27.作家たち
……翌日。
左腕の痛みから解放された俺は、ようやく学校へ来ることができた。
「いやー、ほんと一時はどうなるかと思ったよ」
俺はぐるぐると左の肩を回しながら、そう呟いた。
すると隣にいる長谷川が、「本当によかったです」と安堵した声で答えた。
「でも、しばらくは無理しないでくださいね。何かあるか分かりませんから」
「だな、そうするよ。ああそうだ、今日は俺、美術部の活動があるから、遅くなるよ」
「分かりました。なら、いつも通り図書室で時間潰しておきます」
「うん、ありがとうな」
そんな日常の雑談を交わしながら、俺たちは無事に学校へ着いた。
長谷川と別れた後、自分の教室へと歩いていく。
「中村くん」
その途中で、俺は倉崎さんから声をかけられた。彼女はなんだか嬉しそうに頬を緩めて、俺のすぐ隣に立った。
「よかった、今日は無事に来られたんだね」
「ああ、なんとかね。昨日はありがとう倉崎さん。わざわざ家まで来てくれるとは思わなかったよ」
「ふふふ」
倉崎さんは、くずくられたような笑みを浮かべると、「ねえねえ中村くん」と弾んだ声で尋ねてきた。
「今日もね、お弁当作ってきたから、ぜひ食べて欲しいな」
「ありがとう。本当に俺は、倉崎さんの世話になりっぱなしだ」
「ううん、いいんだよ。私がやりたくてやってることだし」
彼女があまりにも優しい眼差しを向けてくるので、俺は堪らずふいっと視線を逸らしてしまった。
ガララッ
教室に入ると、何人かのクラスメイトが俺の方へ目を向けた。
その内の一人は、牧平さんだった。
「やあナカムラくん。左腕の具合はもういいのかい?」
「うん、なんとかね」
「おお、それはよかった」
「昨日は部活来れなくてごめん。今日はちゃんと出るからさ」
「ははは、ありがとう。まあでも、無理をしないでくれ」
「うん、ありがとう」
牧平さんはニッと口角を上げると、さっと手を振って、自分の席に戻っていった。
すると今度は、浅井くんと丸岡から声をかけられた。
「中村、もう大丈夫なのか?」
「中村ー!!お前やっと来たかー!」
「おお浅井くん!丸岡!なんとか無事治ったよ」
「そうか、なら安心だな」
「中村カムバーック!イエ~!」
「ははは!イエ~!」
丸岡は俺へ肩を組んできて、右の拳を付き出した。
俺はそれに、自分の左手の拳をコツンとぶつけた。
「中村くん、お帰り~。左腕大丈夫ー?」
「礼仁郎ー!お前もう学校来ていいのかー!?」
そうして、いろんなクラスメイトたちが、俺へあたたかい言葉をかけてくれた。
正直、ちょっと驚いた。あまり喋ったことなかった人も、俺のことを心配してくれていた。
俺はみんなから具合を聞かれる度に、何度も何度も同じ説明を繰り返すけど、少しも辟易しなかった。「もう大丈夫だよ」とみんなへ返せることが、俺は本当に嬉しかった。
「………………」
変な言い方になるが、俺は右腕を失ってから、周りの人が優しいことに気がついた。
もちろん、苦しいこともムカつくことも、たくさんある。死にたいと思ったことだって何回もある。
だけどその分、こうして周りの人たちの優しさに救われてきた。苦しくて仕方ない現状だからこそ、その優しさが見えるようになった。
だからそのお陰で、俺も少しだけ……前よりも優しくなれたかも知れない。
中村 久子さんは「両手両足のない身体が自分を育ててくれた」とおっしゃっていたけど、今ならその言葉も少し……分かる気がする。
苦しい現実を生きるからこそ、他人の愛を知ることができるんだ。
「………………」
「……な、中村くん?どうしたの?」
その時、とある女の子が心配そうに、俺の顔を覗き込んできた。
俺はきょとんとして、「なにが?」と聞き返すと、彼女は苦々しい顔でこう言った。
「だって、中村くん、泣いてる……よ?どこか痛いの?」
「………………」
俺は、自分の頬に手を当てた。
ぬるりと濡れた感触が、指の腹に触れた。
ああ、本当だ。
いつの間に俺は、泣いていたんだろう。
「あっ、は、はは、ほんとだ、やべっ。なんで、泣いてんだろ、俺……」
