【2-2】街の隅で
比較的奇麗な街の中心部と違って、少年の行く先に広がる景色は、じめじめとしていて建物も古い。
そんな路地裏を進んだ先の、少し広がった場所の真ん中に崩れかけた民家があった。
ギィと錆びた蝶番が動く音がして、中から小さな女の子が出てくる。
「お兄ちゃんおかえり……お客さん!?」
この世界に来て初めて見る、顔を隠していない人だ。目を大きく開くと、こちらを見るなりドダンッと音を立てて勢いよく扉を締め、部屋に入っていった。
「失礼した、妹だ。紙袋被ったらまた出て来ると思う」
どうやら、ここでは身内の前や家の中では顔を隠さないようだ。少年がノックすると「ごめんなさい、もういいよ!」と元気な返事が返ってきた。
少年の家の中は床が抜け、壁紙が剥がれてボロボロだった。目の前にある階段を上がると古くなった一つの客室があった。
「ボロくて悪いけど、外よりはマシだろ」
扉を開けると、ブワッと埃と塵が舞う。思わず咳き込んだが、彼女は平気そうだ。
(こりゃ、まずは掃除からだな)
はっきり言って人が住んでいるような家ではない。
ノアはくるりと少年に向き合うと、もう一枚銀貨を握らせた。
「ありがとう、紙袋くん。俺達は夕飯を作ろうと思うんだけど、買い出しを頼めないか?」
「え......」
「この格好じゃ目立つし、君は土地勘もあるから頼みたいんだ」
あまり乗り気では無さそうだが、銀貨をさらに追加すると、渋々といった様子で了承した。実際、ここじゃローブを外すわけにもいかないし頼れる者は頼りたい。
ノアは出かけていく少年を見送り、一階のリビングにいる少年の妹の元へ向かった。
***
「はじめまして、旅人さん!」
元気の良い妹は、兄の方に比べるとまだマシな、その年頃らしい体つきをしていた。袋の下から、くるくるとしたくせ毛が飛び出ている。
(やっぱり、少年はロクに食べずに妹に食料を渡しているな)
「初めまして、紙袋の妹さん。しばらく世話になるよ。こちらは、えーと」
ノアは令嬢のことをチラリと見るが、スンとしたまま微動だにしない。
(令嬢ことってなんて紹介するのがいいんだろうか。お嬢様です、なんて説明はあまりにも簡素すぎるか!?)
もっと良い説明方法は無いかと思案するノアを、少女は気にすることなく話し始めた。
「『紙袋の妹』なんて可愛くないわ、私のことはリリーって呼んで!それよりも……」
少女はガシッと薔薇の令嬢に手を伸ばす。令嬢はピクリと肩を揺らし、手を抜こうとしたが間に合わなかったようだ。
(駄目だ、その人に君が触れたらっ!)
令嬢の左手をノアも咄嗟に掴んだが、右手は少女に取られてしまった。
「私、お姫さまって初めて見たの!!旅人さん達本当はどこかの国のプリンセスと騎士なんでしょ!」
少女は何ら変わることはなく、寧ろ爛々と瞳を輝かせて令嬢を見ていた。
薔薇の令嬢の呪いが上手く作動してないのだろうか。原因は分からない。
よく見ると、少女の後ろにある机の上には表紙は色あせ、ボロボロになった本が置いてあった。きっとあれは姫か何かを助ける話なのだろう。
とりあえず、少女が死んでしまうようなことにならず、ノアはホッと息をついた。
「リリーちゃん、何か体調が悪くなったら教えてね」
少女は「うん?」と何か良く分かって無さそうに返事を返した。
ノアはそのまま令嬢へと視線を移すと、掴まれた手を開いたり閉じたりしながら見つめている。
「お嬢様、少し外に出ませんか」
令嬢は振り返ると、何も言わずこくりと頷いた。
***
「貴方は、いくつか聞きたいことがありそうな顔をしていますね」
この場所はアーベントと違って様々なルールがある。代表的なのは顔を隠すこと、そして名前を教えないこと。
「まず、妹がリリーという名前を俺達に伝えていること、そしてあの子が死んでいない理由を知りたい」
ふむ、と顎に手を当てて、考え込むようなポーズをしているが、彼女の中では既に答えは出ているのかもしれない。
「そもそも、名前を教えてはならない理由は分かりますか?」
「何か不利になる、とか?」
「まあ、あながち間違いではありませんよ」
夕日が落ちて、星空が日の反対側から迫り来る夜。アーベントもここも、夜で歩くことは基本推奨されない。治安の問題もあるが、一番大きな理由は別にある。
「精霊達に〈契約〉されてしまうからですよ」
「精霊が......?いるのか?」
それは絵本で出てくるような、そんな空想上の生き物だ。本当にいるだなんて到底信じることが出来なかった。
「現在の精霊は、人の発展ともに住かを失い、人に溶け込むように街中で暮らしています。誰が人では無いか判別できない、だから皆顔と名前を隠す」
顔と名前を知られると、精霊と〈契約〉させられる可能性が上がる。契約がなにを指すのかはわからない、がきっと良いことではないのだ。
『名というものは簡単に教えてはいけませんよ」
数日前に令嬢に言われた言葉の真意が、ようやく明かされた。
すっかり暗くなった路地裏は、街頭も無く、すぐ側にいる令嬢すら見えにくい。その静寂が、先程の「精霊」の話と相まって、肌にヒタリとまとわりつくような不気味さを醸し出していた。
その時、令嬢がふと、何もない暗闇に視線を向けた。彼女のその僅かな動きに、ノアは背筋に冷たいものが走るのを感じる。
「どうしましーー」
問いかけようとした言葉は、音に遮られた。
ーートサ.....ズルッ......
暗闇の奥から聞こえるのは、誰かが足を引きずるような、重く、湿った音。ノアはパチンと指を鳴らし、小さな花々を明かりとして周囲に浮かばせた。
ぼんやりとした光が照らし出した先に、人影が一つ。よろめきながら、こちらに向かってくる。
髪の影が見えた、相手は顔を隠していない。そのことにノアが気づき、警戒を強めた瞬間一ーその人影は、まるで糸が切れたかのように倒れ込んだ。
ガタンと大きな音がして、紙袋をつけた少女が真横を走り去る。
「お兄ちゃん!!」
黒髪の少年は、ノアが買い出し貸せたはずの紙袋の少年だった。
6話を読んで下さりありがとうございます。
実は、紙袋の少年が出て行ってから帰ってくるまで、一時間しか経っていません。最後のシーンは書いていて可哀想で、もっと明るい話にするか迷いました。
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