72:封印の犠牲
「異能は尊い力なのだと思っていました」
「間違えてはおらぬ。異能とは、元は皇のもつ力のことであったからな」
「今は違うと……」
「異形を討伐する力を指すなら、まったく異なるものじゃ」
「そのようなお話は聞いたことがありませんでした」
「つまびらかにすると、都合が悪いからであろうな」
異能を持つ家の権威を守るためだろうか。葛葉にはよくわからない。
「でも、そんなふうに羅刹から角を奪って、鬼神の怒りには触れなかったのですか?」
「もちろん触れたのぅ」
「え!?」
まるで人ごとのようにあっさりとした返答である。葛葉が言葉を失っていると、玉藻が笑う。
「霊峰富士。そなたも知っておろう」
「あ、はい」
富士山を知らない者はいない。葛葉の脳裏にも穏やかで美しい山並みが浮かぶ。
「今も当時のことは語り継がれておるのだろう? 当時の噴火が羅刹の怒りじゃ」
平安の頃にそのような天災があったことは葛葉も知っていたが、まさか羅刹へ繋がるとは思ってもいなかった。霊峰の噴火ともなれば、甚大な被害をもたらしたはずだ。
「鬼神の怒りを鎮めるために、霊峰富士には強力な結界を施してある。皇に連なる女神を御神体としてまつり、社を建て、富士を拠点にあらゆる地脈を抑えているのじゃ。だが、それでも抑えきれずに噴火するほど羅刹は手強い」
富士の噴火は繰り返されてきた。江戸の世でも噴火があったと記録されている。
一柱の角を人に奪われた羅刹の怒りはそれほどに壮絶なのだ。玉藻の言うとおり封印は絶えず行われてきたのだろう。
葛葉が戦慄していると、何かを思い出しているのか彼女は忌々しげに吐き出す。
「そんな鬼神を相手に、人はまたしても同じ愚行を犯した」
玉藻の黒い瞳の中心に、妖らしい赤い光が見える。声に嫌悪が滲んでいた。
「このままではいずれ羅刹の怒りによって国が沈む。一度ならず二度までも角を奪われた羅刹の怒りが、国を焼き尽くすのじゃ。霊峰の噴火からはじまり、それは地脈を伝って広がる。悪夢のような天災が各地で連鎖する」
葛葉を見る玉藻の視線が、労わるような光を宿していた。
「妾と綾子が視たのはそういう光景なのじゃ」
千里眼。葛葉には玉藻の力を疑う理由もない。いきなりつきつけられた未来に、ぎゅっと心臓をつかまれたような息苦しさを感じた。
「だが花嫁よ、案ずるな」
「玉藻様……?」
「妾の見たこの未来はくつがえすことができる。そなたが羅刹の封印を叶えるはずじゃ」
「わたしが?」
羅刹の花嫁という特別な力。
羅刹封印のための切り札だと、可畏にも言われた。自身の力を実感した今でも、そんな大役がこなせるのだろうかと、不安がせり上がってくる。
けれど、弱気になる自分を励ますように葛葉は可畏の言葉を思いだす。
(おまえにならできる)
鬼火とわらべ唄が行き交う夜道で、可畏が背中を押してくれた。
自分を信じてくれる、力強い言葉。
(――できる)
葛葉は心の中でそう唱えた。蘇った可畏の声に勇気をもらっていると、玉藻の指先がふたたび小芥子に触れた。
「そなたの力は、羅刹から奪って成った忌々しい異能とは違う。陛下や綾子がもつ、皇の力に等しいものじゃ」
「わたしの力が? そんなはずないです」
恐れ多いと震え上がっていると、玉藻が微笑む。
「信じられずとも、そうなのじゃ」
「何かの間違いなのでは……?」
玉藻が再び小芥子を撫でる。
「間違いではない。なぁ、そうであろう? 綾子」
物言わぬ小芥子に語りかけてから、玉藻が葛葉を見た。
「だから、綾子はおまえに賭けたのだ」
話がはじめへ戻る。なぜ可畏の母親が葛葉の元へ現れたのか。斎王となるほどの力の持ち主であったことはわかったが、まだ葛葉の枕元に現れた真意は読めない。
「どうして御門様のお母様は、わたしの枕元に?」
「それは、このままでは可畏を失うからじゃ」
「え?」
大役を務めてみせると奮い立たせた葛葉の気持ちに、ふっと一筋の影が落ちた。
目の前に並べられた朝食が色を失ったように感じる。温かくたちのぼっていた湯気が、完全に失われてしまったからだろうか。
ふたたび玉藻が話しはじめるまで、ひとときの空白が流れた。葛葉は味噌汁の中に箸を差し入れたが、汁をすすることもなく箸を置いた。
玉藻の声が不安定な沈黙を破る。
「羅刹の封印は叶うが……」
それだけ呟くと、声がふたたび途切れる。葛葉は胸に去来する重苦しさをごまかすように、彼女が言いあぐねていることを問いただした。
「封印に何か問題があるのですか?」
不安を拭うための問いかけには、さらに不安をあおる言葉が返ってくる。
「封印には犠牲が必要じゃ」
「犠牲?」
まさかという気持ちを裏付けるように、玉藻がうなずいた。
「羅刹の封印とともに可畏はこの世から消える」
追い討ちをかけるように、目の前の美しい大妖が告げた。
「それが奴の使命じゃ」




