24.想いの丈が募りゆく2
……どうしようとなく、俺は狼狽えていた。
倉崎さんに、まさかお弁当を作ってもらうことになるなんて、想像もしなかった。
恋愛ごとに疎い俺でも、倉崎さんから何かしらの矢印が向けられていることは、さすがに理解してきていた。
『理由がないと、ダメ……なの?』
『材料が余ってるとか、そういう理由がないと……中村くんにお弁当、作っちゃいけないの?』
倉崎さんからああ言われた時、俺は胸から心臓が飛び出そうなほどにドキドキしていた。
彼女のことが可愛くて仕方なかった。手を握りたい衝動にかられて、それを止めるのに必死だった。
もしこのまま上手く関係を築けたら、ひょっとしたら……倉崎さんと恋人同士になれるのかも知れない。
そうなったら、きっと本当に楽しいだろう。彼女はとても優しい人だし、幸せになれるだろう。
だけど、俺はそういう関係を築くことに……どこか足踏みをしていた。
理由は二つある。ひとつは、「俺なんかが倉崎さんの彼氏でいいのだろうか?」という不安。
学校イチ可愛いと噂の彼女が、俺みたいな人間と釣り合うとは……正直思えない。
俺はまだまだ半人前で、倉崎さんのことを幸せにできるほどの器は持っていない。情けない話だが、自分のことで精一杯なんだ。
恋人になるなら、自分ばっかりが幸せになっちゃいけない。相手のことも幸せにできるかどうか、そこをしっかりと考えなきゃいけないと、俺はそう思う。そこに関しての不安があった。
そして、もうひとつの理由は……。
「……先輩?」
長谷川が、心配そうに眉をひそめて、俺の顔を覗き込んでいた。
午後7時30分。俺は長谷川とともに、食卓で晩ご飯を食べていた。
彼女と一緒に作ったクリームシチューから、ゆらゆらと湯気が立ち上っていた。
「どうかしましたか?何か考え事ですか?」
「ん、いや……大丈夫、なんでもないよ」
「ほんとですか?」
「うん」
俺はそう答えてから、スプーンを使って、ぱくっとシチューを口にした。
「先輩」
「うん?」
「明日は、部活ありますか?」
「ああ、うん。明日は美術部の日なんだ。それから、明後日は陸上部の方に出るよ」
「分かりました。それじゃあ、明日明後日は先輩が終わるまで図書室で待ってます」
「うん、ありがとな」
「いえ」
「そうだ、この前言ってた映画だけど、今度の日曜日の、えーと、14時~16時の時間帯でチケットを買ったよ」
「ほんとですか?ありがとうございます」
「うん」
「先輩と映画観に行けるの、ゆず、楽しみです」
「……うん、俺も楽しみだ」
長谷川は口許を緩めて、俺に笑いかけてくれた。
ああ、やっぱり君は可愛いなと思うのと同時に、言葉にし難い罪悪感が胸の中に巣くっていた。
「あ、そうだ先輩。ゆず、ひとつ報告があって」
「おお、どうしたの?」
「ゆずたち二年生は、5月下旬に4日間の修学旅行があるんです。それで……しばらく一緒にいられなくなっちゃうので」
「ああ、修学旅行か!そういえば、二年生のこの時期にあるんだよな、うちの学校って」
「ごめんなさい。本当だったら修学旅行なんて行かず、先輩につきっきりでいるべきなんですけど……もうゆずのママが旅費を支払っちゃったみたいなので……」
「何言ってるんだよ。高校生の修学旅行なんて、人生で一回しかないんだから、存分に楽しんで来てくれよな」
「先輩……」
「俺も、部活だなんだと好き勝手させてもらってるからさ。長谷川も、自分が楽しいと思うことを、好き勝手やって欲しいな」
「……はい、ありがとうございます」
「うん」
「先輩に、たくさんお土産、買ってきますね」
長谷川は、またもやにっこりと笑ってくれた。
俺はさっきと同じように、彼女への表現しがたい罪悪感が、もう一度首をもたげていた。
その感情にいよいよ耐えきれなくなった俺は、咳払いをひとつし、「実は長谷川、俺も報告があるんだ」と前置きしてから、こう言った。
「あの、俺の親がいない間さ、お弁当は……倉崎さんが作ってくれることになったんだ」
「え?倉崎先輩が……ですか?」
「うん。親がしばらくいないって話を倉崎さんにしたら、じゃあ作ろうか?って話になって」
「……へえ、そうなんですね。さすが倉崎先輩、気が利く人ですね」
「う、うん、そうだな」
「………………」
明らかに、長谷川の表情が曇っていた。
口元は緩く微笑んでいるけど、瞳の奥は、言い様のない寂しさを隠しているように見えた。
「……え、えっと、なんかごめんな」
咄嗟に、謝ってしまった。
このまま沈黙を続ける勇気もなかったし、かと言って別の話題を強引に出すのも、なんだか違う気がした。
何について謝っているのか、正直俺もよく分かっていなかったけど……。
「……どうして、先輩が謝るんですか?」
さすがに長谷川もそこに疑問を感じたらしく、俺へそう尋ねてきた。俺はなんとも答えることができずに、「いや、まあ」と言葉を濁すばかりだった。
「………………」
なんで俺は、長谷川に罪悪感を抱いているんだろう。
なんで、倉崎さんからお弁当を作ってもらうことを、悪いことだと思っているんだろう。
「………………」
いや、止めろ。恥ずかしがるなって。誤魔化すな、自分の気持ちを。
長谷川のことも、倉崎さんのことも、可愛いと思っているからだろう?
