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毬子

毬子は団地の中の303号室。自分だけがいる家のリビングで炒飯の朝食を摂っていた。舌で唇の端を舐めとりながら、大きめのスプーンで掬い取り、口の中に心身の栄養の味をジワリと沁みさせて、満ちた思いで飲み込む。月曜日で、毒親ゲームの実行日。通っている中学校には今日行く必要はない。

 父親の大きい顔と同じくらいの長さの糸のビーズが連なる簾が部屋の戸口に掛かっている。その向こうの狭い玄関を見つめていた。鈍色の、所々傷付いた重たい金属製の扉。膝の高さ辺りにドアポストがもっこりと四角く盛り上がっている。簾の横に木製の食器棚があった。ちゃちな作りの、引き戸が度々外れる白々とした木目の棚の天辺は、天井ぎりぎりまで届いている。この家は天井が少し低い。

 自分で作った炒飯は、母が作ったものよりも美味しい。勘で味付けしただけだが、自分はそんなに料理が下手でもないようだ。毬子の舌にとっては。母は自分が食事を作る、そして毬子がそれを食べるということに執念を燃やしていた。だから毬子はダイエットをさせてもらえずに、クラスで三番目に太っている。

 白地に茶色の縁飾りがついた炒飯の皿が、清潔に見える。いつもは、嫌味な血脈の「家族の血」が付いているみたいに穢れて見えるのに。

 家族の吐く二酸化炭素のせいだろうか。空気に臭いがあるわけではないのに、肌が「空気が臭い」といつも訴えていた。

 体型も生活も性格も恋も人生も、つまるところ親の許可次第だ。親があまりにも強くて、動けなくなるくらいの重りを子供の足につけるのならば、子どもの人生は親の人生だ。

 しかも結果は子供が引き受けるから、親は気分次第で好き放題言う。玩具みたいなものだ。

 子どもが親の子供で居続けるために、自立しないために、色も恋も欲も見栄もないまま自分たちのものであり続けさせるために、必死になる。

 そして忘れて責任を取らない。

 本当に責任を取らない。

 沸かしたての温かい麦茶を、唯一の気に入りのフィンランドのキャラクターのマグから飲んだ。キャラクターの緑の帽子を愛おしさをこめて人差し指と親指でなぞる。

 いつも殺したかったけれど、責任を取らせたかったけれど、今日こそそれができる。

 一か月後には自分は施設の子だ。このご時勢に食事を残して怒られるということもないだろう。

 自由だ。やっと親の判断で生きずに済む。

 この親たちが、自分が大人になるにつれて頭を撫でまわしながら押さえつけるような束縛を緩めてくれるとは思わない。

 子供を子供であり続けさせるのが、きっと彼らの自分に対する勝負であり、劣情にも近い欲望なのだと思う。

 それでも彼らは凄くナチュラルだ。母親は、

「『毒親』っていうけど、たくさんいるってことは普通のことなのよねー」

 と、しゃあしゃあとのたまう。

 彼らはきっと「剝き出しの親」なだけなのだろう。節度や理性や当たり前の礼儀があれば、「まともな親」「いい親」になるというだけで、彼らは「親そのもの」、必要な肉付けが無い「親そのもの」なのだ。ある意味普通過ぎる親なのだ。他人になら向けられる思慮を使わないのは、毬子が犬や猫みたいなものだからだ。山に捨てないのだから、自分たちは十二分な親をやっていると信じている。毬子の不満顔をただの贅沢だと信じるような情動に近い信仰がある。残酷な普通過ぎる、普通にダメな、「毒親」なのだ。

――例えば、犯罪者が心と状況に貧しさが一杯のただの持たざる「人」というだけで、特殊な異常さを備えた、持つ「人」というわけではないように。

 毬子が玄関で靴を脱ぐために屈んだ時に、少し背中が服の裾から見えると、父親はその部分の肉を摘まんで、素早くさすって「背中出てるぞー」と言ってパシインと相撲取りに親しむようなやり方で肌を叩く。「触らないで」と何度言っても、父親の膨張したような嫌味な態度に切り込むことができない。止めてはもらえない。

 毬子が自室で寝ている時にお腹が出ていたり、涎を垂らしていたりしている動画を父親は撮影して、好き放題にアップしている。

「ほらあ」

 と言う満面の笑みでその動画を毬子に向かって突き出して、

「どうしようもないやつだあ」

「ここでお尻をフリフリしたらもっと良かったのになあ」

 と、両親二人で中学生の毬子を可愛がる。そして、気まぐれに父は夜に毬子の部屋に入ってきて、耳や頬にちゅっちゅとする。

 何もかもを「にやあ」という肉の笑ったような嫌らしい笑顔で押し通す。「やめてほしい」という毬子の主張を押し殺す。

 自分が父親の劣情の反応物として存在していることは、かなり早い幼稚園児くらいの段階で分かっていた。

 親が死んでも自分は悲しくないだろうという早い自覚は、小学校低学年くらいで「死んでほしい」「殺しても構わない」に変化を遂げるのも早かった。

 毬子が食事を抜くこと、残すことにいきり立つように頭や口から沸騰した湯気を吐くような母は、毬子に対して「でぶでぶ」と罵り、毬子が服を脱いだ時に脱衣所をノックなしに開けて、裸を父に晒させて、「ウエストがないのね」と笑った。父も嬉しそうに「ウエストがないのかあ」と笑った。

 毬子が、母が入浴している時に脱衣所の戸をうっかり開けたままにしておくと、大声で怒気を込めて叱り立て「毬子。毬子」と呼び「閉めて! 何考えているの! 出られないじゃない! 何考えているの!」と酷く偉そうに叱った。

 母は母自身を上等なものと考えているらしい。


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