはこれだった。少年が衰弱しているのを感じ、さっと距離を取って壁にもたれ掛かっていたが、彼らの言動がどうにも理解できない。
魔術師はあの傷を見たときに、まるで自分が傷つけてしまったかのような顔をしていた。彼女はベールに隠れた目を細め、現状を冷静に見つめている。
(あの感じ、過去にも同じ事をしていたのかしら。実に人間らしい反応)
人という生き物は『生』に執着しすぎなのではないか、いつか皆死ぬし私もこれから死ぬのだ。
そしてそれはまた、少年も同じだろう。そこにいる少年は恐らくこのままだと持たない。あの腹の骨は折れているだろうし、出血も酷い。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん......」
少女の、振り子のように気持ち悪いほど規則正しく揺れる小さな背中は、異様な雰囲気を放っていた。
令嬢はふい、と視線を外し、ガタリと音を立てて立ち上がった魔術師に目を向けた。
(さて、あの歪な兄妹に異邦の魔術師はどうするのだろうか)
令嬢はこの重苦しい部屋の中でただ一人、笑っていた。
***
「俺は外に薬屋がないか探してきます」
少女が手をノアに向かって伸ばしたが、その手を力無く下ろした。少女には今自分が外に出ることができないことは分かっていたのだろう。
ノアはリリーが行こうとしたら全力で止めるつもりだった。何せ、兄の二の舞になる可能性があるからだ。
ノアは深くフードを被り直すと、歯を食いしばり、ふつふつと自分の中で沸騰するような怒りを必死に抑えていた。
(今はあの少年を救うことだけ、それだけに集中しろ)
今は夜も深くなり始めた頃、月明かりも雲に遮られ、外は暗闇に包まれていた。ドアノブを力を込めて押すと、キィと古びたドアは存外簡単に開いてしまう。
異邦の魔術師は、夜の世界に足を踏み入れた。
路地裏から出て、細い道を抜けると街の大きな通りに出る。そこからまっすぐ行くと、人はまばらだが、夕方に出ていた市場の片付けをしていた。
ノアは一番近いところにいた、ふくよかなお婆さんに声をかける。
「すみません、この辺りに薬屋はありませんか」
チラリとこちらを見るなり肩をすくめ、スタスタと歩いて行ってしまう。他の人もそうだ、ノアがまるでそこに存在しないかのように気にとめることなく手を動かし続けた。
(......自分は既に社会的に死んでしまったようだ)
ここで相手してくれる人などいない、ノアは自力で薬屋を探し始める他なかった。はぁ、とため息が漏れた。
ここ旧伯爵領はそれなりに大きな土地で、街は中央の広場を中心に、円形に広がっている。町並みはどこも似ていて、特に暗闇だと自分の居場所が分かりにくい。
ようは、ノアは迷子になったのだ。
手元だけでも見えれば、と今まで炎を出せたはずの魔法で赤く光る丸い花を出す。いくつか浮かばせれば、ぽわっと温かい光がノアを照らした。
帰る道だけでも分かればなぁと周囲を見渡すと、ガサガサと近くから音がする。
ーーミィ、ミィ〜〜
可愛い鳴き声がして足に何かがふさふさと当たる感触。下を見ると、白い小さな猫がノアの周りをうろついていた。
体は汚れ、所々毛は抜けている。病気も持っているのか、皮膚の色がおかしいようだった。
ノアはしゃがんで、猫をわしゃわしゃと撫でる。
「可哀想な猫だ、俺に会ってしまったことも含めて可哀想だな」
生憎食べ物など無いし、自分は猫を飼うことなどできる身ではない。なにかしてあげられないだろうか、そう思案していると猫がわっと飛び上がる。
ノアの花の一つを捕まえるとむしゃむしゃと食べ始めた。
「あ!おい!それは食べ物じゃない!」
急いで掴んで引っ張っても、猫は花を離そうとせず、ペロリと完食してしまった。
次の瞬間、ノアは目を大きく見開いた。
目の前の猫がパチパチと音を立ててキラキラ光っている。
目を大きく見開くと、衝撃で脳が停止したノアは、猫って蓄光できるんだったかなぁとぼんやり考えていた。
ぶんぶんと頭を振り回し、正気に返ったノアはよく猫を観察した。恐らく魔術で出来た花を食べたことが原因だろう。
音が消えると共にキラキラとした光がなくなると、猫の抜けた毛が生え始めている。可笑しかった肌の色がいくつかマシになっている。
ウニョーンと伸びている猫を持ち上げてみると、先程より元気になっているのか手足をバタバタと振り回してきた。
「治療魔術ともちがう、修復でもない... もしかして、この花を食べれば体が回復するのか?」
この猫も完全に治ってるというよりかは、回復に向かっているという感じた。じわじわと元の綺麗な姿に戻るのかもしれない。
もしかして、これは人にも通用するのではないか?
ノアは掴んでいる猫を気にする素振りすらせず、自身の知る魔術との違いは、原理は何だと必死に頭を働かせていた。
ンニャ! と鳴き声を上げた猫は、もんもんと考え込むノアの頬をひっかくと、奥の方へ走っていってしまった。
「あ!猫......まぁ、いいか、元気になれよ」
ヒラヒラと猫に手を振ると、手を膝に付けて立ち上がる。
(あの魔術が人にも使えるものなら、少年の傷を癒すこともできるかもしれない。でも、いきなりあの子で試すなんて、少年を危険に晒すことにならないか?)
でも確かに希望が見えた、そう思った矢先、自分が迷子になっていたことを思い出し、ノアは頭を抱えた。
またもやしゃがみ込んでいると、ペシペシと足を叩かれた。足元にはまたあの白い毛並み、さっき助けた猫のようだ。ノアと目が合うと後ろを向き、スタスタと歩いて行く。
行く当てがないノアは、ついて行くことにした。
猫の行く先は街の中心部より少し離れた場所で、空き家がちらほら見える。少しくらい通りの先に、ランタンが吊された古い店があった。
猫は塀に向かってジャンプし、わずかに開いた窓からスルリと入っていく。
「あらまぁ猫ちゃん!元気でよかったわぁ」
中から老婆のような声がする。ノアが、古い店の前でどうするべきか迷っていると、店の内側から、カリカリ、と扉を引っ掻く音がした。
先ほどの猫だ。
「おや、どうしたんだい?誰か外にいるのかい?」
ギイ、と扉がほんの少しだけ開かれ、中から猫が顔を出す。そして、まるで「入れ」とでも言うように、ノアの足に体をすり寄せた。
つられて出てきた老婆は、複雑な刺繍をされた布で目隠しをしていた。どこかの民族だろうか。逆に、目以外は見えている状態で、顔の見えている面積は大きい。
「夜分遅くにすまない、猫に連れられて来てしまって...」
老婆はあらあら〜と頬に手を当てるとニコニコと笑った。
「お客さんなんて久し振りねぇ、どうぞ入って」
ノアは警戒しつつも、中へ足を踏み入れた。
「実は、連れが酷い怪我をしていて、薬を探しているんだ」
「おやまぁ、それはお気の毒に。どんな子なんだい?」
「路地裏に住んでいるのだが、生意気で、でも優しい少年なんだ」
なんやかんや、俺もあの少年のことが好きなのかもしれないと思ったりもして、ノアはふっと笑った。
室内に異様な静寂が漂う。
明らかな違和感がしてノアが顔を上げると、優しそうな老婆な顔は固まっていた。
老婆は恐る恐る口を開く。
「もしかして……その少年ってのは、伯爵家の子供かい?」
続き遅くなってすみません...
もうしばらくしたら投稿頻度は元に戻します




