【2-3】街の正体
少年はオレンジに染まった街中を駆けていた。できるだけ暗くなる前に、早く家に帰ってしまいたい。
市場に出向くと、上半身がなくなった旧伯爵家当主像とそれを囲うように出された店が目に入る。夕飯の材料を買いに来た主婦達で賑わう市場に、貧相な服を着た子供というのは、どうやっても目立ってしまう。
周りの視線が、言葉が、少年へと突き刺さる。
「あぁ、伯爵の孤児じゃないか」
「また盗みに来たのかい?性懲りもなく、なんて子なのかねぇ」
「病気を移されちまうよ、離れないと」
(違う、俺は盗みなんてしない。あれは俺じゃない。誤解なんだよ。)
涙こらえて走る少年の中を、ぐるぐると色んな言葉が駆け巡る。そのうち、目的の肉屋へと辿り着いた。
「なんだ、孤児なんかがなんの用だい」
木箱に座り、痩せた初老の店主は、キッと鋭い目で少年を睨みつける。ノアに渡された銀貨を出して、少年は言った。
「鳥の肉が欲しい......できたら一番安いのを頼む」
店主は目を大きく見開き、少年の銀貨を手に取った。
「馬鹿者!誰からスったんだこの泥棒め!!」
少年は肩を大きく揺らし、歪む視界越しに店主を見つめる。この金は少年が旅人から預かった金だと言ったところで、信じて貰えるかどうか。
「違う!これは頼まれて買い出しに来ているだけだなんだ!」
大声で訴えても、集めた視線は冷たいものだった。ヒソヒソと話す声が後ろから聞こえる。少年は今すぐにでも逃げ出したかった。
「......そうかい、じゃあお前に買い出しを頼んだ奴を連れてきて貰おうか」
店主は銀貨を返さぬまま、木箱に座り込んでしまった。肉を買えなくとも、その金は返して貰わなければ困る。
(でも旅人達を連れてこれば、今度は彼奴らが追い出されてしまう)
迷った挙げ句、少年は家に向かって走り出した。
路地裏が見えてきた、あと少しで帰れる、そんな風に足取りも少し軽くなったところだった。
「なぁ泥棒孤児、また人から物盗んでさぁ、妹に申し訳ないとか思わないの?」
突然背後から声がして、少年はピタリと立ち止まった。汗がダラダラと背中を走って気持ちが悪い。
後ろを見たい衝動を我慢して、もう一歩足を踏み出す。
「僕のこと無視するなんて酷いなぁ」
肩に手がポンと置かれる。その手は細く女性のようで、しなやかだ。
少年がバッと振り返ると、そこにいたのは薄い黒いベールを被った、細身の青年だった。
「やあ、セシルくん、そんなに急いでどこに行くんだい?」
外で名前を呼ぶ、という行為はこの世界において最も危険な行為と言っても過言ではない。少年の喉はひゅっと音を立てた。
その声は、まるで旧知の友人に語りかけるように、親しみに満ちている。しかし、その親しみが、少年にとっては、首筋を冷たい刃でなぞられるような、何よりも恐ろしいものだった。
「そんなぐしゃぐしゃな紙袋で顔を隠して......可愛い顔が台無しだよ」
彼の手が頭の上に乗り、咄嗟に目をつぶる。急に少年の視界は突然明るくなった。後ろでカサリ、と何か落ちる音がする。
(紙袋を、取られた)
この時に走って逃げれたら良かったのだが、少年の足は震えて動かない。
青年は細い右手でベールをつかみ、ひらりと上に持ち上げると、残った左手で少年を掴んで引き入れた。
ベールの中は暗く、生暖かい。二人はお互い素顔が見える状態で向かい合った。心臓の音がやけにうるさくて、少年は手を胸元でグッと握りしめた。
「泣くようなことじゃないだろ?ただ、少し聞きたいことがあるんだよ」
歌うように話す彼は、全てを見透かしているように目を少し細めた。
「君がその手に大事に握っていた銀貨。あれは、他の人から預かったのそうですね?よかったじゃないか、親切な人がいて」
そこまで言うと、青年は少年の頬を撫でて涙を拭いながら、子供に言い聞かせるような優しい口調で話した。
「ねえ、その親切な人は、今どこにいるのかな?僕、ちゃんとお礼が言いたいんだ」
その言葉の裏にある、どす黒い悪意を、少年は肌で感じ取った。この人にあの二人を会わせたら、絶対にろくなことにならない。
少年は唇を固く結び、首を横に振った。
「......そっか。教えてくれないんだ」
青年の笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
「じゃあ、仕方ない。君のその体で、嘘をつくとどうなるか、覚えてもらうしかないね」
聖歌のように静かだった声が、ふっと消えた。
次の瞬間、腹の底に熱い鉄塊をねじ込まれたような衝撃で、体はベールの外に飛んでいった。
声を出すことも出来ず、少年は地面に頭を打ち付ける。
「セシル、僕もこんなことはしたくないからね、ちゃんと正直に言いなよ」
夜の路地裏の入り口なんて、人が通るわけもなく少年は助けを求める方法がなかった。
少年は痛む足で立ち上がると、そのまま力を振り絞って路地裏に向かって走り出した。
青年はその後ろ姿を、静かに見つめていた。
「.....逃げたって、すぐに会いに行くからね」
青年は、乱れたベールの裾を指先で優雅に直し、まるで、散歩の続きでもするかのように穏やかに闇夜へ消えていった。
***
「おい、しっかりしろ!」
腕の中でぐったりとした黒髪の少年は、ピクリとも動かなかった。わんわんと泣きづけるリリーをなんとか少年から引き剥がし、ノアは急いで家の中に運び込んだ。
部屋の小さな明かりに照らされて、その姿がしっかりと見えるようになる。ベッドに寝かせる、服を脱がすと想像以上の惨状がノアの目に焼き付いた。
頭には切り傷、腕と膝からは出血しており、腹部は酷いあざになっていた。ノアは見た瞬間、強烈な吐き気に襲われた。胃がきりきりと痛む。
(俺が、行かせたからだ)
おつかいに行かせるくらいの気持ちで頼んでしまった。少年が拒んだ時点で行かせるべきでは無かったのに。あの銀貨を、渡さなければ。
後悔の念が、喉元までこみ上げてくる。
ノアの感情はぐちゃぐちゃに混ざり合った。どうしようもない自分への嫌悪で、右手は少し跳ねた前髪をぐしゃりと潰す。
ーーぅ、うぅ……
ノアの意識を現実へと戻したのは少女の泣き声だった。耳元で、か細いしゃっくりを上げる声。リリーは涙をこらえながら必死に兄に包帯を巻いていた。
ノアは顔を上げた。
脳裏に蘇るのは、遠い日の記憶。
燃え盛る家。助けを求める悲鳴。そして、何もできずにただ泣きじゃくるしか無かった。
理不尽な炎が、全てを奪っていった、あの夜。
(俺はもう、何もできない、助けられ無かったあの頃とは違う)
荒かった呼吸は、いつしか、低く、静かなものに変わっている。先程までの吐き気は、燃える溶岩のような、腹の底から湧き上がる、ただ一つの感情に飲み込まれていた。
彼はリリーの隣に静かに膝をつくと、彼女の小さな手から、そっと血に濡れた布を受け取った。そして、怒りがにじむ声で呟いた。
「......代わるよ」
その瞳には、もはや後悔の色はなかった。
黒髪の少年は依然として目を開けることはなく、浅い呼吸を繰り返している。
しばらく忙しくなってしまいますので投稿頻度が落ちます。九月末頃には元に戻る予定です。




