走りながら書く派か、永遠に推敲する派か――除雪で分かった話
降ってきた。
そして――この雪は積もる
こんにちは。雨日です。
三連休の日曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日は町内行事を終え、午後になると、しんしんと雪が降り始めた。
やだ、やめて。
雪が降ると――小説が書けなくなる!(←それ?)
◇ 雪国の書き手
冬は創作が滞る。
雨日が住んでいるところは、本気の降雪地帯だ。
もちろん、備えはしておる。
けれど、雪が降り積もると、とにかく時間が足りない。
書き手の人なら、きっと分かると思う。
皆、忙しい。
仕事、家事、育児、介護。
その合間を縫って、小説を書いているのだ。
そこに、除雪作業が上乗せされる。
今夜は気温が高い。
つまり、重く湿った雪になる。
・・・重いんだよね。
雪が降っても、普通に仕事はある。
だから、創作時間は、あっという間に削られていく。
◇ 性格が如実にわかる除雪
そして、除雪作業は、
驚くほど、その人の性格が滲み出る。
雨日と子どもは、適当な性格がそのまま表に出る。
「人が通れれば良いでしょ」
「車さえ出せれば良いでしょ」
そう主張しているかのような、雪の始末をする。
雪のない地域に住んでいる読者様にも、少し想像してほしい。
どうせ、春になれば消える雪なのだ。
適当に処分しても、良いよね?
・・・と、思ってしまう。
けれど、家族は違う。
きっちり、徹底的にやる。
地面が見えるほど、雪を片付ける。
それこそ、容赦なく。
「もう、良くね?」
雨日が子どもに耳打ちするほど、きれいにする。
数時間後には、
その除雪がなかったことになるほど雪が積もっても、だ。
◇ だから・・・か。
こういう、綺麗好きな人が家庭内に一人いると、とても助かる。
散らかす → 雨日、子ども
片付ける → 家族(ただ一人)
除雪作業において、
家族の几帳面さは、本当にありがたいな、と思う。
そして、ふと思った。
雪の始末の仕方は、小説の書き方に似ている。
◇ 雪かきと、物語
雨日も、そして子どもも
(子どもは小説ではないが、創作活動をしている)
周囲を見ずに、ただ闇雲に物語を進めるタイプだ。
書きながら修正し、修正しながら、また書く。
目隠しをした猪のように、とにかく前へ進む。
雨日の場合は、サイトを更新することがそれにあたる。
とにかく、どんどん書き進める。
特に処女作は、公開してから何度も書き直している。
走りながら更新し、折を見て、編集を繰り返す。
創作を続ける限り、
「満足できる作品」なんて、きっと存在しない。
公開した瞬間で終わりではない。
今の連載も、公開前に十回以上読み直してから出す。
そして、公開後もまた読み直し、
少しでも良くするために、手を入れる。
それでも、誤字脱字が多い!
編集・・・むいていない
これは、書籍ではできないことだ。
一度、活字になってしまえば、
自分の文章を編集することはできなくなる。
雨日も、書籍化した本を読み返して
「あそこを、こう書き直せばよかったな」
と思う箇所が、いくつかある。
だからこそ、
即座に修正できるのは、ネット小説の大きな魅力だと、本気で思っている。
・・・少し話がそれた。
闇雲に除雪をして、あとで軌道修正をする。
その性格が、除雪にも、はっきり現れる。
一方で、家族は違う。
美しい除雪を、きっちりと行う。
除雪機を使い、
スコップを使い、
スノーダンプを使い、
何度も、丁寧に。
「もう、良いって」
雨日や子どもがそう言っても、黙々と作業を続ける。
――こういう性格だから、
小説が一話も更新されていないのだ。
五年間も取り組んでいるのに。
――もっと良いものを書きたい。
――もっと良い文章を届けたい。
その想いが強すぎて、永遠に改稿を続けてしまう。
書き手にとって、
どちらが良いのかは、分からない。
それは、二十年後くらいに分かることなのかもしれない。
ただ一つ確かなのは、
雪国で暮らす人間にとっては、
除雪に関しては、家族の方が圧倒的に評判が良いということだ。
明日の朝は、大雪らしい。
それに備えて、
雨日は、本日の午後に猛烈に小説のストックを作った。
その先の展開は――
除雪をしながら、考えようと思う。




