69:玉藻との再会
ほのかな灯りを感じて葛葉は目を覚ました。障子越しにぼんやりと薄明が届いている。
よく眠れたらしく、寝起きのだるさもない。
(あ、小芥子)
昨夜の怪異を思い出して身を起こすと、すぐに枕元を見た。
(あれ? ない)
あったはずの小芥子の姿が消えていた。女性の切実な声を聞いたせいか、小芥子の神出鬼没さに慣れ始めたのか、もう恐れによって肌が泡立つこともない。
寝床の周りから室内を見回しても、まだ薄暗い室内には朝の凜とした空気が漂っているだけで不気味さはなかった。
葛葉は昨夜小芥子が立っていた辺りの畳を撫でて、ふと昨夜の金縛りは夢だったのではないかと思い直す。
(ぜんぶが夢でもおかしくない)
任務のあとの疲労と、小芥子への恐れやカイの母親と関わりがあるという意識から、あんな夢を見てしまったのだろうか。
夢か現か判断がつかないまま、葛葉は手早く身支度を整えた。
小芥子については尋ねてみればいい。今日は和歌に聞きたいことがたくさんあるのだ。
「あら、おはようございます。葛葉さん」
早足に寝室となっている客間から出て炊事場のある土間へ向かおうとすると、途中の廊下で和歌と会った。
「よく眠れましたか?」
「はい。おかげさまで。あの! 何かお手伝いできることはありませんか?」
どちらが使用人なのかわからなくなるような勢いで尋ねると、和歌は葛葉の顔を見て優しげに笑う。
「葛葉さんはゆっくりとなさってください」
「でも、朝餉の支度などがあるのでは?」
「そういうことは私の役割です」
葛葉は自分の立場を思い出すが、客人としてもてなされるような扱いには慣れない。
「その、ぼんやり過ごしているのも落ち着かないので……」
どうしようもなく貧乏性なのだろう。わかっていても急に名家の令嬢のようには振る舞えない。恥ずかしい気がしたが、素直に打ち明けると和歌が可笑しそうに笑う。
「心配なさらなくても、きっとぼんやりはできませんよ」
「え?」
「実は葛葉さんに会いたいとおいでになっている方が――」
「花嫁は起きたのか?」
和歌の声を遮るように、頭上から聞き覚えのある声がした。葛葉が見上げるまでもなく、ふわりと色鮮やかな着物が視界を染めた。
「今回はご苦労じゃったな、花嫁よ。よく眠れたか?」
平安の世から抜け出たような華やかな衣装を纏った女が、葛葉の前に降り立つ。
「た、玉藻様!?」
白い肌に映える赤い唇が不敵な笑みを宿している。艶やかな黒髪が彼女の優雅な身のこなしに合わせて、さらりと流れた。人を惑わせそうな妖艶さのある美女の登場に、葛葉は目を瞠る。
「ほぅ」
浮遊しているのか、玉藻が葛葉の様子を伺うようにひらりひらりとまとわりつく。
「ずいぶんと色気付いたではないか。顔も生き生きしておるな」
にやりと玉藻が笑う。言われてみれば、前髪を結って開けた視界にも馴染んでいる。初対面の時は前髪で顔を隠していたが、今にして思えばあまりの無作法に顔から火が出そうになる。
帝の御前で身だしなみも整えていなかったのだ。
「その節はお見苦しい姿で失礼しました」
「そなたはわかりやすいな」
からからと玉藻が高笑いする。
「玉藻様がなぜこちらに?」
素直に尋ねると、ぴたりと玉藻が笑みをおさめる。華やかな袿で口元を押さえて、わざとらしく葛葉を見た。
「話しておきたいことがある」
「わたしにですが?」
「そうじゃ」
ふわりと再び玉藻が頭上へ舞い上がった。傍らで葛葉たちの様子を見守っていた和歌が、その様子にあわせて口を開く。
「こんなところで立ち話をせず、朝食をとりながらお話を聞かれては?」
「では妾は客間におるぞ」
着物を翻しながら背を向けた玉藻の姿が、すうっと淡い残像をのこしながら消えた。
「客間へ膳を用意します。葛葉さんもお部屋へお戻りになってください」
「はい」
踵を返そうとして、葛葉はあっと小芥子のことを思い出す。
「あの、和歌さん。あの小芥子はいまどちらに?」
「奥のお部屋の床の間に置いております」
答えながら、和歌は葛葉の表情を読んだらしい。
「もしかして、また葛葉さんのところへ現れたのですか?」
「あ、いえ、あの、昨夜枕元で見たと思うのですが。朝起きるとなくなっていて……。でも、もしかすると夢だったのかもしれませんし……」
「昨夜? 枕元に?」
「はい。綺麗な女性の姿も見えました」
「そうですか。朝食の支度ついでに床の間を見てきましょう」
和歌は動じることもなく微笑む。葛葉はすぐに頭を下げた。
「ありがとうございます、和歌さん」




