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みそっかす転生王女の婚活

作者: 佐倉えび





「姫さま、そろそろお時間でございますよ」


 侍女が私を覗き込む。

 また意味のない婚活パーティーが始まってしまうようだ。


「あまり行きたくないのだけれど」

「今回こそ、品のよい貴公子ばかりだとマッシモ殿下が仰っておりました」

「お兄さまの言うことはあてにならないわね……ますます行きたくないわ」

「そんなこと仰らずに。今日はルルドシェフがデザートを担当されたとかで、マンゴーのレアチーズムースが出るそうですよ?」

「ほんと? それは楽しみだわ」


 ソファーから立ち上がった私は、そそくさと扉へ向かった。扉の前に控えていた護衛騎士のレイラがキリッとした顔で扉を開けてくれた。

 レイラはスラリと細身ながらとても強く、男性騎士をも打ち負かす腕前だ。

 思わず立ち止まり、頭ひとつぶん高い場所にあるレイラの整った顔を見上げた。


「今日もお願いね」

「お任せください。マナティー王女殿下に、軟弱な男など寄せ付けません」

「……うん」


 ちょっと不安だ。

 レイラはとても男性に人気があり、レイラ目当てで寄ってくる男を「マナティー殿下目当てのくせに騎士から口説くとは、卑怯者め。紳士の風上にもおけぬ」などと言ってコテンパンにやっつけてしまうのだ。勘違いでコテンパンにしてしまうので、私としては大変気まずいのだ。男性の『お前には興味ねぇから勘違いすんなよ?』みたいな視線が痛い。いたたまれない。


 レイラはアイロージ侯爵家という有力貴族のご令嬢だ。侯爵家の子どもたちは皆有能で、長男は宰相補佐、次男は経理部長補佐、三男は騎士団副団長、長女は辺境伯夫人で、男児三人を出産した後は辺境伯領で剣を振るっている。レイラは歳の離れた末っ子次女で私の護衛騎士。正直、私の護衛騎士なんてやってないで、レイラこそ婚活するべきではと思う。

 勇ましくて賢い血筋のアイロージ侯爵家の人々は見目もよく、嫁や婿に迎えると栄えると言われている。言われてるというか、もはや事実である。


 対して私は婚約の打診をしてもお断りされてばかりいるお荷物王女だ。

 美しい姉は隣国の王子に見初められて五年前に結婚した。

 私は幼い頃の言動から変わり者と蔑まれ、他国からも自国からも結婚の申し込みのない、みそっかす王女と呼ばれている。旨味のない小国、パバル王国の第二王女であり、見目もイマイチな上にすでに十九歳という王女としては行き遅れ。残り物感が半端ない。自分のことながらペットショップで売れ残っている仔犬という名の成犬を見たときのような気分になる。

 最近はすっかり諦めモードだから、前世の水族館で見たマナティーみたいになってきたな、と自分でも思う体つきになってしまった。これぞ名は体を表すという――この世界にマナティーは存在しないようだけれど。

 ちなみに、この世界でマナティーとは天使の名前らしい……完全に名前負けである。踏んだり蹴ったりだ。

 

 ぼんやり考え事をしながら歩いていると、あっという間にお兄さま主催の婚活会場に到着してしまった。お兄さまはここ二年、顔すら出していない。特に私が十九歳を過ぎてからは誰でもいいから参加しろと声をかけて集めているらしい。結果、不真面目な人が多くなって婚活がますます苦痛になってしまった。最近ではファーストダンスだけ踊って会場を抜けるようにしている。それでも年頃の令嬢たちが参加するので、婚活パーティーを開催できるぐらいには人が集まる。彼らは麗しい令嬢たちと出会うために、今夜もせっせと足を運んでいることだろう。


「第二王女、マナティー殿下」


 会場に入ると、紹介と共に音楽が鳴り響いた。

 毎度毎度、賭けに負けた人が私のファーストダンスを申し込んでくる。みそっかすな私と踊るダンスは罰ゲームということらしい。ダンスを踊ったせいで私に気に入られたら大変だからというのが罰ゲームと化している理由だとか。


 一応は王女なので笑顔で対応するが、苦痛である。さっさと終わらせたいという気持ちが相手からもありありと伝わってくる。チラチラとレイラを見ているのがいっそ清々しくはあるが。

 ファーストダンスさえ踊ってしまえばその後は自由なのだから、もう少し協力してくれないだろうか。踊りにくくて仕方がない。爬虫類のような目を左右にぎょろぎょろ動かすので気味が悪かった。


 苦痛だったダンスが終わり、背後からレイラが付いてくるのを確認してからデザートのほうへ向かう。

 辿り着いた先で見るデザートは圧巻だった。

 さすがルルド。

 白からピンク、ピンクから赤、赤からオレンジ、オレンジから黄色という花畑のようなひと口サイズのデザートがずらりと並んでいる。ルルドの料理は味だけでなく見た目も大変美しい。