どっちともに恋人の可能性を、感じているからだろう?
でもどっちかに決め切れずに、八方美人になって、曖昧な態度を取っているから、罪悪感が沸くんだろう?
(えーい!しっかりしろ!礼仁郎!)
俺は左手で、自分の頬をぎゅー!とつねった。
なんで自分なんかがこんなにも慕われているんだろう?と、そういう疑問は残ってしまうが、それは今は後回しだ。
俺が二人を、どう思っているのか。それをはっきりさせるのが、最優先事項だ。
「……?先輩、なんでほっぺたつねってるんですか?」
長谷川からそう訊かれて、俺はハッとした。
「あ、ああ、えーと、まあ……その、自分への活、かな……?」
「………………」
長谷川は、一瞬きょとんとしていたが、すぐにクスクスと小さく笑った。そして、「先輩は相変わらず面白いですね」と、どこか昔の……俺が事故に遭う前の彼女のような言葉を、ぽつりと溢していた。
それがなんだか嬉しくて、「ははは」と、声を出して俺も笑った。
……時刻は、午前5時20分。窓の外から、ようやく太陽が昇りだしたのが見えていた頃だった。
私は寝ぼけ眼を擦りながら、台所で中村くんと自分のお弁当を作っていた。
今回挑戦しているのは、ミートボールと肉じゃが。初心者でも比較的作りやすいものだとネットに書いてあったので、それをチョイスしてみた。
お箸については、中村くんはだいぶ使えるようになったみたいなので、そこは私も安心していた。
「えーと、じゃがいもの皮を剥いて、それからにんじんを……」
スマホでレシピを確認しながら、黙々と作業を進めていく。
料理自体は昔からちょくちょくやっていたので、さほど苦労してはいないが、お弁当を作るのは初めてだったので、念のためにレシピを観ていたのだった。
『い、いやいや全然!お、俺は……う、嬉しい、よ!』
『た、ただその、ちょ、ちょっとびっくりしちゃったかなって、そ、それくらい……かな?』
「………………」
強引、だったかも知れない。
いや、かも知れないどころか、だいぶ強引だった。
牧平さんに「暴走しかけている」と相談してたことが、もう現実になり始めていた。
(でも、私はああする他なかったんだ。長谷川ちゃんより自分を意識してもらうには、ああするしか……)
ネットの記事で読んだことがあるけど、男の子を振り向かせるためには、やっぱり今の時代も手料理がいいらしい。
となると、私が中村くんに手料理を振る舞えるチャンスがあるのは、もうお弁当しかない。
「う……ふぁ……」
いけない、眠くてあくびが出るのを止められない。包丁を持ってるっていうのに、これじゃ手元が狂っちゃう。
(しっかりしっかり!ちゃんとしないと、怪我するよ!)
私は一旦包丁をまな板に置き、両頬をぱちっと叩いて、自分に活を入れた。
そして、またコツコツと作り始めた。
……お弁当ができたのは、6時半を過ぎてからだった。お弁当箱に料理とご飯を敷き詰めて、しっかりと蓋をする。
そして最後に、お箸を入れる。これでようやく完成だ。
(はー……。お、お弁当って大変……)
目がしぱしぱして、落ち着かない。無事に終わった安堵感から、また眠気が私を襲ってきた。
お母さんから当たり前のように作ってもらってたけど、今度、いつもありがとうってちゃんと言おうかな。
「……中村くん、喜んでくれるといいな」
私はお弁当箱を撫でながら、彼が食べている姿をリアルに想像してみた。
あの可愛らしい素直な笑顔で「美味しい!」って言う彼のことを空想してしまって、胸がきゅんとなった。
「………………」
不意にその時、私は……変な気持ちにかられた。
中村くんのお弁当箱をもう一度開けて、彼が使うお箸を取り出した。
(……中村くんの、お箸)
口をつける先端部分を、私はじっと凝視していた。
……そしてそこに、私は少しだけ、唇を当てた。
「………………」
すぐに、自分のしていることがおかしいと気がついた。
「ちょ、ちょっと!わ、私ってばなにを!」
ジャーーーー!
