毬子の父への拷問
麦茶を茶道のようにズッと音を立てて飲み干した。
テレビの左上の時計を見ると、八時十五分だった。後十五分で市役所から職員が来る。そう思って、皿とマグを洗おうとシンクに入れたら、チャイムが鳴った。
「こんにちは」
愛想らしい柔和な程よい微笑み方で、六十手前くらいの年齢で黒髪をシックなボブカットにした女性が、焦げ茶のラフなパンツに白シャツ、藍染めのジャケットを羽織ってそこにいた。手には黒い鞄と、その他に袋を二つぶら下げている。一つは黒いビニール製のまちのしっかりした袋。もう一つはエコバッグのような簡素な袋で底が中の重みでずっしりと沈んでいた。
「こんにちは。よろしくお願いします」
「入っていい?」と確認してきたので、毬子は頷いて玄関口から後ろに下がって場所を開けて入れるようにした。
「何か飲みますか?」
リビングに通された職員は三つのバッグをリビングのテーブルによいしょと、肩を引き上げるようにして上に置いた。
「あー……、いえお構いなく。『ゲーム』のセットだけしていいかな? 自分の部屋にテレビはある?」
「ありません。それだけです」
毬子は、外にベランダの付いた掃き出し窓の横、部屋の隅にある段ボールのようにちゃちな木製のテレビ台に置かれた二十四インチのテレビを指差した。黒々と落ちた画面は吞み込むような予感を孕んで見えた。
職員は、半端に胸の下まで上げた左手の人差し指と中指を擦り合わせるしぐさをしてから、
「ご兄弟はいないんだよね?」
「はい。いません」
「今日は家には他に誰もいない?」
「はい」
「じゃあ、そのテレビに繋ぐね」
「レコーダー壊れてますけど大丈夫ですか? お父さんとお母さんを捕獲する時に、お母さんが蹴っ飛ばして壊したので」
「うん。テレビで大丈夫。このテーブルでやる?」
「そうですね」
職員は黒い袋のぐるりを囲むジッパーを開いて、中からゲーム機と、カタツムリみたいに巻かれたケーブルがいくつも入ったメッシュケースを取り出した。
巻いてあるケーブルをいくつも伸ばして、三つ目のケーブルをゲーム機本体の上に載せて、リモコンと共にテレビの前に持っていって、床に膝をついて、ゲーム機、ケーブル、テレビを繋いで、テレビのスイッチを入れた。簡単なリモコン操作で出てきたテレビ画面上の「初期設定を終了します」で「はい」を選択して決定した。
簡易化された手術室のような部屋にいる父の姿が、父の足裏の方向から映し出された。
職員が座ったまま首だけ振り向いた。
「設定できました。ゲームの説明は画面に出せますが、難しくはないのでやりながらリモコン操作でなんとかなると思います」
「はい」
毬子は画面の色彩を構成するデジタルの光の粒を瞳に吸い上げるように見つめた。
窓の外は快晴だった。薄く筆で刷いたような細い帯の雲が一つ浮かんでいるだけで、青く広がって澄んでいる。最近はずっときれいに晴れた日が続く。
毬子は、麦茶をまた冷蔵庫から出して、一応二人分コップに入れた。
「麦茶、よかったらどうぞ」
テーブルに置いたグラスに対して職員に向かって手振りで促して勧めた。さっき冷蔵庫に入れた麦茶がもうピッチャーの三分の一に減っていた。
「ああ、ありがとう」
所作のきれいなロボットみたいに膝を伸ばして立った職員が麦茶に口を付けた。既に自分のグラスを飲み干していた毬子は頭を掻きながら、テレビ画面の方を向いた。
「やり始めていいんですよね?」
「うん。出来れば今日中に終わらせてほしいかな」
「はい」
テーブルの上に置かれたリモコンに毬子は目を落とした。職員はそれを持ち上げて毬子に差し出す。
毬子はそれを受け取って椅子に腰かけた。
取り敢えずリモコンで右左、母の部屋にも画面を切り替えたりして、それからまた父に戻し、視点の変え方、道具の持ち上げ方、扱い方を学ぶ過程で裸の父親の左の脇腹に包丁を刺した。「ほうあうあうああああ。いいいい」という叫び声がテレビから上がった。
妙に太い毛の毛穴の多い身体だなと思った。この汚い男に汚い欲動を向けられていたと思うと腹が立って情けない。父に触れられた耳や腰が怒りと恨みの情で熱を持ち出した。
私は人間じゃない。
人間じゃなくていい。
父親の陰茎をあっさり切り落とした。画面上にゴミ箱はなかったので、床に落とした。腐って黒ずんで用のない果物のバナナみたいなものを床に落とした。
毬子の唇の端が歪んで、笑みにも似た複雑な表情をした。お腹が満たされていくような落ち着きが湧いてきた。
容易く慣れたリモコン操作で、そのまま包丁で両耳を削いだ。父は叫んだ。毬子は「怖くなくていいな」と思った。
外に雀が鳴く声がした。
包丁を横の台の上の盆に戻した。
画面下部にリモコンで操作できる矢印を置いて、「オーダー欄」を表示させた。いろいろとスクロールして「直径5センチ鉄球」を選んだ。三分ほど待った。毬子は背後にいる職員の方を向いた。
「すいません。選択した道具っていつ出てきますか?」
いつの間にやら台所で何か手を動かしている職員はこっちを振り向いた。
「ああ。五分くらいで出てきます」
毬子は一旦画面に目を戻してから、立ち上がって職員のそばに寄った。
「何、してるんですか」
職員の手元に目を落とすと、何故か白菜を切っていた。
「ああ。ごめんね。冷蔵庫開けたら、白菜萎びかかってたから漬物にしようと思って。ごめんね、勝手なことして。塩漬け好き?」
「はい。好きだと思いますけれど。わざわざどうも」
毬子は冷蔵庫の麦茶をまた一杯飲んだ。
「飲み物足りてる?」
職員に聞かれて、
「ああ、麦茶無くなったらもうなんもないです。ちょっと外出てきていいですか? ゲームはちゃんと今日中に終わらせられるんで」
「私買ってくるよ。お昼ご飯はどうする? 何か作ってあげようか?」
「いいんですか?」
「うん。『ビーフストロガノフ』とかでいいかな?」
それを聞いた途端、口から唾が湧いて、また喉が渇いた。
「はい。ありがとうございます。飲み物、二、三本買ってきてもらっていいですか?」
「うん。分かった。ちょっと待ってこれ皿に入れて、小皿で押し潰して漬けてから」
皿の中で塩を振られた切った白菜の山に、職員はちょうどいいサイズの小皿を載せて重しにした。
手を洗って、
「じゃあ、ちょっと行ってくる。中から鍵掛けてね」
「はい」
毬子は薄く微笑んで返事をして、職員が靴をごそごそ履いて外に出ていったら、そっと玄関の錠を閉めた。
ピッチャーの麦茶をまたグラスに注いで飲んで、麦茶は全部なくなった。
いつの間にか画面上の銀色の盆の上に鉄球が三つ現れていたようだ。
毬子は口腔内の壁を舌で回して舐めて、リモコンを手に取った。画面上の手で鉄球を摘まんで、父親の身体にしがみついて残されている陰茎の切り口にじわじわとそれを押し込んだ。まさしく言葉にならない悶絶の悲鳴が上がった。そこから急速に血が滲んで溢れ出した。
赤黒くて、畜殺の工場で巨大な塊肉を細かく卸して行く時の血の色が重なった。




