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神殿に着くと優しそうな神官が出迎えてくれた。『生贄』という割には接し方はとても丁寧で、神殿内を一通り案内すると、最後にはこれから自室となる部屋を紹介された。白で統一された部屋は思っていたよりも広く快適に過ごせるよう作られていた。
『もうすぐ生贄になるから神殿なりの配慮ということなのかな?』
エリザは一人になった部屋でそんなことを考えながら、風呂に入り服を着替えた。部屋を出ると待ち構えていたように、先程の神官が立っていた。神官はまたもニコリと笑うと、案内したい所があるとエリザを大聖堂へと導く。
「アルト殿下。こちらがこれからあなたと寝食を共にする方々でございます」
黒い髪に青い瞳を持つ少年は落ち着いた様子でエリザをじっと見つめ、薄茶色の髪に緑の瞳を持つ少年は興味がなさそうに本を読んでいた。黒い髪に褐色の肌、黄色の瞳を持つ少年は腕を組んでエリザを見定めている。そして最後に銀色の髪にピンクの瞳を持つ少年は一見女の子の様に愛らしい見た目で俯いていた。個性豊かな四人組はそれぞれ他の国の王子だと紹介された。
ブルーパール王国・第三王子ローラン。グリーンパール王国・第四王子ウィルザーク。イエローパール王国・第一王子ミカゲ。ピンクパール王国・第十一王子レオ。
「そしてこちらがレッドパール王国の第一王子であらせられますアルト・レッドパール様でございます」
エリザが頭を下げてみるが全員無反応であった。唯一レオだけは少々遅れて頭を下げる。前途多難だとエリザは思った。
「全員揃いましたかな?」
杖をついた神官と女性の神官が現れる。杖をついた神官は「大司教様」と呼ばれ、エリザの方に顔を向けた。
「アルト殿下。長旅ご苦労様でございます」
「到着が遅れてしまい申し訳ございません」
「とんでもございません。むしろ、どの国もこんなに無茶なことをよくぞ聞いてくださった。少し早すぎるくらいじゃ」
大司教の言葉はどこか棘があるようにエリザは感じた。無論、それはエリザ達に対してではない。
大司教は後ろに控えていた神官、シーナ司教に目配せをするとシーナは軽く挨拶をし大司教に代わって話を始める。
シーナは薄い赤髪に眼鏡が似合う綺麗な女性であった。
「皆様には神託はこう伝えられていることでしょう。『選バレシ神ノ血ヲ引ク者ハ生贄トナリ身ヲ捧ゲヨ』。しかしそれは、私達があなた方をお呼びするための方便でございます」
これには全員が目を見開き、驚きの表情を見せる。
「私達が受けた信託はもうじき起きるであろう災いのこと。そして、それを打ち砕く英雄達について。つまり皆様のことです」
シーナは眼鏡の位置を直し、更に話を続ける。
「災いが起きるのは五年後です。それまでに、どうかあなた方にはそれに対抗する力をつけていただきたい。しかし、勝手ながら英雄の育成をそれぞれの国に任せるのは不可能だと私共は判断いたしました。そして英雄としてあなた方をここに集めるとなると、腐敗しきった国の者達の邪魔が入ってしまうことを懸念し、そのように発表したのです」
皆思うところがあったのか、目を背ける者、体をギュッと抱きしめるも者、反応は色々であった。エリザは王弟の顔を思い出し、怒りに手が震えていた。
「そのせいであなた方を傷つけてしまったことは心から謝罪いたします」
シーナは深々と頭を下げた。長い沈黙が大聖堂内に流れる。
痺れを切らしたウィルザークが「もういいから頭をあげろ」と言うまで、シーナは微動だにしなかった。
頭をあげると、シーナは五色の綺麗な石を取り出した。
「ここに、五つの鉱石がございます。十二年前、この石が強い光を放ちました。十二年前の春。ウィルザーク殿下がお生まれになった日でございます」
シーナはウィルザークの方に顔を向けた。ウィルザークは目を見開き、驚きの表情を見せる。
「他の石も皆様が誕生された日に強い光を放ちました。きっとこれがあなた方のお役に立てるはず。それだけではございません。伝承によれば、神の血を有する人間には代々不思議な力が宿ると言います。皆様にはその力を何とか発現していただきたいのです」
そこで、ローランが手を挙げた。シーナは質問を促す。
「不思議な力とは具体的にはどんな力だ?」
「それは私にも分かりません。神殿に伝わる書物によれば、ある時は万物の声を聴き、ある時は風よりも早く走り、ある時は全てを魅了する歌を奏で、ある時は全てを壊す力を手にし、ある時は全てを見通す力を得る、と」
皆が難しい顔をしている中、エリザだけは違うことを考えていた。
「それ、僕できるよ」
全員の視線がエリザに集中する。
「何でも見通す力でしょ。僕の目はこの壁の先のもっと遠くの方も見えるよ」
