41:四方(しかた)の憂慮
昨夜は屋敷に戻ってから、葛葉はなんとも腑に落ちない気持ちを抱えながら眠りに落ちた。鬼火を追いかけた先には、はっきりと示された場所があった。
けれど、可畏はあっさりと現場から戻ることを決めた。
葛葉にはまるで理由がわからなかった。
寝床についても到底眠れないだろうと思っていたのに、今は寝過ごしたかと焦って飛び起きたりしている。
(いつのまにか、眠ってたんだ)
自分のことを無責任な人間だと思ったが、葛葉はすぐに気持ちをきりかえた。ぐちぐちと呵責にひたっている場合ではない。
休むべき時に休むという、特務部の一員としての責務を果たしたのだと前向きに受け入れた。
(日は登っているけど、寝過ごしたわけではなさそう)
葛葉は手早く身支度を整える。衝立障子の向こう側に人の気配はない。昨夜も葛葉が寝床についた時可畏は一緒ではなかった。
(御門様はいつお休みになっているのだろう)
上段の間にかけられた御簾をくぐりながら、広間へ向かう。
襖がとりはずされて一続きになっている大部屋の向こう側に、可畏の姿があった。隊服に身を包み、屋敷に戻ってきた隊員から報告を受けているようだ。
葛葉は可畏と隊員の話が終わるまで、何か手伝うことはないかと土間にある台所へ顔をだした。
朝食の準備で慌ただしいのがひとめでわかる。釜戸では大きな鍋がぐつぐつと音をたてていた。
「葛葉殿」
背後から声をかけられ、振り返ると少将の四方が立っていた。
「四方少将、おはようございます。わたしに何かお手伝いできることはありませんか?」
「大丈夫ですよ。それより昨夜はお疲れ様でした。閣下が朝食を済ませておくようにと」
四方が台所からつづく板張りの部屋にある膳を示す。
「こちらに用意しています」
「ありがとうございます」
朝食は握り飯と焼き魚に、汁物がついているようだった。
板張りの部屋は、どうやら食堂として機能しているようで、小さな膳がいくつも並べられている。膳の上では椀が伏せられており、誰かが座につくと給仕の隊員がやってくる。
二人がかりで鍋をかかえて、順次味噌汁をよそって回っている。
隊員が入れ替わり立ち替わり食事に訪れ、食べ終わると去っていくようになっているらしい。
「私もご一緒させていただいて良いでしょうか?」
少将でありながら控えめな四方に、葛葉は溌剌と答えた。
「はい、もちろんです」
四方と横並びに膳へむかい箸をとりながら、葛葉は気になっていることを聞いてみた。
「あの、四方少将」
「はい」
「御門様は休まれておられないのではありませんか?」
「そうですね。でも閣下にとっては平常なことです」
「休まれないことがですか?」
「ええ。常に式鬼を通じて現場と情報交換をしておられますし。でも、葛葉殿が心配される気持ちはわかります。私も閣下へお休みになるように進言したことがありますので」
「四方少将が?」
「はい。閣下が倒れるようなことになっては困るからと」
笑いながら頷く四方は、その時のことを思い出しているようだった。
「閣下には、折をみて休んでいるから心配ないと一蹴されましたが」
「折を見てと言っても……」
昨夜も葛葉に寝むように命じると、可畏はすぐに隊員へ招集をかけていた。
おそらく昨夜だけではなく、どの現場でも同じように指揮をとっているのだろう。
心配が顔にでてしまったのか、四方が穏やかな笑顔で補足する。
「それほど心配することはありませんよ。これまでも、閣下が精彩を欠くようなお姿は拝見したことがありません」
葛葉にも可畏が過労で倒れるような状況は想像がつかない。疲弊や翳りとは無縁の颯爽とした振る舞い。何者にも怯まない姿勢が、葛葉にも力を与えてくれる。
四方が給仕へきた隊員に椀を差しだすと、あたたかい湯気があがった。
「今となっては、閣下は特別な方なのだと理解しました」
「四方少将でも、そのように思われるのですか?」
「はい。そう考えると全てが腑に落ちます」
葛葉の椀にも味噌汁がそそがれる。辺りに満ちていた朝餉の香りがより深くなった。
味噌の匂いにそさわれたのか、唐突に空腹感が訪れる。
四方が箸を取りながら、静かに続ける。
「閣下の心配より、葛葉殿はご自身のことを気にしてください。いきなり隊に加わって戸惑いが大きいでしょう」
「いえ、わたしは大丈夫です。御門様が気にかけてくださっているので」
「そうですか」
四方は頷いて、椀に箸をつけた。
「せっかくの朝食が冷めてしまいます。とりあえず、いただきましょう」
「あ、はい」
箸を手にしたまま食事が進んでいなかった。葛葉が握り飯を頬張ると、隣でふたたび四方の穏やかな声がした。
「閣下は特別な方ですが」
「はい」
「閣下にとって、葛葉殿は特別なのです」
「え?」
「どうかお忘れなく」
四方は葛葉を見ることはなく、汁物をすすった。どういうことなのか尋ねたかったが、食堂でめまぐるしく入れ替わる隊員の慌ただしさを思い、葛葉も黙って味噌汁をすすり、握り飯を頬張った。
きっと羅刹の花嫁という、未だ得体の知れない能力のことだろうと、自分を納得させた。