「私もどうせなら美しいお菓子に生まれ変わりたかったな」


 私の容姿は、前世からすればずいぶんと可愛らしいのだけれど、この世界は「可愛い」に少々厳しい。

 姫の降嫁が褒賞になるなんて話は美女に限られているのだ。


 父が新しい技術の発明をした人物に私を押し付けようと「褒賞を」と語るやいなや「研究費を!」と食い気味で断られたエピソードは、今も面白おかしく語り継がれている。

 髪がぼっさぼさの冴えない男爵家の三男風情に婚姻を断られたと笑われているのだ。

 私としては気取ってる令息たちよりは、研究熱心な彼のほうが幾分かマシだったのだが――それだけに、少々辛い思い出になってしまった。


 ちなみにその技術のお披露目パーティでは、王女なんかを嫁にしたって、しきたりが多くて面倒臭いし、自分のことなんて何ひとつできないから手間と金がかかるし、浮気すれば王家を敵に回すし、褒美どころかむしろ罰! と言って男性たちの笑いをとっていた伯爵令息がいたが、彼はお兄さまの取り巻きの一人だった。


 その令息も大してモテないようだったので、お前に言われたくねぇ! と心の中で罵倒しておいたけど。

 前世二十五歳だった記憶があるから、その程度で済ませているが、繊細な年頃である十代の女の子がそんな暴言を吐かれたら病んでしまうだろう。しかもこんな、結婚以外で生きる道がない立場ならなおさら。


「ルルドはやはり天才では?」


 荒んだ心が癒される美味さである。

 マンゴーのレアチーズムース。ふわふわのとろとろ。

 マンゴーもレアチーズもお互いを尊重しあってて相乗効果で二倍美味しい。


 会場から出てすぐの場所に置いてある庭園の見えるベンチに座って一人でデザートを食べるのが習慣になってしまった。ここに到着するまで全く声を掛けられないのだから、もうこの国での婚活は無理なんじゃないかと思う。


「やっぱり美味しいデザートに生まれたい人生だったな」


 さっきは美しいデザートになりたいと思ったが、やはりデザートならまずは美味しさだろう。美しくて美味しいデザートになりたいなんて贅沢は言わない。せめて美味しいデザートに生まれたかった。美味しければきっと食べてもらえる。売れ残りは辛い。


「デザートよりも甘く可愛らしい女性がそのようなことをおっしゃるものではありませんよ。勘違いした者に美味しくいただかれかねません」

「……あなたは?」


 控えていたレイラが殺気立って剣の柄に手を置いたのを制して聞いた。

 人が近付いて来ていたのはわかっていたが、デザートの皿を片付ける給仕かと思っていた。


「失礼しました。テオドルと申します。城の料理人、ルルドの兄でございます。先ほどルルドの名を呟かれていたのでつい、お声を掛けてしまいました」

「まぁ! ルルドの!? 私は第二王女のマナティーです」

「お会いできて光栄です、マナティー王女殿下。ルルドに会うために来たのですが、どうやら迷ってしまったようで」

「それは大変でしたね。城は迷路のようですから。よろしければ私がご案内いたします」

「それには及びません――あぁ、そのように殺気立たなくとも害はありませんよ。見ての通り草臥れた中年です。あなたのような素晴らしい剣の使い手にお相手いただけるのであれば光栄ですが、それはまたの機会に」


 テオドルはレイラに顔を向け、ふ、と息を吐くように笑った。目の横に少し笑い皺が入ってとても素敵な笑顔だった。私を見て話していたときも、令息たちのような蔑むような視線を感じなかった。短く刈られた髪はアッシュグレーで、顔立ちは野性的ながらも品があって美しい。

 レイラと対峙しても物怖じしない様子は大人の男性ならではだろう。


 そして、今日もレイラはモテる。

 いつもと違い、ちょっぴり羨ましくなってしまった。


「では、私の食後の散歩にお付き合いくださいませんか?」

 押し付けがましくならないように声をかければ、頷いてくれた。


「喜んでお供させて頂きます」


 腰かけていたベンチから立ち上がると、テオドルは随分と背が高かった。立派な体躯はまるで騎士のよう。芸術肌で細身のルルドとはあまり似ておらず、鍛えている人の湧きあがるエネルギーのようなものを感じる。

 エスコートのために差し出された腕におずおずと小さな手を添えた。


「まぁ、ご立派なのですね」


 お兄さまや令息たちのようにヒョロヒョロしておらず、添えただけでもわかる腕の筋肉を褒めた。テオドルは「んっ、」と少々言葉に詰まってから「ありがとうございます」と照れたように笑ってくれた。


