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10.大嫌い!



「……勉強、ですか?」


お昼休みの時間。俺はいつものように、長谷川と屋上にいた。


柵を背にして床に座り、二人で並んでお弁当を食べている。その時に、俺は倉崎さんから勉強を教えてもらう約束をしたことを、長谷川へ話して聞かせたのだった。


「お弁当食べ終わったら、図書室に来てくれって。あそこなら静かに勉強できるしさ。お昼休みの間、そこで勉強しようって」


「なるほど……」


「ごめんな、勝手に約束を取り付けて。なんだったら、長谷川だけ先に教室に帰ってもらってもいいからな?」


「いえ、大丈夫です。いつも通りゆずも一緒に……」


と、そこまで言葉にしてから、長谷川は口を閉ざしてしまった。


俺はサンドイッチを頬張りながら、「どうしたんだ?」と言って彼女の顔を覗き込んだ。


「あ、いや……その、勉強を教えたいって言ってきた倉崎さんって、確か女の人……でしたよね?」


「ああ、前に一回だけ会ったことあると思うけど、覚えてるかな?」


「えーと……髪がピンクの、優しそうな感じの先輩ですよね?」


「そうそう、その人その人」


「………………」


長谷川は箸を握ったまま、黙り込んでしまった。その目は妙に切なげで、どこか遠くを見つめてた。


俺は首を傾げながら、「どうしたんだ?」と彼女へ声をかけた。


すると長谷川はハッとして、「なんでもないです」とだけ答えた。


「ゆずも、一緒に……います」


「……そ、そうか?もし予定とかあるなら、全然、無理しなくていいからな?」


「はい、大丈夫です。ゆずもいます」


「………………」


どういう気持ちの反応なのかさっぱり分からなかったが、その時の彼女の印象は、妙に記憶に残ってしまった。





……お弁当を食べ終えた俺は、一旦教室に戻って勉強道具を手にした後、長谷川とともに図書室に向かって、長い廊下をてくてくと歩いていた。


「よお中村ー!なんだよその子?もしかして彼女ちゃんかー!?」


時々、通り過ぎる友だちに、そうして声をかけられることがあった。


「違うよ、長谷川はそういう関係じゃない。俺の後輩だ」


「とかなんとか言って!二人で弁当箱抱えて歩いてたんじゃ、説得力ねーぜー!?大方、どっかで二人で飯食ってたんだろー!?」


「い、いや、まあそれはそうなんだけど……」


「ひゅーひゅー!やっぱそうじゃねえか!見せつけてくれるねえ!」


「ちょ、ちょっと!止めてくれよ恥ずかしいー!」


「はははー!そんじゃ、あばよ!後でデートの感想聞かせろよー!」


友人たちはそうして俺をいじった後、手を振って去っていく。それがお決まりのやり取りだった。


「ちぇ、俺ってばいつまで経ってもいじられキャラだなあ」


俺はため息をつきつつも、口元を緩くさせていた。


「それにしても、俺と長谷川が付き合ってるって勘違いされちまったな。確かに一緒にお弁当食べたりしてるし、なんか照れ臭いな。ははは」


「………………」


長谷川は俺の言葉には何も返さず、じっと顔をうつむかせているばかりだった。


「……長谷川?」


俺がそう声をかけると、彼女は「はい?」と言って顔を上げた。


「どうかしたか?具合でも悪いか?」


「……いいえ、大丈夫です」


「………………」


長谷川は俺へ短い返事を終えた後、また顔をうつむかせた。


お弁当を食べてた時といい、今といい、彼女の様子がなんとなく違和感があった。


もしかすると、長谷川は倉崎さんが苦手なんだろうか?それで一緒にいるのが苦痛で……俺についてきたくないと思っているのだろうか?


(いや、長谷川と倉崎さんは前に一回会ったっきりで、苦手意識を持つほど交流があったわけではないはず……)