先程まで冷静に話をしていたシーナがすごい勢いでエリザとの距離を詰めると、少し興奮気味にやって見せて欲しいとせがんだ。
エリザは前のように指で輪っかを作り、片目に当て、そして力を込める。
「これはキッチンかな?ご飯の準備をしてるみたい。んー、でも一人悪い子がいるね。皆に隠れてつまみ食いしてるよ。三つ編みの女の子」
するとシーナは走ってどこかに消えていった。そしてすぐに帰ってくると、エリザの言葉が全て当たっていたことを皆に告げた。
「ア、アルト殿下。失礼でなければ、どのようにしてその力を発現させたのかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「んー、って言っても思い当たることは特にないんだよね」
「小さな事でも、何でも構いません!」
「んー……、あ!そういえば、力が発現する前、すごく体調が悪くなって一ヶ月くらい寝込んでたことがあるんだ。その時に変な夢を見て白い光みたいなのに触って…、そうしたら力が使えるようになったんだよ」
「もう少し具体的に何かございませんでしょうか?こう…特別な訓練をされていたとか!レッドパール王国に伝わる秘伝の技術とか!」
「んー強いて言うなら」
「強いて言うなら?」
「規則正しい生活とバランスの取れた食事。それと毎日体をいっぱい動かすことかな。僕、弓は毎日千本以上撃ってたし」
その言葉に絶望する者が二名、そんなことでと驚く者が一名、早速訓練メニューを頭の中で計算し始めた者が一名いた。
シーナは目をキラキラと輝かせ自分の研究成果が一歩前進したことを大層喜んだ。
シーナが明日からのスケジュールを組んでくると勢いよく大聖堂を飛び出していき、大司教は呆れながらもその後ろ姿を微笑ましく見ていた。
「それでは皆様。明日、日が昇る頃またここに集合してくだされ」
大司祭が出て行くのと入れ違いで今度は神官達がエリザ達の自室へ案内しようと数名入ってくる。
「この後は僕達自由時間なの?」
エリザが問うと神官は肯定した。
「なら、五人で遊びに行って来てもいい?」
「ええ、構いません」
今にも自室に帰ろうとエリザに背を向けていた四人が同時に振り返る。
エリザは満足そうに笑っていた。
「遊ぶったって何をするんだよ」
ミカゲは不服そうにエリザに問う。エリザは「んー」と少し考える素振りをしてからすぐにパッと明るい表情でミカゲと目を合わせた。
「皆のお気に入りの場所に連れて行ってよ」
「付き合ってられないな」
帰ろうとするウィルザークの腕に抱き着くようにしてエリザは引き止めた。
「どこ行くの!」
「帰るんだよ」
「なんで!?」
「くだらないからだよ」
「えー。年上のくせにワガママだなぁ。じゃあ何して遊ぶかウィルが決めていいよ」
「僕はウィルザークだ。それと僕は内容が気に食わないんじゃない。このおままごと自体が気に食わないんだ。時間の無駄だ。離してくれるかな?」
「いーや!」
エリザの子供の様な振る舞いにウィルザークは仰天する。その隙を狙ってエリザはウィルザークの腕を引っ張ると強引に『みんなのお気に入りの場所ツアー』を開催した。
まずはミカゲが四人を聖騎士の訓練場へ案内する。
「おお!訓練中だ!」
主にエリザが興奮気味で食い入るようにその訓練を見ていると、若い聖騎士の青年がお菓子をくれた。
エリザが素直にお礼を言うと聖騎士は子供にするようにその頭を撫でる。勿論エリザもされるがまま、嬉しそうにしていた。
いたたまれなくなったのかウィルザークがエリザの首根っこをひっ捕まえてその場を離れるまでエリザは聖騎士達と楽しそうに話していた。
「おいおい。お前今、あの子の頭撫でてなかったか?」
「ああ。可愛い子だったな。新しい見習いの子かな?」
「多分どっかの国の王族だぞ。あいつら全員」
「えっ!じゃああの子達が例の…ってことは俺、王子様の頭撫でてたのか!?」
「神殿の外だったら首が飛んでてもおかしくねぇぞ。しかし、俺達みたいなのに触られることを拒絶しないなんて」
「ああ。なんだか王族っぽくない王子様だったな」
次に向かったのはたくさんの書物が陳列された図書館だった。ここはウィルザークの勧めである。
「わぁ!本がいっぱい!」
「当たり前だろ。図書館なんだから。おいこら走るな」
目を輝かせながら今にも走り出しそうなエリザをウィルザークが捕まえる。さながら散歩中の犬と飼い主のようであった。
「ローランもよく来るの?」
ウィルザークに怒られたばかりなので、できるだけ小声で話しかける。ローランはこくりと肯いた。
「神殿にしかない珍しい本もあるから」
「へぇ。例えばどんなの?」
