70:依代の小芥子(こけし)
葛葉が客間へ戻ると、玉藻が鎮座していた。十二単のような衣装が辺りを覆い尽くす勢いで広がっている。重なり合う着物の色目が美しい。
「玉藻様、改めておはようございます」
頭を下げてから、葛葉は長方形の卓を挟むようにして玉藻の向かいに座った。彼女は卓に頬杖をついたまま、にやりと妖艶に笑う。
「そなたは律儀な娘じゃな」
玉藻は頬杖から顔を起こし居住まいを正した。物々しい衣装も彼女が纏っていると、浴衣のように軽やかだった。風もないのに玉藻の所作にあわせて袖や着物の裾がひらひらと翻る。
妖の不可思議さは衣装にまで通じているのだろうか。まるで重さを感じさせない。
「わたしにお話があるとのことでしたが」
「そうじゃ。この件でな」
玉藻が厚く着重ねている着物をまさぐるようにして、懐からぬっと小芥子を取り出した。見覚えのある小芥子の登場に、葛葉はびくっと上体を揺らす。思わず小さく声を漏らしそうだったが、悲鳴はなんとか飲み込んだ。
「何をそんなに驚いておるのじゃ」
「あ、いえ、あの」
驚きと動揺を隠したつもりだったが、玉藻には見抜かれてしまう。葛葉の顔にかっと熱が集まった。
「実はその小芥子とは、昨日から色々とありまして……」
もごもごと葛葉が歯切れの悪い答えを返すと、玉藻はそれだけで察したらしい。コトリと音をたてながら卓上に小芥子を置いた。
「そうであったか。おそらく綾子も必死なのであろうな」
「綾子?」
聞きなれない名に反応すると、玉藻がうなずく。
「この小芥子の持ち主じゃ」
葛葉はすぐに昨夜の和歌の言葉を思い出した。小芥子の持ち主は可畏の母親のはずである。
「御門様のお母様は綾子様とおっしゃるのですか?」
「もう知っておったのか? では、話が早いな」
「あ、いえ。小芥子の持ち主が御門様のお母様であると聞いただけです。天子様がこちらに届けるようにお命じになったとか」
「そうじゃ、妾が陛下にそう頼んだ」
「玉藻様が?」
「花嫁には可畏のことを知っておいてもらわねばならぬ。そのためにそなたの元へ送ったが……」
玉藻が目を眇める。葛葉の表情から何かを読み取ったのか、ふっと嘆息した。
「すでに、この小芥子と色々あったと言っていたな」
「はい」
「なにか告げられたのではないか?」
問いかけだったが、玉藻は帝が使役する大妖であり、千里眼を持っているのだ。昨夜のことも全てがお見通しのような気がした。葛葉は包み隠さず小芥子との体験を話す。
「なるほどのぅ。綾子がそこまで克明に現れたとは……。妾も会いたいものじゃ」
玉藻の声がしみじみと響く。まるで故人を思うような寂しさを感じた。
「玉藻様でも、会えないお方なのですか?」
「そうじゃな、しばらく会っておらぬ」
ふうっと漏らした溜め息が重い。妖である玉藻にも、人の情のような感情があるのだろうか。
しんみりとした空気の流れを邪魔しそうで、葛葉が問いかけることをためらっていると、パタパタと足音がした。和歌が朝食を手に客間へやってくる。
「綾子様の思い出話でもされているのですか?」
和歌の声は朗らかだった。そのまま卓上の小芥子が目についたのか、「ああ」と顔を綻ばせる。
「小芥子を床の間から持ち出したのは玉藻様でしたか」
和歌はすぐに成りゆきを理解したようだった。葛葉は和歌の素性も只者ではないのだろうと、彼女の品のある振る舞いを眺めた。
「葛葉さん、朝食をお持ちしました」
小芥子から視線をうつし、和歌は葛葉の前に白米を盛った椀と汁物の椀を並べた。味噌の香りが辺りにふわりと広がる。さらに焼き魚の皿が置かれると、香ばしい匂いが漂った。
「どうぞ召し上がってください。あと、良かったらこちらも」
和歌は最後に籠へ盛られたあんぱんを卓へ置いた。
「お好きですよね、あんぱん」
「はい! ありがとうございます」
今にもお腹が鳴りそうだと思いながら、葛葉は箸を手にとる。和歌も傍らに座ると玉藻へ目を向けた。雅な妖は小芥子に手を伸ばして、白い指先でトントンと丸い頭部に触れた。
「どうやら綾子はすでに花嫁に訴えていたようじゃな」
「小芥子と女性が枕元に現れたというお話は、私も葛葉さんから伺いましたが」
「この小芥子は綾子の依り代じゃ」
「では、昨夜現れた女性は綾子様なのですか?」
和歌の問いに玉藻が浅く笑った。
「綾子には叶えたい願いがあるからのぅ」
味噌汁をすすってから白米を頬張り、黙って二人の会話を聞いていたが、葛葉には経緯がさっぱりわからない。
「あの、玉藻様はなぜ小芥子をわたしの元へ? 御門様のお母様が現れた理由もご存じのようですが」
「そなたには何から話すべきであろうか?」
玉藻が迷いをみせると、傍らの和歌が助け船を差し出す。
「まずは玉藻様の素性をお話になられてはいかがでしょうか?」
「妾の素性か。――そうじゃな」




