59:安倍家の当主
可畏が葛葉と一緒に屋敷へ戻ると、敷石の庭から式台へ辿りつく前に、慌てた様子で四方が駆けよってきた。
「閣下、客人がお見えです」
「客?」
四方の戸惑った様子から可畏は訪問者の予想がついた。
三河屋の罪を暴くことには反発があるはずだった。ついに来たかと挑発的な感情がわいたが、態度には出さず葛葉に休息を命じて、独りで客人が通された奥の座敷へ向かった。
「御門閣下」
座敷へ入ると、特務部第一隊を率いている安倍中将が襖の前に立っていた。軍人らしい所作を備え、しっかりとした体躯と端正な容姿が人目を惹く。
可畏よりも二つ年上だが年功ではなく能力を重んじ、特務部という特殊な組織をよく理解していた。安倍家という名門の威光を鼻にかけることもなく謙虚な男である。
「お疲れ様です」
彼の敬礼に可畏は答礼だけする。用件を問うのは奥の座卓についている者をみれば愚問だった。
「御門閣下。久しぶりだ」
朗らかな様子で、座卓につく男が可畏を手招きしている。安倍中将の叔父だった。白髪の目立つ頭髪だけを見れば三河屋よりも年嵩を感じさせるが、細身で洋装を纏っているせいか、三十そこそこの印象を受ける。
可畏の知る彼の実年齢よりも、ひどく若く見えた。
「安倍大臣。ご多忙なあなたがどうしてこんな現場へ?」
用件は読めたが、あえて口にしながら可畏は安倍家の当主である男と向き合うように座卓についた。
「近くまで来たから寄っただけだ、と言いたいところだが……」
可畏と目が合うと、彼はにこりと笑う。
「ここは単刀直入に言おう。三河高次の件は私にあずけてほしい。君ならこの意味を理解するだろう」
「もちろんです。予想はしていました」
「三河を敵に回すと、色々と動きにくくなる」
安倍は国の財政をになう省の長をつとめているが、省内の力関係が複雑であろうことは想像に難くない。
不本意だが、特務部を忌憚なく運用するには国の財政が必要だった。政治的な判断については委ねるしかない。可畏の心中を察したのか、安倍が自嘲的に笑う。
「御門閣下。私は彼の罪を不問にするつもりはない。ただ裁きの形を変えさせてもらうだけの話だ。この弱みで絞れるだけ絞ってやる」
安倍が場をやり過ごすために方便をつかっているわけではないのは、これまでの功績を振り返れば明らかである。
「大臣は恐ろしい方だ」
いずれ三河家は法によって裁きを受ける方が良かったと後悔するのかもしれない。
「特務部の権威はこれからも安泰だ」
まるで異能の恩恵に跪けと言いたげに、安倍が笑う。彼自身も稀にみる強力な異能者である。元をたどれば安倍家と御門家はおなじ陰陽道の祖から派生している。
発現した異能という特殊能力。明治の世になってから、安倍は政界から異能者の影響力を強めようと働いているようだった。
異能者にとって安倍家の功績は無視できず、それは可畏にとっても同じなのだ。
けれど、可畏は笑う気にはなれない。異能の発祥にまつわる罪を知りながら呵責を背負わない彼の厚顔無恥さとは、以前から相容れない。
不快を包み隠して、可畏も切り込む覚悟を決める。
「大臣、私にそれを詳らかにするということは、今回の一連の事件についてご自身が関与していたとお認めになるわけですか」
ぴたりと安倍の顔から笑みがひいた。不敵な色が浮かび上がっている。
「君が何を思ったのかは知らないが……、私が羅刹の花嫁は欲しがるのは、そんなに不自然なことかな?」
異能者の地位を盤石にしたいという野望が、安倍にはある。そのために稀有な能力者を欲しがることは、たしかに自然な思惑だった。
「君に蘆屋を差し向けたことは強引だった。それは謝るが……」
安倍は鋭い眼差しを可畏に向ける。
「でも、よく考えてほしい。私には花嫁の所在が隠されていたことの方が不思議だ」
安倍自身、自らの功績については自負している。異能者の頂きにたつ帝が、なぜ道を阻むのかわからないのだ。帝が千里眼で視たことを知らされていないのであれば、そう感じるのも仕方ない。
「私を疑う前に、御門閣下は陛下のことも疑うべきだと思うが?」
ふたたび安倍がにこりと笑う。
「とりあえず、三河屋の件は私があずかる。今日ここに来た用件はそれだけだ。本当は羅刹の花嫁にお目にかかりたかったが、閣下は陛下と結託しているようだからまた日を改めよう。君をこれ以上怒らせたくない」
「それは花嫁を諦めたわけではないということですか?」
即座に指摘すると、安倍は屈託のない様子で笑った。
「閣下。私は異能者の未来のために日々努めているつもりだ。だから、もちろん花嫁の力は欲しい。だが、それは理解してもらえる範疇の思惑だろう。まったく何を疑われているのか」
やれやれといった様子で、安倍を席を立った。
「長居は無用だ。では、これで失礼する」
安倍が中将と共に座敷をあとにした。可畏は独りだけ残って、深く吐息をつく。
(やはり一筋縄ではいかない男だ)
術者である蘆屋との関係はあっさりと認めたが、彼が漏らした情報はそれだけだった。千代の存在や不可解な異形の関わりについては、なんの手がかりも見せない。羅刹の角にたどり着くような綻びは全く得られなかった。
(逆に帝を疑えとは……)
それこそ可笑しな話だと笑い飛ばしたくなるが、帝が曲者であることもまた事実だった。
(陛下は葛葉の力について、すでに知っていたはずだ。だとしたら異形の正体も……)
行方知れずになっている葛葉の祖母は、帝が使役した妖なのだ。玉藻と眷属になる妖狐の尾崎。
自身の妖を幼少の葛葉につけていたのなら、すべて筒抜けだっただろう。
尾崎から得た情報があれば、可畏がようやく気づいた異形の正体にも、帝は容易にだどりついたはずである。
(いったい、陛下は何を考えておられるのか)
疑う気持ちは生まれてこないが、掌の上で踊らされているような居心地の悪さは拭えない。
可畏はもういちど吐息をついてから立ち上がると座敷を出た。




