2時間の労働が「なかったことに」 ――雪国で、小説と漫画をつくるということ
明けましておめでとうございます。
雨日です。
お正月、いかがお過ごしでしょうか。
今日は少し、いつもより真面目な話を書く。
正月なので、許してほしい。雪で疲れた。
◇ 2時間の労働が「なかったことに」
元旦早々、引くほど雪が降り続いている。
仕事が休みだというのに、小説を書くペースはなぜか落ちている。
それは除雪作業があるから。
朝、一晩で三十センチ以上積もった雪を、
シャベルとスノーダンプという雪国必須の器具を使って除雪する。
家族は除雪機を操る。
二時間ほど作業して、ほどよい疲労と達成感を得る。
――これで今日は大丈夫だろう。
そう思った五時間後。
先ほどの作業は、きれいさっぱり「なかったこと」になっていた。
雪は、朝よりもさらに深く積もっている。
「・・・どういうこと?」
思わず呟き、立ち尽くす。
けれど、怒ることも嘆くこともなく、静かに受け入れる。
そしてまた、黙って除雪を始める。
休日はこれを一日に数回。
仕事がある日は、出勤前と帰宅後にも除雪をする。
雪国の冬は、「やったことが消える」世界だ。
◇
雨日が暮らす土地は、漫画家が多いと言われている。
ちなみに、小説家はあまり聞かない。
小説家に比べると、漫画家は派手な存在に見える。
だが実際は、派手どころか、想像以上に地味な作業の繰り返しだ。
身近に漫画を描いている人がいる。
見ていると分かる。
あれは、小説とはまた別の次元で、途方もなく根気がいる。
一本の線を引く。
納得がいかなければ消す。
また引く。
直す。
今は、エキタブを使って描く人も多い。
修正も拡大も、昔よりずっと簡単になった。
けれど――
ページを進める前に、何度も立ち止まることは変わらない。
線を引いては消し、消しては引き、
「これでいいのか」と自分に問い続ける。
技術が進んでも、
一日かけて進むのは、ほんのわずかだ。
それでも、やめない。
誰に褒められなくても、評価されなくても、
黙々と、積もるように描き続ける。
――雪と、よく似ている。
◇
漫画家に求められるのは、画力だけではない。
話の構造。
感情の流れ。
コマの間。
視線の誘導。
どこで息をさせ、どこで止めるか。
読者が「自然に読めた」と感じるその裏で、
数え切れない選択が積み重なっている。
上手く描くことと、
読ませることは、まったく別の技術だ。
線が上手いだけでは足りない。
話が面白いだけでも足りない。
絵と物語と時間を、
一枚の紙の上で同時に成立させなければならない。
しかも、それを「意識させずに」やらなければならない。
だから漫画は、派手に見えて、ひどく地味だ。
◇
小説を完結させるのも、決して簡単ではない。
けれど、漫画を完結させることは、さらに難しいと感じている。
雨日は一年と四か月ほど前に、
「小説を書こう」と思いつき、書き始めた。
もし、同じタイミングで
「漫画を描こう」と思っていたとしても、
この年齢から始めるのは、きっと現実的ではなかっただろう。
小説と違い、漫画は出版社への持ち込みを歓迎される世界だ。
その点は、正直、少し羨ましい。
けれど、
ネームを切り、構図を考え、
線を引き、修正し、
物語と絵を同時に完成させていく工程を思うと、
その羨ましさは、静かに薄れていく。
羨ましいと思う気持ちは、
知れば知るほど、
尊敬に近いものへと変わっていく。
あれは、
ただ描きたいという気持ちだけでは、
最後まで辿り着けない仕事だ。
◇
雪国に創作者が多い理由は、きっとここにある。
消えることを前提に、積み重ねることをやめない。
派手さよりも、持続。
才能よりも、継続。
それは、燦々と太陽を浴びる場所では、
必要とされない強さなのかもしれない。
毎日、鉛色の空を見上げ、終わらない雪かきをする。
何度消えても、
また積もると分かっていても、手を止めない。
雪の中で育つのは、そういう人間なのだと思う。
このエッセイを書き終えたら、雨日は再び、除雪を始める。
スコップを持ち、雪を捨てながら、次の小説の展開を考える。
腰も、腕も、正直かなり痛い。
けれど、自分よりも、もっと年上の人が頑張っているから文句を言えない。
そして、作業中に家族との小さな小競り合いが起こることも、
すでに織り込み済みだ。
それでも、雪を除け、物語を進める。
書いて、描く。
春になるまで。