もちろん、他人への苦手意識なんて、ものの数秒で決まることも多いから、一概には言えないけれど……。




「……あっ、中村くん。来てくれたね」


図書室の前には、もう既に倉崎さんが待っていてくれた。両手には教科書やノートをたくさん抱えていた。


「ごめんよ、倉崎さん。遅くなっちゃって」


「ううん、私は全然平気だよ。じゃあ早速、図書室に入ろうか?」


「うん。じゃあ長谷川、すまないけど一緒にいいかな?」


「はい、先輩」


俺が長谷川とやり取りしているのを見て、倉崎さんは「あっ、そうだったね」と小さく呟いた。


「長谷川ちゃん、大丈夫?私たち、結構長くかかっちゃうかも知れないけど」


「……はい、待っておきます」


「そう?」


長谷川は、こくりと頷いた。


その反応を見た倉崎さんは、薄く笑みを浮かべて「うん、わかった」と答えた。


「じゃあ、私たちの勉強が終わるまで、待っててね」


「はい」


「なんだったら、長谷川ちゃんの勉強も、私見てあげるから。教えてほしい時は遠慮なく言ってね?」


「……どうも」


そうして俺たち三人は、図書室の中へと入っていった。




……窓際にある、四角く長いテーブル。そこに俺たち三人は座っていた。


俺が一番端に座り、その対面に倉崎さんが座り。そして俺の左隣に長谷川が座っているという構図だった。


その時倉崎さんから習っていたのは、歴史だった。問題集を解かながら、答えがよく分からないところを倉崎さんに解説してもらうという形式だった。


「日清戦争が下関条約で、日露戦争がポーツマス条約……。うーん、なんか難しい単語が多くてこんがらがる……」


「あのね、中村くん。ここは感覚で覚えると楽だよ」


「感覚?」


「日清は、中国っぽい漢字の条約。日露はロシアでカタカナっぽい条約っていう風に、まずは雰囲気で覚えるといいよ。これだけでも五択問題とかで選択肢を絞れるから、点数を稼げやすくなるよ」


「おお、なるほど。日清が下関。日露がポーツマス……。確かにそれっぽく紐付いてるのか」


「そうそう。それができたら、実際に細かく歴史を覚えればいいの。下関条約は、山口県下関市で締結されたからで、ポーツマス条約は……」


倉崎さんの教え方は、実に丁寧だった。手取り足取りと言う言葉が当てはまるほどに、彼女はひとつひとつを細かく教えてくれた。


そしてなにより、彼女はめちゃくちゃに褒め上手だった。何かあるにつれて、彼女は俺のことを「さすがだね!」と褒めてくれた。


「えーと、じゃあ日清戦争が先で、その後に日露戦争ってこと?」


「そう!さすが中村くんだね!それさえ覚えられたらばっちりだよ!」


「は、はは、ありがと……」


まさかこんなにも持ち上げられるとは思っていなかったので、嬉しく思いつつも、ちょっと小っ恥ずかしい気持ちにかられていた。


長谷川はその間、隣で本を読んでいた。そして時々、俺と倉崎さんのやり取りを横目で見ていた。



キーンコーンカーンコーン



ふと気がつくと、もうお昼休みが終わる時間となっていた。


「よし、じゃあ今日はここまでだね。続きはまた明日にしよう」


倉崎さんはそう言って立ち上がり、教科書をパタンと閉じた。俺も彼女にならい、一緒に席を立った。


「ありがとうね、倉崎さん。この辺マジでわかんないところだったから、めちゃくちゃ助かるよ」


「ふふふ、全然大丈夫だよ。中村くんの役に立てたのなら、私も嬉しいな」


「ははは……」


倉崎さんはぱあっと晴れるような眩しい笑顔で、俺のことを見つめていた。俺はなんだか恥ずかしくなって、視線を下の方へと逃がしてしまった。


その時、隣にいた長谷川も席を立った。俺は彼女に顔を向けて、「長谷川もごめんな」と言葉を投げかけた。


「俺のせいで、昼休みまるまる潰しちまったな」


「……いいえ、ゆずのことは気にしないでください」


長谷川は相変わらず、表情が晴れないままだった。どこか悲しそうに……でもそれを言葉にできなさそうに、口を閉ざすばかりだった。


本当に、なんで長谷川はこんな表情をしているのだろう?いつも笑顔ではないけれど、こんなに顔が曇っていることはなかったのに。


「………………」




『ゆずの人生を、歪ませて。先輩の手で、おかしくさせて』




不意に、長谷川が俺へ言った言葉が脳裏によぎる。そのせいで、胸がズキズキと痛んでしまう。


(……俺は)


俺は長谷川に、酷いことをしているんじゃないだろうか。


長谷川以外の女の子と親しくするところを、彼女に見せる……。それは、彼女をひどく傷つけているんじゃないか?嫌な気持ちにさせてしまっているんじゃないか……?


