才能がないから書き続けたら、Googleが評価してくれた
才能がないから書き続けたら、Googleが評価してくれた
こんばんは。雨日です。
雨日の地域は大荒れの天気。
いよいよ冬がやってくる。
皆さんの地域はいかがでしょうか。
今日は、ふと思い立ってGoogleで自分の作品名を検索してみた
という話を書く。
◇ 異常と言われた文字数
雨日が「小説家になろう」で書き始めて、気づけば 一年と一ヶ月 が経つ。
昨夜、家族に伝えた。
「明日、短編を上げるよ」
すると返ってきたのは、怪訝な顔。
「また?」
「そうだよ。週に1回、短編を更新したい。」
これは約3ヶ月前から続けている習慣。
調子がいい時は 週2本 上げることもある。
これから、仕事の繁忙期になるのでペースは落ちるかも?
家族は言った。
「は?そんなに短編を書いてどうするんだ」
「息抜きだよ。小説の息抜き」
「小説の息抜きは、このエッセイじゃないの?」
「違うよ。テレビを見て疲れる時に、YouTubeを見るでしょ?
あの感覚なんだよ、短編は」
家族はため息まじりに言い捨てた。
「全くわからない」
◇ 計算してみたら
短編を書き始めて、まだ 3ヶ月。
でも数えてみたら、
24本、合計16万9千文字 書いていた。
そしてふと、
「じゃあ、なろう全体ではどのくらい書いたんだろう」と
400日分を計算してみたところ――
連載
エッセイ
短編
この三刀流で書いた文字数は
合計 171万9千文字。
ちなみに、連載だけで 155万字 。
この数字を家族に見せたところ、ぽつりとつぶやかれた。
「・・・狂っている」
◇Googleで自分の作品名を検索してみた
家族に「狂っている」と言われた日。
なんとなく気になって、
Googleで自分の作品名を検索してみた。
「秘密を抱えた政略結婚」
と入力して、検索ボタンを押す。
正直、“出ないだろうな” と思っていた。
なにせ、バトルでも、転生でも、ざまぁでもない。
重いし長いし、地味に血が流れる大河だ。
そして、「政略結婚」というフレーズは、よくある。
なろうでも、商業作品でも、掃いて捨てるほどある。
でも――
1番上に、自分の作品が出てきた。
◇Googleで“作者名”雨日を検索してみた
調子に乗った雨日は、「雨日」と検索してみた。
それも、一番上に、自分の作品が出たのだ。
雨日は思わず、スマホを二度見した。
「え?乗っている!」
「雨日」は天気予報のページに出るのに。
きちんとなろうの作品が出てくる。
試しに、もっと有名な作家さんたちの名前で
同じように検索してみたけれど、トップに出てこない人もたくさんいた。
◇ Googleで“店名(ブログHN)”を検索してみた
雨日は試しに、自分のブログのハンドルネームを
Googleで検索してみた。
雨日のブログのハンドルネームは、
自分が運営しているお店の名前でもある。
だから少しだけ期待があった。
このハンドルネームで検索して、店舗の名前が出たらいいな。
そんな淡い希望を胸に、検索ボタンを押した。
すると、結果は 2位 だった。
1位は――一部上場企業の会社。
(同じ名前なんだよね。勝てるわけがない)
でも不思議だったのは、その次だった。
2位に表示されたのは、
店舗のホームページではなく、雨日が毎日更新しているブログだった。
3位は大手ネットショップ。
そこから検索結果をスクロールして、
ようやく 2ページ目 に
自分の店舗のホームページが出てきた。
つまり、
お店のホームページより、
個人で書いているブログのほうが検索順位が高かった。
一人で更新している文章が、企業サイトよりも上に来ている。
その事実に、雨日はしばらく画面を見つめた。
◇検索上位に上がる仕組み
雨日は小さなお店を運営している。
とはいえ、SEO対策なんてまったくしていない。
そういうものに長けているタイプでもない。
けれど、
Googleで検索結果の上位に上がる仕組みは知っている。
ちょっと難しい言葉でいうと
“オーソリティ(権威)化” と呼ばれるものだ。
たとえば、こんな条件が積み重なると上がりやすい。
•読者が何度も読み返している
•SNSやブログからのアクセスが増えている
•更新頻度と文章量が圧倒的
•検索からの流入が増えている
•サイトそのものが「探す価値のある存在」になっている
こうした要素が組み合わさって、初めて検索上位に表示される。
でも、雨日は特に対策していない。
ブログも、小説も全くしていない。
(ホームページはしている。業者に任せているから)
バズっているわけでもない。
小説家になろうのランキングも、たまにひょっこり顔を出して、
「失礼しました」と速やかに去るタイプだ。
(ちなみにブログは、ランキング上位に上がることが多い←自慢だ。たまには許してほしい)
それなのに検索結果で上位に出るのは――毎日、書き続けているからだ。
雨日はブログをほぼ 20年近く、毎日のように更新している。
その辺をGoogleさんが評価をしてくれた。
だから結果として、
楽天やAmazonよりも上に出る という不思議な現象が起きていた。
「積み上げる」とは、
こういうことなのかもしれない。
◇俺について来い系の小説(需要なし)
家族にそのことを話すと、
また例の一言が飛んできた。
「だから狂っているんだよ」
それしか語彙がないのか!
頑固者!
・・・まあ、いい。
家族よりも Google が雨日のことを認めてくれたのだから、
それで十分だ。
読まれていないと思って書いてきた文章たちが、
検索エンジンの世界では「存在」 として扱われている。
雨日は “受ける小説” を書く才能はない。
しかも、思考はマニアックだ。
読むと体力を奪うタイプの作品ばかり。
例えるなら、昭和の頑固親父。
(令和では絶滅危惧種)
「俺について来い」 型の物語なのだ。
口当たりの良い小説ではなく、ガチガチに固い。
その結果、読んでくれる人は狭く、細く、深い。
――でも、それでいい。
才能がないなら、書き続けるしかない。
それしか、上に向かう道がないのだ。
だから今日も、
「スランプだ」とつぶやきながら机に向かって文字を打ち続ける。
そしてふと思う。
「存在しているって、検索が教えてくれるんだな」 と。
このエッセイを読んでいる方の中には、小説を書いている方も多いと思う。
気が向いたら、ご自身の作品名でもそっと検索してみてください。
意外なところに、あなたの“足跡”が残っているかもしれない。
検索は、時々、あなた自身より先にあなたの努力を見つけてくれる。
※ 後日談
家族から、また噛みつかれた。
「また共感を得られないエッセイ書いてる!」
「これ自慢じゃん!」
「書きたいと思っても書けない人の気持ち分かる!?」
雨日の“書いている日常”が
“書けない家族”の心をえぐったらしい。
次回は、家族の話を書く。
四年かけてもまだ第一話の改稿をしている家族の小説。
書けない苦しみと、書きたい気持ちの狭間で揺れる物語。




