66:枕元に立つ小芥子(こけし)
(息苦しい……)
何かにのし掛かられているような重さを感じて、葛葉は目を覚ました。
胎児のように丸くなった姿勢で眠っていたようだ。視界には闇があるだけで布団の温もりに包まれている。
(寝付けないと思っていたのに)
小芥子が気になって仕方がなかったが、どうやら杞憂だったようだ。可畏にもらった香水の効果だろうか。あっけなく眠りに引き込まれて、布団に潜り込んだまま安眠を貪っていた。
(やっぱり疲れていたのかな)
夢見心地のままぼんやりとそんなことを思う。布団の中で丸くなったまま、葛葉は息苦しさを解消しようと身動きして、異変に気づいた。
寝返りを打つことができないのだ。
(なに? 体が動かない)
息苦しさが増していく。掛け布団の重みだと感じていたものが、異様な圧迫感で体を締め付けている。
(金縛り?)
横向きで布団に潜り込んでいるため室内の様子が視界に入らない。けれど、確実に掛け布団の向こう側に何者かの気配を感じた。
(もしかして小芥子がやって来たんじゃ……)
ぞおっと背筋が凍る。恐れで鼓動が早鐘のように打ち始めた。
辺りを見ようとしても首を回すことすらできない。声もでない。ただ布団の中で横たわったまま自分の鼓動だけが響く。
――目を覚ましましたか?
とつぜん耳元で囁きがあり、びくっと意識が反応するが体は金縛りの影響下にあって微動だにしない。
小芥子が襲って来たのかと、鼓動が最高潮に激しくなった。
――どうか、そのまま聞いてください。
恐れで失神しそうだったが、聞こえてくる声は澄んでいて柔らかい。
(女性の声?)
小芥子だったとしても、悪いものではないという可畏と和歌の言葉を思い出す。体が動かず気配を確かめることはできないが、葛葉はゆっくりと呼吸をして気持ちを立て直した。どどどっと太鼓の連打のように鳴っていた鼓動が鎮まり始めると、いくぶん恐怖がゆるんで冷静な自分が戻ってくる。
(大丈夫。わたしは特務部の一員として、この怪異を解決する)
できると意気込んだ途端、ふっと金縛りが解けた。息苦しさがなくなり体も動く。辺りの様子を確かめる勇気が必要だったが、葛葉は覚悟をきめて潜り込んでいた布団から顔をだす。
「ひっ!」
枕元にひっそりと小芥子が立っていた。室内は暗く、本来ならはっきりと見えるはずがないのにすぐに存在がわかる。
暗闇の中でうすらぼんやりと燐光を放っているのだ。
(ほのかに、蒼く光ってる?)
目を焼くほどの輝きはないが、可畏の放つ蒼い火と通じるものがある。
葛葉が小芥子に目を奪われていると、背後で気配がした。 ぎくりとして振り返ると、敷かれた布団の脇に誰かが立っている。
小芥子と同じように、あるかなしかの燐光を放つ美しい女性だった。
(やっぱり付喪神?)
――お願いがあって参りました。
胸に響く澄んだ声だった。葛葉は少し警戒を緩めて、女性の美しい顔を仰いだ。
「わたしに何を?」
――助けてほしいのです。あの子を。
「あの子って?」
――罪を贖うために、我が身を捧げた吾子のことです。
はらはらと美しい女が涙をこぼす。
――わたしはただ、あの子に生きて欲しかっただけ。たとえ鬼の子となろうとも。
蒼く光る涙が闇の中で弾けた。振り絞るような女の声。後悔に苛まれているのがわかる。
――どうかお願いします。
あの子を助けてと女が繰り返す。
――生きて……
声がかき消えて辺りが暗闇と静寂に呑まれた。葛葉が瞬きをしても、もう女性の姿が見えない。かき消えた声は生きてほしいと繰り返したかったのだろうか。
葛葉は小芥子に目を向けるが、すっかり夜の闇に同化している。かろうじて影が判別できるだけで、さっきのように姿を見分けることができない。
(あの子って、誰だろう?)
手探りで小芥子に触れると葛葉はしっかりと手でつかんだ。女性の訴えに揺さぶられ、すっかり恐れが失われている。
(この小芥子が御門様のお母様のものなら……)
胸に浮かんだ予感があった。可畏に関わることなら見逃すことはできない。