俺は笑いながら誤魔化そうとしたけど、自分が泣いていたことを自覚した途端に、ぶわっと……胸の奥から激しい感情が込み上げてきた。
最初はぽろぽろという程度だったのに、いつしか目の前が滲んで見えなくなるほどに、俺は嗚咽していた。
「うっ、ううっ……ぐすっ……」
クラスメイトたちが、みんな俺のことを見ていた。
恥ずかしいからなんとか泣き止みたいのに、そう思えば思うほど、涙が眼から溢れ出た。
「うう、うっ……」
もちろんこれは、悲しくて泣いているんじゃない。
みんながあまりにも優しいから、ふっと何かの糸が切れて、それが溢れてしまったんだ。
長谷川に、倉崎さん。牧平さんやに浅井くん、丸岡。そしてたくさんの人たちによって、俺は生かされている。気にかけてもらえている。
こんなに嬉しいことはない。
こんなにありがたいことはない。
ふとしたことに泣いてしまうなんて、俺もまだまだ子どもだなと思うけど、こうしてふとしたことに涙できるのは、きっと幸せなことに違いない。
心配してくれるクラスメイトたちへ、「大丈夫、大丈夫だよ」と振るえた声で答えながら、俺は笑って涙を拭うのだった。
……キーンコーンカーンコーン
それは、三時間目の国語の時のことだった。
授業を終えるチャイムが鳴り、次の授業までのつかの間の休み時間が始まった。
クラスメイトたちは雑談に花を咲かせていたが、俺はその時、なぜか先生へ呼ばれていた。
「えーと、中村くん。ちょっとこっちに来てくれるかしら?」
国語の担当である三宅先生は、ちょいちょいと小さく手招きして俺を呼んだ。
なんだろうと思いながらも、俺は「はい」と答えて席を立ち、先生のいる教卓まで向かった。
「なんだ中村ー!?さてはお前なんかやらかしたなー!?いよいよ退学かー!?」
「るっせーな丸岡ー!俺はお前みたいなバカと違って優等生なんだよー!」
途中、俺と丸岡は互いに罵り合った。俺と丸岡の中にある、ある種のプロレスごっこだった。
「あの、すみません先生。なんでしょうか?」
俺は三宅先生の前に立って、彼女へそう問いかけた。三宅先生はニッと口角を上げると、「単刀直入に言うわね」と前置きしてから、こう言った。
「中村くん。あなた、文章に興味はない?」
「文章、ですか?」
「この前の春休みで出してもらった読書感想文……。あれね、とてもよかったわよ」
「!」
そう、この読書感想文は、俺が中村 久子さんのことを知ったきっかけになったものだった。
彼女の偉人伝説を読んで、俺は頑張って生きようと思えるようになった。そのことを、感想文へ赤裸々に書き連ねたのだ。
「誤字脱字も多いし、文法がおかしいところもところどころあって、まだまだ荒削りだけど……その分、小細工がないわ」
「小細工……?」
「自分の気持ちを、そのままストレートに書けている。あれはなかなかできることじゃない」
「そ、そうですかね?ただ単に、自分のことを書いただけですけど……」
「それをできる人が少ないのよ。誰だって、自分のことを良く見せたがるもの。でも、あなたは良いも悪いも、全部見ている。感情に嘘をついていない。あなたの感情が暴れる様は、異様な迫力がある」
「………………」
「あれだけ真っ直ぐに書けるのは、はっきり言って才能だと思うわ。事実私は、少し涙ぐんでしまったしね」
「!」
「あんなに感情を揺さぶられたのは、久しぶりだったわ。これはきちんと伸ばすべき才能よ。少なくとも、私はそう思う」
「………………」
まさか、ここまで先生にベタ褒めされるとは思わなかった。
なんだかまるで現実味がなくて、どことなく他人事のようにこの話を聞いていた。
先生は俺の読書感想文を息巻いて「よかった!」と言ってくれている。それ自体はもちろん嬉しい。でも、俺の書いた文章がそれほど特別なものだとはまるで思えなかった。
(でも、そうだ。牧平さんにも言われたっけな……)
『君の絵には、激しい憎しみを感じる。仄暗いネガティブを、ありのまま描いている。怒りも、憎しみも、そして哀しみさえも!』
(俺は、自分ではよく分かっていないけど、そういう……自分の感情を赤裸々に出すことに関して、本当に才能があるのかな……?)
