表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/16

女の子 遺体見たい?

三時半前に図書館を出た。明日、日本語で書かれた好きな本を借りにまた来よう。

 図書館を正面から出ていこうとしてから、開館カレンダーの掲示された裏側玄関へ一旦踵を返した。見上げた明日の日付はちゃんと開館になっていることを確認して、また正面玄関に引き返して、帰り道にて三歩で三粒降りかかるくらいの小雨がひどくなってくる前に、団地の階段の屋根下に入った。

 四時十五分過ぎに友人が訪ねてくるまで携帯ゲームをして過ごした。

 プチプチぷちぷちデジタルの線を繋ぐゲームをした。

 リビングで職員がテーブルの椅子に座って分厚い書類の束を、小難しくて七面倒くさい類の映画を鑑賞する時みたいな顔つきと肩の斜めに傾かせ方で肘を突いてめくっていた。

彼女の隣と斜向かいに毬子と同じ部活で友人の雁子(かりこ)が椅子に腰を下ろして、つまり向かい合わせに座って、毬子が自分で淹れた熱いコーヒーを啜りながら、そこにあった煎餅を齧って話していた。

「弟が言うのよ」

 背丈の低い毬子よりも頭一つ大きい雁子が煎餅を歯で挟んで手でぱきっと割って口の中にしまう。

「『姉ちゃんなんで言うこと聞かないんだ。母さんは姉ちゃんに優しい子でいて欲しいんだ。姉ちゃんが我慢すれば全部丸く収まるのに。大人になるってそういうことだろ』って。成績私より悪いのに自分の平和のためになら根性のある理屈が出てくるもんだよね」

 雁子は自分の隣の椅子、つまり職員の向かいの椅子の座面の横を蹴飛ばした。

 膝が良く上がっていた。

「ごみ餓鬼」

 据わった目を、意識して緩ませてから雁子は、

「『毒親認定』申告してみた。色々あるからって通るとは限らないけど。家族を解体できるか、恨めしさの縄……みたいなもので繋がり続けるか。人も家庭も自分も、淀んでるけど、淀んでるんだもんね」

「最後の『皿』なのかね? 『女の子』とかいうやつは」

 煎餅を嚥下した毬子の喉から転がり出た言葉に、雁子は、

「ああ……、そんな気もするような。そうだとしても下らないような」

「『下らない』って言われるんじゃなくて、『下らない』って言って弱い者をたたんじゃう側になってみたい気がするよね」

「男の『戦争しまくった歴史』って羨ましいよね」

「でもなあ!」

「でもなあ」は二人同時に同じように発してかぶった。笑いながら大きな可愛い鳥が鳴くように二人して涙を浮かべて笑いながら叫んだ。

 罪を背負った分だけ、弱い者じゃなくて強い者に嚙みついて生きていきたい気がする。

 別にそれを正義だなんて思ってもいない。下らなくて上等じゃないからこそ、擦り減っていく生き方が相応に出てきただけだ。本当に頭が悪いだけの生意気さでしかないのだ。

 自分たちに価値が無いことを、自分たちが何かを得ようとすればするほど、教えられていく。きっと。

――そんなことはどうでもいい。

 私も下らない物体だし、人も下らない。

「テレビ見ていい?」

 雁子がゲームの繋がったテレビを指差した。

「駄目」

 毬子は鼻を搔きながら答えた。

「『アンティーク』行こうよ。これ、何時までに終わらせればいいの?」

「今日中ならいいって。晩御飯代わりにそこで菓子パン買おうかな」

「そうしよう。そうしよう」

 毬子が住む団地の近所には、『アンティーク』という店名の文字が、銀色に鈍く光る外側の石壁中を覆っていくつも羅列するお洒落な箱型の駄菓子屋がある。パックされて賞味期限の長い洋菓子や駄菓子や、パンや食パンが一種類の個数を少なく、多種類に陳列してある。

 雁子が真っ直ぐに店の奥の壁際の右手に近い方に突き進んでいった。毬子はメロンパンとマドレーヌ、青いカップのヨーグルを買った。店主の婆さんは、あまりに何度もここで見過ぎて、ゆったりと緩慢で正確な動作でレジ作業をするし、何度見ても同じ位置で同じように上半身と腕と手先を動かすので、なんだかもうレジの奥の内壁に嵌め込まれているようにすら見える。