ローランがいくつもの本の名称を機械のように羅列していく。しかし長く難しいタイトルをエリザが分かるはずもなく、何度も「もう一回」「今度こそ」と繰り返させることとなった。ローランもそう言われるたびに同じことを繰り返し、その様子があまりにもおかしくてミカゲとレオは笑いを堪えるのに必死であった。ウィルザークはやはりここでもいたたまれなくなって今度はエリザとローランの首根っこをひっ摑んで次に行こうと提案する。次はローランが自らの部屋に案内した。
「お前、自室って…」
呆れるミカゲにローランは何ともないような顔で「ここにいる時間が一番長いから」と返した。
「お邪魔します!」
皆が入るのを躊躇う中、エリザは無遠慮に入室した。ローランは他の三人にも入るよう促し、渋々足を踏み入れる。
「部屋の広さや間取りは俺の所と変わらないな」
「なら、皆同じなのだろう。僕の部屋も大して変わらなかった」
「お部屋がすごく綺麗だね」
ミカゲ、ウィルザーク、レオがそれぞれ感想を言い合う中、エリザは一人で静かに窓の外を見ていた。
気になったローランが「何を見ているんだ」と訊ねるとエリザは窓から目を離さずに、うっとりとした表情でローランの質問に応える。
「ローランがここをお気に入りの場所だって言ったのが分かる気がして」
気になったミカゲ、ウィルザーク、レオもエリザの近くに集まり外を見る。そこからは神殿の花畑とそこを訪れる者たちの笑顔がよく見えた。
「ね、綺麗でしょ?」
そう言って後ろにいたミカゲ、ウィルザーク、レオの方にエリザが顔を向ける。そのエリザの笑顔が何よりも綺麗でつい三人は目を逸らしてしまった。隣にいたローランは相変わらず無表情のままである。
「俺はそんな理由でここを選んだ訳じゃない」
「そうなの?」
「ただ、部屋にいる時間が長いから」
「そうなんだ。じゃあ、好きな理由がもう一つ増えたね」
ローランは何も言わなかった。しかし、エリザのその考え方は自分にはないものだと思っていた。
最後に訪れたのは、レオが案内してくれた神殿の裏庭だった。東屋と小さな噴水、そして木々と花々に囲まれた可愛らしい場所だ。
エリザは目を輝かせ、一番に東屋の席についた。それを追うように他の四人もエリザに倣って席に着く。
「レオすごいね!こんな素敵な所見つけるなんて!天才だよ!」
「褒めすぎだよ」
ちょうど五人のお世話係の神官が通りがかり、お菓子とお茶を持ってくると提案してくれた。その間、歓談をすることになるが誰も自ら話そうとはしない。唯一エリザだけが話役を進んで引き受けていた。
「それじゃあ、ミカゲとレオは僕とローランの一つ年上なんだね」
「そういうことになるね」
「あ、今更だけど敬語使って欲しい?」
「本当に今更だな」
「ウィルは生意気だから敬語使ってあーげない」
「生意気っていうのは年上が年下に使うものなんだよ」
「へぇ!そうなんだ!ウィルって物知り!」
曇り一つないエリザの目を見てウィルザークは溜め息をつく。嫌味などではなく、本心で言っているのであろう。こんなに純真無垢な人間にウィルザークは今まで出会ったことがなかった。
「僕はお前が嫌いだ」
「えー!なんで!」
ウィルザークの考えていることがミカゲとレオにも分かり、苦笑いを浮かべる。そんな他愛もない話をしている中、ローランが突然口火を切った。
「一つ、質問してもいいだろうか?」
ローランは真っ直ぐエリザを見ていた。エリザはどうぞと答える。
「君はレッドパールの唯一の皇太子だろう。なぜレッドパールは神殿からの要請を拒否しなかったんだ」
その場の空気が凍り付いたように感じた。それは、この場にいる誰もが聞かれたくない禁断の質問である。皆の表情が強張る中、エリザだけは先程の世間話の続きでもするようにあっけらかんと答えた。
「両親が叔父に殺されてね。その叔父が邪魔な僕を神殿に送ったんだ」
エリザとローラン以外の顔が一気に青ざめる。
「そうか。大変だったな」
マイペースを貫いていたローランもこればかりは少しばかり暗い顔をした。
「そうだね。僕ももうダメだと思ったよ」
エリザは相変わらず笑っているので、思わずミカゲが「なんでお前笑ってんだよ」と心の声が表に出てしまった。非難したかった訳ではない。壮絶な体験をしたにも関わらずそう見えないエリザの態度が気味悪くなったのだ。
「僕が笑ってるように見える?」
「だって、笑ってるだろ?」
「なら良かった」
「良かった?」
ミカゲだけでなく、ウィルザークとレオも困惑する。ローランはじっとエリザを見つめた。
「大丈夫。僕はおかしくなった訳じゃない。ちゃんと怒っているし、たくさん泣いたよ。だからその分、たくさん笑っていたいんだ」
エリザは空を見上げた。
「僕が笑っていないと心配してしまう人達がいるからね」
誰も言葉が出てこなかった。親を殺され、国を追われ、全てを奪われた十歳の少年が見せる横顔はとても美しく、そして儚く見えた。