同じような褒められ方を違う人から言われると、否が応にも意識してしまう。
「と、いうわけでね中村くん。今度、高校生向けに短編小説のコンテストが開催されるのよ。よかったら中村くん、参加してみないかしら?」
「え!?しょ、小説!?俺がですか!?」
「ええ。あなたなら、なかなか面白そうな作品ができそうでね。それで、声をかけてみたのよ」
「で、でも、今まで俺、小説なんて書いたことないし、上手く書けるか分かりませんよ」
「いいのよ、上手く書けるかどうかなんて、気にしないで。あなたはあなたらしいものを書けばいい」
「………………」
「どう?興味あるかしら?」
「………………」
俺は、口を真一文字にぎゅっとつぐんだ。
まさかのまさか、こんなところで新しい挑戦が巡ってくるなんて、思わなかった。
でも、せっかくならこれもやってみよう。なんだって挑戦してみよう。
俺の人生は、俺が楽しくするんだ。楽しいことには躊躇わずに食いつこう。
「……ぜひ、お願いいたします」
俺は先生の目を真っ直ぐに見て、ごくりと生唾を飲みながらそう答えた。
先生は満足そうに微笑んで、こくりと頷いた。
「……ほほ~、小説か。なるほど、また新しい表現への挑戦だね」
牧平さんはそう言って、自分のことのように、嬉しそうに笑ってくれた。
放課後の、16時ちょうど。俺と牧平さんは美術部にいて、静物デッサンを描いていた。
彼女の服装は、いつものとおり黒のタンクトップに白いチノパンだった。スレンダーな彼女には、このラフな格好が異様に似合う。
デッサンのモチーフは、リンゴとコップ、そしてくしゃりと折りたたまれた厚手の布だった。
ねりけしをコネコネしながら、俺は牧平さんへ「そうなんだよ」と答えた。
「でも、小説なんて初めてやるから、めちゃくちゃ緊張するんだよな……」
「ははは、そうだね。なんだって初めての時は緊張する。でも、きっと君ならできるさ」
「そうだといいけど……」
「どんな物語を書くのかは、決まってるのかい?」
「うーん、一応……1個だけ考えてみてるけど、それが面白いかどうか分からなくてさ」
「へえ!もう考えてあるのかい!?ちょっと内容を聴かせて欲しいな」
「ええ!?い、いや、まだ全然構想中だし、なんともなんだけど……」
「いいよいいよ!ナカムラくんの話は、なんだって聞きたい!」
牧平さんはやたらと声を弾ませて、俺にそう言った。
(む、むーん、どうしよう。これ、思いの外恥ずかしいな……)
自分で考えた物語を他人に話すのって、なんでこんな恥ずかしいんだろう……。描いた絵を見られる以上に照れ臭い。
(でも、牧平さんだったら、忌憚のない意見をくれそうだな。せっかく挑戦するんだから、しっかり批評してくれる人に話を聞いてもらうのは、いいかも知れない)
牧平さんは飄々としているけど、創作に関しては誰よりも真摯だ。そういう人の意見を、きちんと聞くべきだろう。
「え、えーとね、とりあえず、舞台はファンタジーなんだけど……」
「ほう?短編小説にファンタジーを?なかなか挑戦的なことをするね」
「主人公はジンっていう少年で、自分の記憶を売って生活しているんだ」
「記憶を売る?ふーむ、興味深い設定だね」
「よ、よかった。それで、タイトルは『記憶を売る少年』っていうのにしてるんだ」
「ふむふむ」
こうして、俺はデッサンの傍ら、彼女へ自分の小説のあらすじを語り始めるのだった。
【記憶を売る少年・全文】
https://kakuyomu.jp/works/16818792437916109694/episodes/16818792438096276472
「………………」
「ど、どうだった?」
一通りのあらすじを伝えた後、俺は一旦鉛筆を止めて、おそるおそる牧平さんの方へ目をやった。
心臓が、ドクドクと早くなっていく。ああ、自分の作った話の感想を聞くのって、こんなに緊張するものなんだな。
「……うん、うんうん」
彼女はこちらへ目を向けて、ニッと笑いながら、「凄くいいと思う」と答えてくれた。
「ほ、ほんと!?牧平さん!」
「うん、面白い」
「よ、よかった~!安心した~!」
俺は天井を仰いで、「はあ~!」と大きく安堵のため息をついた。
牧平さんは真摯な人だ、下手をしたらボロクソに酷評されることも考えていた。だから、こうして好評をもらえて、強張っていた肩がようやく解せた。