「どうせなら庭園を通って厨房へ行きましょう。今日は特にライトアップされていて綺麗ですから」

「殿下、庭園は危険です」

「大丈夫よ。レイラが居てくれるんだもの。心配ないでしょ?」


 レイラは私が夜の庭園に出ることをとても嫌がるのだ。

 件の伯爵令息が私を罵っていた場所だからだろう。

 あとは単純に暗い場所は危ないという心配もあるのかもしれない。


 テオドルに庭園の中を案内しながらゆっくり歩く。夏のむせるような暑さが薄れ、秋の気配がしていた。夜の草木の露のような香りが心地よく、婚活会場の賑わいからも離れて深く息を吸うことができた。

 ライトアップされている場所まで来ると、足を止めて青く光る庭を眺める。噴水の周りだけ優しいクリームイエローのライトが散りばめられていた。青い草原に咲くクリームイエローの花束のようでうっとりしてしまった。

 

「ほう、これは見事ですな」

「イルミネーションみたいですよねぇ」

「イルミネーション……ですか」

「あぁ、ごめんなさい。なんでもないです。今日はちょっとしたパーティーのようなものがあったので、庭師が気を利かせたのでしょう」


 こういうところが駄目なのだろう。前世の記憶のまま、この世界に存在しない言葉を呟いてしまう。

 幼少期は特に酷く、牡蛎そっくりの貝を牡蛎だ牡蛎だと騒いでしまったことがあった。焼いた時の味もそっくりで、大きさは三十センチほどもあった。

 私はそれを生で食べようとしたり、他の魚も生で食べようとしたせいでとても気味悪がられた。

 幼少期は前世の記憶を持ちながらも、体の年齢に精神が引っ張られ、何を言えば気味悪がられるのかを理解できなかったから、あの頃は自由に発言していた。

 生では食べられないと言われた時も「寄生虫がいるもんね」と言って、さらに怖がられたのだ。

 そんなことを繰り返しているうちに家族から蔑まれ、避けられるようになった。


 どうせなら前世の記憶やら転生者特有のチートで活躍してみたかったが、私の記憶は残念なほど平凡だった。どこかフワフワしており曖昧で、有効活用できるような記憶は持っていなかった。その割に価値観は前世に近く、いまひとつこの世界に馴染めない。何においても中途半端なみそっかす王女だ。

 

「ルルドには、とてもよくしてもらってます」

「お役に立てているのなら僥倖です」


 ぼんやりとした作り方しか知らない、前世の食べ物を何度も作ってもらった。異国出身のルルドは私の変な発言も馬鹿にしなかったから、たくさん甘えてしまったのだ。


「ルルドは、そろそろ国に戻るのでしょうか?」


 胸がざわざわする。ルルドの料理を食べられなくなったら、これから何を楽しみに生きたらいいのだろう。


「あー。いえ、実は」


 テオドルが何かを言いかけて、不意に背後を見た。レイラも剣の柄に手を置いている。

 私はノロノロと二人の視線の先を追った。

 件の……私を罵っていた伯爵令息が美しい女性をエスコートしながらこちらに向かってきた。


「珍しい。姫殿下じゃありませんか」


 馬鹿にしていることを隠しもしない、尊大な態度だった。美しい女性を連れているから気が大きくなったのだろう。彼は私のことをジロジロ見たあと、テオドルを上から下まで眺め、フンッと馬鹿にしたように笑った。猫背で背の低い貧弱な彼のどこにテオドルを馬鹿にできる要素があるというのだろう。


 レイラの殺気が凄い。

 今日はテオドルもいることだし、私は久しぶりにお姫さまらしく振る舞って追い払うことにした。


「わたくしは、あなたのことなど存じ上げないのですが、何か御用ですか?」

「なっ!!」


 まさかお兄さまの取り巻きである自分を知らないとは思わなかったのだろう。伯爵令息の顔は瞬時に赤くなった。

 この人が陰で私を馬鹿にしただけで、お兄さまから紹介されてもいないし、そもそも話したことがないのだ。

 

 女性の方は流石にマズいと思ったのだろう。伯爵令息の腕から手を離し、後退り始めていた。


「……私は、メンフィーヌ伯爵家」

「名乗る許可など与えておりません。何用かと聞いています」

「……失礼……しました」


 エスコートしていたはずの女性はいよいよ姿を消した。庭園の奥へ逃げたようだが、それはさすがに危ないと思う。庭園を警備している騎士に目配せしたら、すぐに女性を追ってくれた。


 伯爵令息も黙ったようなので、テオドルの腕をそっと撫でて見つめた。


「用はないみたいなので、行きましょう」

「そうですね」


 険しい表情を瞬時に緩めたテオドルが頷く。レイラは殺気だったままだが仕方ないだろう。あの伯爵令息には思うところが多分にあるのだ。私への罵りを偶然聞いてしまった時のレイラの怒りようは凄まじく、宥めるのが本当に大変だった。よく大人しく部屋まで帰れたものだと思う。


「みそっかす王女のくせに」


 せっかく最小限に留めた私の苦労が水の泡だった。おそらく私が振り返る頃にはレイラにコテンパンにされているだろう。

 緩慢な動きで振り返ると、伯爵令息はテオドルに後ろ手に捻り上げられていた。

 その横でレイラが目をパチクリしていた。剣の柄で殴ろうとしていたところを、テオドルに片手で止められている。もう片方の手で伯爵令息の腕を捻り上げながらだ。


 いつの間に!?