「………………」


いや、いやいや。なに考えてるんだ。


俺が長谷川以外の女の子と親しくすると、長谷川が傷つくだって?そんなの、長谷川が俺のことを好きじゃないと成り立たない話じゃないか。


恋人でもあるまいに、そんな自惚れたこと考えるなよ。長谷川に失礼じゃないか。


最近の俺は、本当におかしい。腕がなくなったストレスで、まともな思考がしにくくなっているのだろうか?


……それとも。




俺が、長谷川に見せたくないのだろうか。




長谷川以外の女の子と親しくするところを、長谷川には見せたくない。そんな風に……思っているのだろうか。だからそんなことを、思ってしまうのだろうか。


この時の俺には、皆目分からなかった。












……ゆずは、先輩たちと別れた後、すぐに女子トイレへ入った。


そして、個室の中で、息を殺して泣いた。


「……うっ、うぐ……う……」


便座に座って、身体の震えがおさまるまで待ち続けた。でも、どれだけ経っても、身体の震えは止まらなかった。


スカートをぎゅーっと握りしめた。拳の中には、じんわりと汗をかいていた。


「……うう、ううう……」


ゆずはもう、心臓が張り裂けそうだった。痛くて痛くて仕方なかった。



『えーと、じゃあ日清戦争が先で、その後に日露戦争ってこと?』


『そう!さすが中村くんだね!それさえ覚えられたらばっちりだよ!』


『ありがとうね、倉崎さん。この辺マジでわかんないところだったから、めちゃくちゃ助かるよ』


『ふふふ、全然大丈夫だよ。中村くんの役に立てたのなら、私も嬉しいな』



中村先輩と倉崎先輩のやり取りが、閉じられた目蓋の裏に焼き付いている。それが自分を追い詰めるように、何度も何度もリピートされる。


……ゆずは、先輩の人間関係に、一切口出しできない。そんな権限は、ゆずにはない。


あの倉崎先輩が中村先輩にどんな気持ちを抱えているかは、分からない。でも、少なくとも好意的であることは間違いない。


だって、普通マンツーマンで勉強を教えようとか思わない。それなりに親しくないと、わざわざお昼休みを潰すようなことしない。


もしかしたらこれを機会に、倉崎先輩は中村先輩とどんどん仲を深めていきたいと思っているのかも知れない……。それは、なんとなく最初から気がついていた。


だから、中村先輩からこの話を聞いた時、ゆずは初め……席を外そうと思ってた。


中村先輩と倉崎先輩を二人きりにして、仲が深まりやすくなるようにしたいと思った。



『俺、もう二度と恋愛はしないって、決めてるんだ』



中村先輩はああ言っていたけど、それでも……本当は恋愛を諦めたくないはず。そうじゃなきゃ、わざわざあんなことは言わない。


だから、中村先輩が幸せを向いて歩けるように、中村先輩と倉崎先輩が恋人同士になれる橋渡しを……そんな気遣いをしようと思っていたのに。



『ゆずも、一緒に……います』



ゆずは、ゆずは……邪魔してしまった。


中村先輩が倉崎先輩と仲良くなる機会に……水をさしてしまった。


二人が、仲良くなってほしくなかったから。


二人が、恋人になんてならないでほしかったから。


「ふぐぅっ……!!うう、ううう……!」


胸焼けと吐き気が、同時に襲ってきた。我慢していた声はいよいよ耐えきれなくなって、嗚咽が口の隙間から漏れ出していた。


「最低……!最低、最低、最低!」


胸に込み上げる言葉が、考える前に口をついていた。


「なんで!なんでゆずは……!いつまでも自分勝手なの……!?なんで!なんで!いつまでも先輩の邪魔ばっかり……!」


先輩は、ゆずのせいで右腕を失った。今度はゆずのせいで、先輩は未来の恋人を失うかも知れない。


ゆずが先輩のことを好きなばっかりに。ゆずが先輩に恋をしてるばっかりに。先輩の人生がどんどんおかしくなる。先輩のために尽くしたいのに、裏目にばっかり出る。


「もう!もういやあ!嫌い!嫌い……!!ゆずなんて大嫌い……!」


背中を丸めて、髪の毛をぐしゃぐしゃをかき乱す。


「死ね!死ね!死んじゃえ……!」




ゆずなんて、死んじゃえ…………!




……それからゆずは、しばらくの間、声にならない叫びを上げていた。


授業へ出ることもできず、ただただ独りぼっちで、薄暗いトイレにこもっていた。








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