３７：一縷の望み
幼少期の殺人については保留ということになり、葛葉は可畏に寝むことを命じられた。
朧げな記憶だけでは、真偽をたしかめることもできない。
当然の判断だった。
蘇った記憶の衝撃がゆるむと、葛葉は取り乱していた自分が恥ずかしくなる。
（今はまだ、御門様のために働ける）
夜も更けつつあった。屋敷の中には隊員の気配があるが、日中よりはひっそりとしている。
寝むために上段の間にもどり、寝床で横になるとふうっとため息がでた。
目を閉じても、気持ちが冴えて眠れない。
夜叉はふたたび封じられたのか、気配を感じなくなっていた。
（わたしが火を放った相手は、人かどうかわからない）
可畏にすべてを打ち明けて、胸の塞がるような絶望からは解放されていた。罪の意識も、夜叉の話をきいてすこしだけ希薄になった。
自分の放った火によって、炎に包まれた人影。
それが人ではないという憶測は、一縷の望みになる。
（本当にそうだったらいいのに）
思い出すことを忌避していたのに、今は殺人ではない手がかりを求めて記憶をたぐり寄せてしまう。
赤い炎。悲鳴。あとに残った遺骨。
ぐるぐると脳裏で追いかけていると、横になっていてもますます意識が冴えてくる。
葛葉はゆっくりと寝返りをうった。
（まだ、特務部の一員でいられる）
警察に引き渡されるようなこともなく、告白のあとも可畏は葛葉を信じてくれた。
（明日のために眠らないと……）
特務隊にいる資格があるのかと反駁する自分を感じながらも、今はできることに尽力するしかないのだ。
殺人かどうかは、いずれ答えが出るだろう。
その時までは、精一杯任務を全うするだけである。
（今は御門様のお役に立つことだけを考える！）
気持ちを切り替えて眠ろうと、葛葉はぐいっとかけ布団を頭まで引き上げた。
けれど、眠ろうと考えるほど目が冴えてくる。
暗闇の中でも、記憶の赤い炎の影を追いそうになって、ふたたび寝返りを打った。
（……眠れない）
気を失った時に、仮眠をとっていたことも手伝っているのだろうか。
夜叉に話し相手にでもなってもらいたかったが、心の中で呼びかけてみても何も反応がなかった。
布団の中ではぁっとため息がもれる。
「葛葉……」
ため息を繰り返していると、衝立障子の向こう側から可畏の呼びかけがあった。いつから同じ部屋にいたのか、障子に影がうつっている。
葛葉はとっさにがばりと身を起こした。
「はい！」
「眠れないのか」
「あ、はい。申し訳ありません。御門様の眠りを妨げてしまって」
「いや。私はこれから出るが、眠れないのなら同行するか？ 気がまぎれるだろう」
答える前に葛葉は立ち上がっていた。
「はい！ ぜひお供させてください！」
勢いよく返事をすると、小さく笑う可畏の声が聞こえた。
「では支度が整ったら出てこい」
御簾をくぐって、彼は先に上段の間を出ていく。葛葉はあたふたと身なりを整えて、後を追うように部屋を飛びだした。
「御門様、見回りに出るのですか？」
「まだ何も解決していないからな」
葛葉が支度を整えて広間へ入ると、可畏はすぐに玄関へと向かった。屋敷を出ながら、辺りに放っていた鴉アゲハから報告を集めているようだ。
「千代の行方もわからないままだが、今のところ他に異形の気配はないようだ」
屋敷から通りへでても、日中の活気が嘘のように辺りは静まり返っている。
夜空には煌々と月が輝いていた。石油ランプに火を入れなくても、背後に薄い影が伸びている。
二人の足音だけが夜の静寂に痕をのこす。ふたたび鴉アゲハを散開させると、可畏が葛葉を見返った。
「千代を見失ったのは、私の失態だ。彼女はおまえの記憶について何か知っていたかもしれない」
「そんな、御門様の失態なんて……」
「逃げられたのだから、言い訳のしようもない」
「でも、千代ちゃんが怪しいなんて、わたしは思ってもみませんでした。御門様は早くから彼女を怪しんで夜叉を解放しておられて、何も落ち度はないと思います。ただ彼女の逃げ足が早かっただけで」
「たしかに、夜叉の話から考えても千代は得体が知れない。想像以上にやっかいな相手だろうな」
「はい。そもそも御門様の放つ鴉アゲハの監視をすり抜けるのは、簡単なことではありませんよね？」
「……そうだな」
可畏は思うことがあるのか、暗く澄んだ夜の闇を見つめたままだった。彼の横顔を仰ぎながら、葛葉は小走りになりそうな調子で隣をついていく。
「御門様、どちらへ向かっているのですか？」
見回りというには歩調がはやい。目的のある迷いのなさを感じる。
「鬼火の元凶がいた廃屋だ」
「廃屋って、あの長屋のことですか？ 鬼も千代ちゃんの仕業ですか？」
「鬼と異形はまったく異なるものだ。千代が異形に関わっているのは間違いないが、鬼火はどうだろうな」
「長屋で妙さんを名乗った鬼を見た時、千代ちゃんもいました」
「自身の隠れ蓑に鬼火を利用していた可能性はあるが。……千代が異能者だとしても、誰かに憑いている鬼は使役できない」
「はい。まず調伏が基本だと習いました」
「そうだ。鬼火の元凶は、おそらく妙という女だろう」
「本物の妙さんですか？」
