77:疎外感
「おまえがこれからも特務部の一員として私を慕ってくれるなら助かる」
葛葉の戸惑いとは裏腹に、可畏には正しく意図が伝わったようだ。
「はい! お慕いしております!」
わかってもらえた嬉しさのまま葛葉が顔をあげて可畏を見ると、彼の白い頬が朱に染まっていた。ばつが悪そうに可畏がふっと卓上の小芥子へ視線をそらした。
「面と向かって、部下に慕っていると言われるのは、なかなか恥ずかしいものだな」
照れる可畏を見るのは、もう何度目だろう。親しみを感じて、葛葉の気持ちがふっと綻んだ。
「御門様をお慕いしている隊員はたくさんいらっしゃると思います」
「どうだろうな。そんなことを言われたのは初めてだが」
改めて考えると、部下が上官に好意を伝えることは少ないだろう。むしろ男女間で行われる告白のほうが自然である。
「でも、御門様は女性からの好意は聞き飽きていそうですね」
綻んだ気持ちのまま口を滑らせてしまう。可畏が呆れたように吐息をついた。
「それは面白くない冗談だな」
声にほのかな苛立ちを感じて、葛葉はすぐに背筋を伸ばした。余計な発言だったとすぐに反省する。
「あ、たいへん失礼なことを申し上げました」
可畏がまた自嘲的に笑う。
「恐れられることは数えきれないほどあったが」
「それは……」
葛葉も初めはそうだった。恐ろしい人なのだと萎縮していた自分を思い出せる。
「それは御門様のことを何もわかっていないからだと思います。わたしもそうだったので……」
可畏は何も答えず、ふたたび卓上の小芥子を見た。
「とにかくおまえには話す手間が省けた。私の使命についても聞いたか?」
「はい」
「ならば話は早い。その前提で私たちの次の任務がある」
特務部の一員として任務に当たれることは喜ばしい。なのに、葛葉は素直に喜べない。
羅刹封印のために生かされているという可畏の使命。
真っ直ぐに進めば、行き着く果てで可畏を失うことになるのだ。喜べるはずがない。
「御門様はそれで良いのですか?」
「どういう意味だ」
葛葉は気持ちを整えるためにすうっと息をついた。
「羅刹の封印は御門様の犠牲で成り立つのだと、玉藻様から聞きました」
「そうだ。間違えていない」
狼狽することなく可畏がうなずく。当然のように受け入れている姿勢を目の当たりにして、葛葉は反射的に口を開いていた。
「わたしには承服できません!」
「なぜ?」
「なぜって……、羅刹を封印したら――」
それを言葉にすることにはためらいがあったが、葛葉はうやむやにしてはいけないと、はっきりと示した。
「封印をしたら、御門様は死んでしまうのでしょう?」
可畏は表情を変えることもなく、じっと葛葉を見据えている。
「おまえは玉藻から私の素性を聞いたのではなかったのか?」
「聞きました」
「では、その言い分のおかしさも理解しろ。私は元より死者だ。今は羅刹の力で生かされているが、封印によって元に戻る。それだけだ」
「御門様は生きておられます!」
「それがまやかしだと言っている」
「まやかしなどではありません!」
力を込めて伝えるが、可畏は呆れたようにため息をつく。葛葉の思いを全く意に介さない様子だった。
(生きることを諦めている者の匂いじゃ)
玉藻の言っていたことが、実感として伝わってくる。強固な義務感がそうさせるのかと、葛葉はさらに言い募った。
「御門様の使命感は理解できますが、だからと言って、犠牲になることが当たり前だとわたしは思いません」
「他に策はない。それに、おまえは誤解しているようだが、私は使命のおかげで延命できたようなものだ。自分の使命に感謝することがあっても、残酷だと思ったことはない」
可畏の意志には何の綻びもなかった。先の道筋を真っ直ぐに受け入れている。葛葉は急に彼との間に横たわる果てしない溝を感じた。
葛葉が当たり前だと思っていたことが伝わらないのだ。
自分の命を惜しまない。生きることに未練がない。そんな心持ちは理解できない。分からない。
まるで知らない国の言葉を聞いた時のような疎外感があった。
「でも、御門様に生きてほしいと思っていらっしゃる方がいます」
「くだらないことだな。仮に誰かがそう思っていたとしても、厄災と天秤にかければ答えは自ずと決まっている。私の犠牲で羅刹を止められるのなら、誰もがそれを望むだろう」
「そんなことありません! 少なくとも私はちがいます! 玉藻様も、御門様のお母様だってそうです」
「私の母が? それはない。母こそが誰よりも使命を全うすることを望んでいる」
「でも、綾子様は御門様を救ってほしいとおっしゃっていました!」
卓上に置いていた小芥子を手にして、可畏の方へ向けた。
「だからこうして、わたしの元へおいでになったんです! 嘘じゃありません!」
「たしかにその小芥子は母の物だろう」
「今は綾子様の依代です」
可畏がふうっと吐息をついた。妖のような赤い瞳に、これ以上話すのは無駄だと言いたげな冷ややかさが宿っている。
「もういい。言い分はわかった。だが、私は何があろうと羅刹の封印を成し遂げる。おまえの力もそのために必要だ。それだけ理解しておけ」
「御門様――」
「これ以上、おまえの無駄話に付き合う気はない」
声に有無を言わせぬ苛立ちが滲んでいた。葛葉は小芥子を握りしめたまま、ぐっと言葉を飲み込む。
可畏は手元でふたつに割った餡パンを口にすることはなく、仕切り直すように話を逸らした。
「葛葉、次の任務について伝える」




