16:新たな住処
広大で絢爛たる御所をでると、葛葉はようやく可畏の屋敷に案内された。どんな豪邸に招かれるのかと緊張していたが、馬車が辿りついたのは瀟洒な平屋だった。
小さな門をはいると、手入れの行き届いた庭が広がっている。石畳の小道が二手にわかれ、家屋の玄関と縁側につづいていた。
物静かな家屋のたたずまいを眺めていると、ふわりと初秋の涼やかな風が頬をなでる。空を仰ぐと、鱗雲が列をなすようにたなびいていた。
葛葉は空を仰いだまま、雲の流れをおう。思えば、昨夜から予想外なできごとの連続だった。
こんなふうに季節を感じることも、空を見て綺麗だとおもう余裕も失っていたのだ。
こじんまりとした平屋をみて、はりつめていた気が緩んだのだろう。肌に秋の風を感じ、移り変わる空模様を愛でる気持ちを取りもどしていた。
葛葉が立ちどまって深呼吸をしていると、すぐに可畏が振りかえった。
「どうしたんだ?」
「あ、いえ。その、思っていたより馴染めそうなお屋敷で、安心しました」
可畏は辺りを見回してから、浅くわらう。
「安心できるなら良かった。ただ、ここは私の屋敷ではないが」
「では、まだ御門様のお宅には到着していないのですか」
「いや。ここが今日からおまえの住まいになる。帝が手配した特別な場所だ」
「天子様が?」
「昨夜の一件で、おまえは羅刹の花嫁だと周知された。だから、これは当然の措置だ」
帝と可畏の間では話が通じているようである。葛葉はまだ自覚が乏しいが、それでも玉藻や帝がかたった異能の役割を思えばうなずける。
すこしばかり生活に制約があったとしても、葛葉にとっては路頭に迷うよりもはるかに救いがあった。
「御門様もこちらで生活されるのですか?」
寄宿舎生活だった葛葉にとって、住まいが変わることに不都合はない。問題は自分と可畏の関係である。彼の婚約者という立場に含まれる役割については、しっかりと理解しておかなくてはならない。
「出入りはするが、私がここで暮らすことはない。この家は羅刹の花嫁を狙う者から、完全におまえを隠してくれる。そういう場所だ。葛葉にとっては、唯一の憩いの場になるかもな」
「わたしの憩いの場ですか?」
葛葉は平屋からつづく庭に目をむける。いつのまにか賑やかな通りの喧騒も絶えていた。穏やかな午後の日差しがやわらかい。
可畏の声がまっすぐに響いてくる。
「正直に話すと、ここにおまえを匿って、ずっと隠れていてもらうわけにもいかない。おまえの能力にはもっと使い道があるはずだ。それを見極めるためにも、これからは私の任務に同行してもらうことになる」
思いがけず役割を与えられて、葛葉は前のめりになる。
「わたしは御門様のお役にたちたいです」
「すがすがしいほど前向きだな。怖くはないのか?」
「恐ろしいのは路頭に迷うことです。わたしは特務部の一員となって、自分の力で身を立てるのが目標なんです。……でも、学校は退学になるのでしょうか」
素直に問うと、可畏は苦笑する。
「特務科の授業も座学から実戦にはいっていく。無事に卒業したいというおまえの気持ちはくむつもりだ」
「ありがとうございます」
葛葉はその場で深々と頭をさげた。役割が与えられるなら、すこしは気後れしなくてすむ。それでも何もかもが好待遇すぎるが、葛葉は深く考えないようにつとめた。
可畏との婚約が訳ありであることは、しっかりと心に刻んでいる。
「羅刹の花嫁」という異能がもたらした立場。
あまりにも調子がいいと不安になってしまうが、とにかく衣食住の保証があれば生きていける。
異能が発現してから倉橋侯爵に拾ってもらうまで、短い期間だったが葛葉は明日食べるものにも困る孤児だった時期があった。
当時のことは、御所で帝に頭を下げられた。祖母が不明になったあの火災からしばらくは、葛葉の消息についても混乱していたらしい。
まさか帝に謝罪されるなどとは思ってもいなかったが、当時のことについて、誰かを恨んだりはしていない。
ただ、頼るものが何もない、草の根を食べて過ごすような貧しさは、いまもくっきりと刻まれている。その心許なさが何よりも恐ろしかったのだ。
葛葉はひたすら生きていくための教養や役割がほしかった。
「葛葉、とりあえず屋敷に入ろう。おまえの世話をしてくれる者を紹介したい」
「はい」