【2-7】対価
「『解放者エドガー、コンコルディア領の実質的な新領主になる』......?」
これはつまり、エドガーという少年は、今まで領地を治めていた伯爵家に対して反乱を起こして地位を奪ったということだ。
ノアは何度読んでもこの行に書かれている事実が信じられなかった。
「エドガーは何故、このようなことを?民衆もどうして賛同したのか......」
ノアは領民達はそんな愚かな訳がないと思った。優しい領主に楯突く理由は中々生まれないはず。それなのに反乱を起こしたということは、きっと扇動した奴がいる。
ノアが質問しようと口を開いたとき、老婆は手で制止した。
「ここから先は話せないよ。これは人によって言うことが変わるの。私一人の持つ視点から見たできごとを、さも事実かのように語るのは歴史への冒涜さ」
老婆はそう言うならば仕方ない、老婆には沢山の情報を貰った。もう十分だろう。
そろそろ帰って少年の顔を見ようと思って、ノアが、玄関近くに置いた鞄を持ったとき、老婆に対して一つの違和感を感じた。何か意図的に言われていないことがある。
ノアは振り返り、はっきりとした口調で問いた。
「お婆さん、コンコルディア領っていうのはもしかして旧伯爵領のことではありませんか?」
老婆は何も言わず、こちらも見ずに猫を撫でていた。しかし、無言は肯定として受け取れる。本当にこれ以上話すつもりは無いのだろう。あのお婆さんの話はきっと、一種の懺悔だったのだ。
ノアは目を細めると、笑顔で伝えた。
「お婆さん、ありがとうございました」
「またおいで、今度は少年も連れて。エドガーに会えたら、優しくしろとは言わないから手助けしてやってくれ」
ニャーンと鳴きながら猫が足にすり寄ってきた。しゃがんで撫でていると、口に瓶をくわえている。これが最初に頼んでいた薬だろう。老婆にお礼を言おうと机の方を見たが、もうそこには誰もいなかった。
部屋にはほのかな紅茶の香りが残っている。
猫から薬を受け取ると、鞄に大切にしまい、玄関の扉を押した。
暗闇に包まれた深夜を、確かに月の光が照らしている。ノアはもう迷うことなく歩き出した。
***
死の呪いにかかった女がいると、噂には聞いたことがあった。触れた者を皆、たちまち殺してしまう、恐ろしい女なんだと。
それは白い服に白い髪、血のように赤い花が身体から生えた化け物だと。私の仲間達は『死の姫』と呼んでいた。
お姫さま、だなんて軽率に呼ぶんじゃなかったとリリーは後悔している。
私はお前を知っているんだということを知らしめるため、牽制するつもりでしてしまった。周囲をツタで囲われているが、もし兄が触れてしまえば、と考えるだけで恐ろしい。
リリーは悔しそうに歯を食いしばった。
「対価が欲しいだなんて、貴方がお兄ちゃんを助けてくれるわけでは無いでしょう?」
ふむ、と令嬢は少し考える素振りをすると、リリーに向かってコツコツと歩き出した。
「そうですね……私に助ける力はありません」
リリーの前にそっとしゃがむと、リリーは思わず兄を握る手に力が入った。
「しかし、貴方の兄から奪わない、ということはできます」
この目の前にいる女の指先に、私の兄の命がかかっている。対価を払わなければ死んでしまう。頭が真っ白になるとはこういうことなのだと、リリーは身をもって理解した。
咄嗟に出てきた声は先ほどまでの威勢をどこにやったのかと思うほど弱々しい。
「わ、私は身体すら借り物で、渡せるものは命くらいしか残ってない」
「そうですか」と呟くと、令嬢がリリーに向かって手を伸ばし、リリーは目をギュッと瞑った。
しかし、その行動は扉の音に遮られる。
「ただいま帰りました。遅くなってすみませ......なんですかこれは」
部屋は静まりかえった。