「君の小説は、やっぱり君らしい作品だね。残酷で、哀しくて、それでいて透明だ。君の人生観が開幕見えたような気がして、非常に興味深かったよ」
「へ、へへへ、そうかな?」
「うん。特によかったのは、ラストのオチだね。ボクは物語の構成に関しては専門外だが、このオチはかなりいいと思うよ」
「は、ははは、そんなに褒めないでよ~!俺、すぐ調子乗っちゃうから~!」
俺はるんるんるん♪と鼻歌を歌いながら、またデッサンを進めた。
「いやー!嬉しいな~!作品を褒められるって、やっぱり本当に嬉しいね!」
「うん、それはボクもつくづく思うよ。作品は、作家にとっては子どもも同然。なんなら、作家本人と言ってもいい」
牧平さんは鉛筆を置いて、すっと立ち上がった。
「作品を褒められるということは、自分の人生を肯定されること。作品に熱意を込めれば込めるほど、その度合いは上がっていく」
「うん、なんかそれは、俺もちょっとずつ分かってきた気がする」
「ふふふ、さすがナカムラくんだ」
そうして、牧平さんは俺の方へ歩いてきて、すとんと、俺の隣の席に座った。
「どうだい?デッサンの進捗は」
「うん、そこそこできてきたかな?」
「んー、どれどれ」
そうして牧平さんは、身体を屈めて、俺の横から絵を覗き込んだ。
その時、肩がすっと触れ合った。
俺はその時、少しだけ胸がドキッとしてしまった。
「うん、うん。いいね、どんどん上手くなってる。特に影の入れ方が上達してるね」
「ほんと!?やった、嬉しいな!」
俺は鉛筆を握り締めて、ガッツポーズをとった。
牧平さんはニコニコと微笑みながら、「ナカムラくんらしい、素直な絵だ」と呟いた。
「さっきの物語もそうだけど、ナカムラくんの作品は、いつも真っ直ぐだ」
「真っ直ぐ?」
「うん、自分の感情に真っ直ぐだ。嫌なことも、嬉しいことも、すべて作品に出てくる」
「ははは、先生からも同じこと言われちゃったな。二人から言われるんだから、やっぱり俺ってそーなんだろうなあ」
「……本当に、いい作品だよ。君の作るものは、全部いい」
「………………」
「一点の曇りもない。水のように透明で、澄んでいる。それが、羨ましい……」
「……あの、牧平さん?」
その時、彼女は朗らかな微笑みから、少し切なそうな笑みへと変わっていった。
その些細な変化に目を向けている内に、彼女はいつの間にか、俺と目を合わせていた。
「……ナカムラくん」
「う、うん」
牧平さんは、なんだか苦しそうに声を絞りながら、ぽつりと言った。
「……ボクは、君の作品が、好きだ」
「………………」
「………………」
……言葉にし難い緊張感だった。
それはまるで、校舎裏に呼び出されて告白されたかのような、そういう緊張感。
俺は何がなんだか分からなくて、ただ固まる他なかった。
ようやく口に出せたのは、たとたどしい「あ、ありがとう……」という言葉だけだった。
「………………」
牧平さんは、突然ハッと我に帰ったような表情を浮かべた。そして、「ははは!い、いや、すまなかったね!」と、少し大袈裟に声を張り上げた。
「なんだか、変に緊張感を与えてしまったみたいだ!ボクとしたことが!いや失敬失敬!」
「い、いやあ、俺は全然……」
「さてさて!ボクも君に負けてられないな!デッサンの続きをするとしよう!」
そうして牧平さんは、颯爽と自分の席へ戻り、また鉛筆を取ってデッサンを再開した。
俺も彼女に倣って、同じようにデッサンを進めようとしたが……どうにも集中できなくて、手が止まってしまった。
『作品は、作家にとっては子どもも同然。なんなら、作家本人と言ってもいい』
「………………」
『……ボクは、君の作品が、好きだ』
(い、いやいや!ま、牧平さんに他意はない!そういう意味の言葉じゃないはずだ!)
俺は目をぎゅっと瞑って、顔をぶんぶんと横に振った。
(牧平さんは、恋愛が嫌いなんだ。そういう風に俺が受け取るのは、彼女に対して失礼だ。きっと牧平さんだって、さっきの言葉をそんな風に受け取って欲しくないだろうから。さっ!デッサンに集中集中!)
俺はもう一度目を開けて、強引にデッサンに取り組んだ。
カリカリカリ、カリカリカリ
さっきとはうってかわって、俺たちは一切談笑せず、しーんと静まり返っていた。
鉛筆が画用紙の上を走る音だけが、美術部の中に木霊していた。




