74:可畏(かい)の素性
「鬼……」
まさかという気持ちはなかった。脳裏に焼き付いた鬼の姿があったからだけではなく。
可畏の任務に同行した日々が物語っていた。
彼の振る舞いはいつも葛葉にとって強烈に映り、気配が鮮烈だった。
特別な存在感。
「でも、御門様には綾子様というお母様がいらっしゃるのでは?」
自分でも驚くほど、葛葉は平常心だった。気持ちが飽和して感情を自覚できなくなっていたのだろう。あとになってそう思うが、その時は反動が先送りにされているおかげで、冷静に玉藻と話ができた。
「元は人の子であるからな」
「綾子様の?」
「そうじゃ」
玉藻の声とともに、わきあがった憶測があった。葛葉の全身に悪寒がはしる。
「まさか、羅刹封印のために御門様を出産なさったのですか?」
「もしそうであれば?」
「そ、そんなの酷すぎます! 御門様にも綾子様にも。鬼と成るための子を産むなんて、いくら羅刹封印のためとはいえ……」
「そうは言うても、成さねばもっと多くの者が犠牲になる」
「でも! だからって――」
なぜ綾子と可畏の親子だけに託され、背負わねばならないのか。
人々を厄災からまもるためという、大義名分が成立しているのはわかる。
けれど、理屈がわかるからといって、承服できることでもない。
葛葉が憤りに身を震わせていると、玉藻がふふっと笑った。
「何がおかしいのですか!」
大妖にとっては人間の思惑が、すでに滑稽なのだろう。それでも葛葉が憤りのまま喰ってかかると、玉藻が驚いたように目を丸くする。
「玉藻様にとっては、人の考えることなど余興のようなものでしょう。でも、笑うなんてひどいです!」
「そう怒るな、花嫁。しかし、妾に激高するなど、恐れを知らぬ娘じゃな」
落ち着いた玉藻の様子が、葛葉をハッと冷静にさせた。
「で、でも、いくら玉藻様でも、笑うなんて……」
勢いを失って言い淀みながら俯くと、再び玉藻が笑った。
「そなたは必死なのじゃな。妾が笑ったのは人の愚行ではないぞ。そなたがあまりにも可畏に懐いておるから、おかしくなったのじゃ」
玉藻は小芥子に視線をおとす。可畏の母親である綾子を見ているのか、葛葉を責めることなく呟く。
「そんなふうに二人の境遇に憤るのは、そなたくらいであろう。厄災と天秤にかければ、仕方ないと飲み込むのが人の世じゃ」
小芥子から葛葉に視線を移した玉藻とふたたび目が合った。彼女の笑みから、からかうような色が失われている。
「だから、誰も綾子が鬼と成るための子を産んだという話を疑わぬ」
玉藻自身も憤っているのだろうか。突き放すような口調で続けた。
「それこそ滑稽な話じゃ」
「では、それは事実ではないのですか?」
「そうじゃな。どちらかと言えば、逆じゃ」
厄災から人々を守るために子を鬼とする。そう見える経緯に逆の意味があるとすれば――。
「綾子は可畏を鬼にするために子を産んだのではない。可畏を生かすために羅刹の力に縋ったのじゃ」
「御門様を生かすために?」
玉藻はうなずく。
「可畏は生まれて間もなく不慮の事故で亡くなった。いや、もとより死産だったといってもよいだろう。綾子はその失われた魂魄を無理やり繋いだ。斎王としてはあるまじき行いじゃ。そなたには美談に映ろうが、子を助けたいという母親の私欲でしかない。私欲のために羅刹を堕とす。理に背く大罪じゃな」
葛葉は母親の思いに共感できるが、私欲だと言われると何も言えなくなる。
「とはいえ、人はすぐに罪にまみれるものじゃ。愚かとしか言いようがないがな」
「でも、それは大切なものを守りたいという気持ちで……」
言いながら、葛葉は自分が矛盾していることにも気づいていた。玉藻がそれを言葉にする。
「可畏を犠牲に、羅刹の封印が成り立つのも同じことではないか?」
美しい大妖の顔に、意地の悪い笑みが浮かんでいる。
「人々を守るために道理に背くか、子を守るために禁忌を犯すか。いったいどれほどの違いがある?」
「それは……」
違わないのだろう。ただ葛葉は可畏に思い入れがある。だから違いが生じる。その気持ちが世界の捉え方を決めてしまう。
「人は善悪を決めたがるものじゃ。不安定な足元にしっかりと立てる場所が欲しいのだろうな」
葛葉が何も言えなくなっていると、玉藻がばさりと着物の袖を振った。色鮮やかな袿の柄が視界に棚引く。
「さて、昔話はここまでじゃ」




