36:火災の真相
夜叉が当時の経緯をたどる。
見るたびに姿が異なるが、千代と同一人物だという幼い来訪者。その童子は、葛葉たちの住まう家に入ると、尾崎に碧い火を放った。尾崎の悲鳴を聞きつけて、葛葉がやってくる。葛葉は尾崎を守ろうとして、童子に異能の火をむけた。
けれど、葛葉の火は効かなかった。
童子が家屋に火を放つと、瞬く間に居間が炎に包まれる。赤い炎と黒煙に巻かれながら、童子は尾崎にふたたび碧い火を放った。
「その碧い火は、妖である尾崎を焼いたんだ」
尾崎の絶叫と火に悶える姿。
苦しげにのたうちまわる人影。運悪く、その様子は葛葉にこれまでの体験の意味を教えた。人が目の前で発火する。一番忌避する体験と重なる情景。
夜叉は葛葉の異能が暴走するのではないかと危ぶんだが、顛末は逆だった。
「葛葉はその時に自分の力を封じてしまった。力に関わる記憶も」
「おばあちゃんはどうなったの?」
葛葉の関心は、やはり尾崎の行方だった。夜叉はバツがわるそうに視線を伏せる。
「わからない。火災に紛れて、あいつと一緒に気配が消えてしまった」
「でも、死んでしまったわけじゃないよね」
「たぶん……。尾崎は火に包まれながら、ぼくに葛葉のことを守ってほしいと」
「おばあちゃんが」
「とても葛葉のことを可愛がっていたからね」
葛葉の目が潤むのをみて、夜叉が慌てる。
「な、泣かないでよ。ぼくが泣かしたみたいになるじゃん。尾崎に恨まれるのは勘弁してほしい」
可畏は人に憑くはずがない夜叉が、なぜ葛葉に憑いたのか。その理由をようやく理解した。
妖は上位の者が下位の者を支配することで成り立つ世界である。
人のように対等に徒党を組むことは少ない。
けれど、尾崎と夜叉の約束は、葛葉をめぐって交わされた秘めた盟約のようなものだ。
ごしごしと袖で涙を拭う葛葉に、夜叉が告げる。
「尾崎は葛葉の力がどういうものか知ってたよ」
夜叉の声は穏やかで、明かされる前に悪いものではないことが伝わってくる。
「葛葉の力はさ、幸せを願うことに似てる。だから、不幸をもたらすようなものじゃない。詳しいことはわからないけど、それだけは確かだ」
見守ってきた夜叉と尾崎が認めた力。伝えてもなお、葛葉に刻まれた罪の意識は深い。すべてを払拭するのは難しいが、夜叉の言葉は刻み込まれた凄惨な情景に、違う意味を彩る。
葛葉も反論せず唇を噛み締めていた。
誰よりも、そういう力であってほしいと願っているのは彼女自身なのだ。
夜叉が可畏に視線をうつした。
「今までのぼくの話を聞いて、可畏はどう思う?」
「千代の正体か」
「そう」
「おそらくだが、碧い火を使うなら異能者だろう」
「千代ちゃんが?」
顔をあげてこちらをみた葛葉に応えるように、可畏は成り行きをまとめる。
「なぜ、今も子どものままであるのかはわからないが。葛葉が火を放った時に傍にいたのは、いつも千代――同じ何かだった。夜叉の話はそういうことだろう?」
「そんな。じゃあ、昔も今も、同じ子が繰り返し、わたしの前に現れていたということですか?」
葛葉の疑問には、夜叉があっさりと首肯した。
「そうだよ。千代と名乗っていたのは、あいつだ。追いかけたけど逃げられた」
可畏は葛葉の抱える呵責を拭うきっかけとなることを期待しながら、道筋を糺す。
「この屋敷に千代を迎えに来た女は異形になった。人が異形化したのか、異形が人真似をしていのかはわからないが、葛葉が幼少に火を放った相手も、今日異形化した者と同じである可能性が高い」
「うん、同じだった。だから葛葉も思い出しちゃったんだよね。でも、あいつが招くものは、昔から異形でも人でもない」
「どういうことだ」
「異形ならススキ野原を超えて、葛葉の元へくることはできない。でも、いつもあいつと一緒にやってきた」
「……そうか」
可畏の脳裏で点と点が繋がる。
「葛葉、おまえは人が異形化するところを見たことがあると言ったな」
「はい。でも、夢を見てそう思い込んでいたのかもしれません」
「いや、おまえは目撃していたんだろう。千代が連れてくる者は、異形となる前の何かだった。おまえは異形となる前に火を放ってきたが、そうでない時もあった。その時に人が異形化したと錯覚した。だから覚えている。そう考えるのが自然じゃないか?」
可畏の中ではすでに確信に近い。葛葉は導かれた経緯に戸惑っている。
「そんなに都合の良い話があるでしょうか?」
どうやら罪の意識から、自分に都合のよい憶測を鵜呑みにはしにくいのだろう。それでも、罪に塞がれていた道に、明確な逃げ道ができたはずである。
「夜叉の話を踏まえると、一番符号の合う推測だと思うが。どちらにしても、おまえが火を放った者が人であったかどうかは疑わしい」
「御門様、でも、異形なら遺骨が出るのは……」
可畏にはそのからくりにも一つの憶測が成り立っているが、あえて打ち明けることは控えた。いまの葛葉に話しても、ただ都合のよい推理として受け取るだけだ。
「葛葉の異能がどういうものか。その答えを見つける方法はある」
「え?」
葛葉の目に期待の光が宿る。
「おまえの異能が人を焼くかどうかを見極めればいい」
「それは……」
彼女はすぐに力なく俯いた。
罪の意識によって、彼女自身が封じてしまった力。呵責を拭えないまま、ふたたび引き出すのは容易ではないだろう。わかっていながら、可畏は伝えた。
「おまえの使命は何も変わっていない。羅刹の封印にむけて、能力を開花させることだ」
「わたしには、そんな資格はありません」
残酷な理屈になることを知りながら、可畏は示した。
「おまえが否定しても、羅刹の花嫁であることは変わらない」
「でも玉藻様の夢見は、完璧ではないと……」
可畏はうなずく。
「そうだ、完璧ではない。だからこそ周囲の動向で導き出されることがある。夢見により、帝はおまえを庇護した。そして羅刹の花嫁であったと明らかになった。おまえが花嫁であることは、もう覆せない事実だ」
「人殺しでも? 羅刹の花嫁であれば、どんな非道も許されるということですか?」
「繰り返すが、おまえが火を放った者が人であったかどうかは疑わしい」
可畏は真っ直ぐに葛葉の目を見る。
「葛葉。もっと自分の力を信じろ」