大慌てで蛇口を捻り、すぐにそのお箸を洗った。
恥ずかしくて仕方なかった。
自分の情動にかられて、それを抑えきれなくて……あろうことか、間接キスを目論むなんて。
(ほ、ほ、ほんとに何してんだろ!?こ、こんなの、卑怯だって!)
相手が何も知らない状態での間接キスは、私にとっては卑怯なことだった。
たとえば、私が使ってたお箸を彼が「貸して欲しい」と言ってきて、私が快く貸したなら、正当な間接キスだと思う。それは、双方が了承を得ているから。
でも、相手の知らない内に間接キスをするのは最低だと思う。これは言うなれば、勝手に人のリコーダーを舐めるのと同じくらいに気持ち悪いことだろうから。
(うううう!き、気持ち悪い!私、気持ち悪い!)
あまりにも大きな罪悪感に襲われて、私は思わず涙ぐんでしまった。
念入りにゴシゴシと、スポンジと洗剤でお箸を泡立てて、それを冷水で洗い流した。
自分の罪も、その時に一緒に流れてしまえばいいのにと、そう思いながら。
(……う、ううう、ドキドキする……)
朝早く起きすぎたせいもあり、私はいつもより早く学校へ来てしまった。
いつもはたくさんの人で溢れている下駄箱も、今見る限りでは私しかいない。この様子だと、教室にも私しかいないだろう。
(どうしよう、お弁当はいつ渡そうかな……。彼が教室に来たら、もう渡した方がいいかな。いや、でもお昼前のお弁当を食べる前がいいかも?ああ、でもそれだと、周りに人が多いし、ちょっとからかわれたりするかも……。や、やっぱり、人の少ない朝に渡すべきかな)
ぐるぐるぐるぐる、頭の中で彼にいつ渡すかをずっと考え込んでしまった。
「……?あれ?」
教室に辿り着くと、意外にも先客が一人いた。
その人は女の子で、中村くんの席の前に立っていた。じっと下をうつむいて、何やら彼の席を見つめているように見えた。
「………………」
私からは後ろ姿しか見えないけれど、それが誰であるのかは分かった。
「牧平さん?」
私の声を聞いて、彼女はバッ!と直ぐ様こちらを振り返った。
「あ、ああ、誰かと思ったらクラサキさんか。驚かせないでくれ」
「………………」
「今日はずいぶんと早いみたいだね。部活の朝練でもあるのかい?」
「いや、別にそういうことじゃないんだけど……。ま、牧平さんこそ、こんな朝早くにどうしたの?」
「……ふ、ふふ」
彼女はなんだか、苦しそうに笑っていた。それは、自分への嘲笑を含んでいるように思えた。
「……クラサキさん。ひとつ、訊いてもいいかい?」
「なに?」
「君は、ナカムラくんに片想いをしている」
「……うん」
「その恋の終着点は、どこに向かうんだい?」
「終着点?」
「そうさ」
牧平さんはどこか悲しげに目を細めて、呟くように私へ告げた。
「恋人になること?結婚すること?一生を添い遂げること?どこまで行けば、君の恋は成熟したことになるんだい?」
「……そんなこと、今の私には分かんないよ。恋人になりたいとは思うけど、結婚まで続くかどうかなんてわかりっこないし、そもそも……彼と恋人になれるかどうかも分からない」
「………………」
「行く先のゴールなんて考えてたら、恋なんてできない。そうでしょう?」
「……ふふ、なるほど。そういうものなのかねえ」
牧平さんはすっと目を閉じて、小さく息を吐いていた。
「すまないね、変なことを訊いて」
それだけ言うと、牧平さんは教室の扉を開けて、そのまま廊下へと出て行った。
「どこへ行くの?」
「ん?んー……」
彼女は背中越しに、「ボクも分からない」とだけ返して、誰もいない廊下を一人、遠くの方へと歩いていった。
私はなぜか、そんな彼女の背中が異様に寂しそうで、目を逸らすことができずに、ただ黙って見つめていた。