 憎めないような憎らしいような、いわゆる年寄りという存在だった。

 そんなことを考えてパン等が入ったクラフト紙の紙袋を受け取ると、待ち兼ねたように雁子が、横から毬子が掴んでいる袋の下のレジ台にお菓子をばらばらと撒き散らして、婆さんに会計を催促した。

 人間ができているのか穏やかに湖の奥に沈んだような表情のまま婆さんは淡々と会計をした。

 エメラルドに底が見えない寒くて空気の澄んだ外国の森の湖を想像した。

 手を振って店の前で雁子と別れた。通りの向こうに消えていく雁子も、背景の暗い、複雑などぶの色にも近い紫に翳っていく空の色に嵌め込まれていくように見えた。

 夜の優しい悪魔のような大気の煙に巻かれながら、短い道のりを団地まで帰った。

 鼻の穴が涼しかった。

「おかえりなさい」

 職員に返事をしないで、彼女の声を耳の穴の奥に吸い込んだ。テレビの電源を入れてから、席にどかっと座りメロンパンを貪り食って、玄米茶といっしょにヨーグルを食べると腹が膨れた。

 職員は鞄から書類を出したりしまったり、めくって真剣そうに眺めたりしていた。

「何か食べましたか?」

 そう聞こうとした言葉を毬子は吞み込んだ。

 このゲームをさっさと十二分に片付けようと毬子は決意して、リモコンを手に取った。

 母は、痛みを訴える鳴き声が掠れて、喉に空気が絡む音だけをぜえぜえと出し続けていた。

 その場の空気を削るような絶え間ない声は毬子にとってうるさくもあり、快感でもあった。

 右手で母の下唇にペンチを引っ掛けて、口を無理やり開かせた。激痛を受けて口とともに母の目は目玉が飛び出るくらいに見開かれた。ペンチに歯を引っ掛けたらしく、一本ぱきっと軽い音を立てて舌の裏に沈んでいった。

 左手にニッパーを握って、舌を丸まった先の方から二、三ミリずつくらい少しずつ切っていった。切ったところから出てくる血は母の喉の奥に流れていって、母が乱れた頻度と強弱で咳き込んだ。

 さぞ痛いだろうなと思った。

 後は素早く終わらせた。無意識にも近い捌きで毬子は幅がそれほどではないのに厚みがある腹の脂肪の三段腹をそこにあったメスで刺身を作るように削ぐように刻み、左足の外反母趾の出っ張りをあまり音もなくニッパーで切断した。肌色の石みたいな塊がベッドの下に落ちた。

 母は叫び暴れて、拘束の下で身を激しく捩じった。

 冷え冷えとした冷酷さでそれを見ながら、目をくり貫くためにスプーンに手を伸ばしたのを途中で止めて、火掻き棒のような持ち手付きの金属の棒を取り、右の鼻の穴に突っ込んで、奥まで突っ込んで、搔きまわして掻き出して、脳髄を鼻の穴から大量に滴らせた。

 多分脳が滴る前に死んでいただろう。

 終わった。

 首を鳴らして横に曲げた。何か自分の脳から静かに弾け飛んで、空気の中に沈んでいった。

 ゲームだから何の感触もないのだけ、少し惜しかった。

「終わった?」と尋ねる職員に、据わっているのに澄み切った目を向けて「はい」とだけ短く答えた。

「これ、糠漬け持ってきたの? 嫌いじゃなかったら良かったら食べて」

 三枚のジップロックに入った野菜が混じる薄茶色い、人肌みたいな糠をエコバッグからテーブルの上に出した。そのまま職員はリモコンでゲームを切って、機器を片付け始めた。

 その途中で、「そこの一番上にある紙に記入してもらえるかな?」そう頼まれたので、電話機の横にあるピンクの缶のペン立てから古くてインクがギリギリの黒ボールペンを取って要項を記入して書いた。

 職員はテレビの前から立って、立ちながら待っていた毬子に対して、

「遺体見たい?」

 と尋ねたので、毬子は「はい」とまた短く答えて、「じゃあまた連絡する」と職員は言った。

 職員は玄関に向かった。見送る毬子は「ごくろうさまでした」と丁寧に声を掛けた。

「それじゃあ失礼します」

 出口から背中を向ける職員の黒い豊かな髪は、黒い駱駝の贅沢な毛に見えた。

 毬子は「ごくろうさまです」ともう一度小さく呟き鍵を掛けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