「マナティー王女殿下、この国に不敬罪はありますか?」

「えっ、ええ。一応」


 ほぼ形骸化しているけれど。


「では、裁判にかけましょう」

「ええええ……」


 伯爵令息は恐怖に体をぶるぶる震わせていた。


「王女殿下の温情もわからないとは、紳士教育はどうなっている?」

「ゆるっ、ゆるして……くだ」


 明るい茶髪の毛と二重の大きなうるんだ瞳、震える弱弱しい体のせいでチワワにしか見えない。狼がチワワの首筋に牙を立てているかのようだ。


「なぜ貴殿は王女殿下に恋慕の情を抱きながら悪態をつく?」


 ……え? なんて?


「わざと嫌われるよう仕向けるなど、幼児か?」

「違っ」

「王女殿下の老成した魂は貴殿の幼稚な魂とは到底釣り合わぬ。潔く諦めよ。さもなくばこの宝珠に記録された先ほどの暴言を元に裁判にかける」

 

 手首に嵌められた宝珠が暗闇で不気味なほど赤く染まっていた。音を録音できる、この世界の道具だが――魂とは一体。スピリチュアルな何かだろうか。


「……申し訳ありませんでした」


 震えながら伯爵令息が謝ると、テオドルは「二度目はない」と言って手を離した。伯爵令息は逃げる様に暗闇に向かって走り出し……足をもつれさせて盛大に転び、ヨロヨロ立ち上がると走って消えた。


「レイラ殿。邪魔をして申し訳なかった」

「いえ。殿下をお守りいただいたこと、感謝いたします」


 テオドルにレイラが頭を下げた。


「さぁ、ルルドのところへ行きましょう。いや、お散歩でしたかな?」


 テオドルのさっぱりとした声に安堵する。小さく深呼吸してからテオドルと並んで歩き始めた。


「そこの扉から城内に戻れるのです」


 扉を警備する騎士に通してもらい、城内へ戻った。パーティー会場から離れているから、参加者と鉢合わせることもないだろう――そう思った矢先、ファーストダンスを踊った爬虫類顔の令息と遭遇してしまった。


「王……女殿下……」


 ――爬虫類(爬虫類顔の令息)はお取り込み中だった。

 女性を壁に押し付けて、いまこそキスをという場面であった。


 見なかったことにして素通りしようと思う。

 テオドルも知らん顔で横を通り抜けることにしたようだ。

 レイラの顔には侮蔑しか浮かんでいない。


「これは違う!! 俺は」


 お前もスルーしろよー!!

 思わず心の中で、前世口調で盛大に突っ込んでしまった。


 爬虫類(爬虫類顔の令息)は女性から離れて急にこちらに来たかと思うと、私の手を掴もうとした。すぐにテオドルに手首を取られていたけれど。レイラはテオドルに任せることにしたらしく、侮蔑の表情のまま爬虫類(爬虫類顔の令息)を睨んでいた。


「レディに許可なく触れてはならないと、習わなかったのか?」

「おっさん誰だよ」

「口の利き方も知らないのか」

「俺は王女殿下に話があるんだよ。ダンスが終わった後、どこ探してもいなかったから」

「王女殿下に、貴様のような下衆は触れるべきではない」

「ずいぶん偉そうにしてるけど、あんた誰?」


 尖った声がテオドルの向こう側から聞こえる。

 私と爬虫類(爬虫類顔の令息)の間を完全に遮断してくれているテオドルに感謝しながらテオドルの背中に向かって言った。


「行きましょう、テオドルさま」

「そう、ですね」


 世の中には関わらない方がいい人というのがいる。

 この爬虫類(爬虫類顔の令息)はそういう類の人だ。

 

「待って、俺は王女殿下に結婚を申し込もうと思ってて」


 いや、あなた全然私のことなんて見てなかったじゃん。

 女性と絡んでたくせによく言えるな!?


 必死にこちらを見ようと顔を伸ばしてくるのが気持ち悪い。

 蛇みたいに顔を振っているらしく、テオドルの陰からチラッと、あのギョロギョロした瞳が見えて――ほんっとうに気持ちが悪い!!


「持参金で借金を返済したいのか。なるほど?」

 テオドルは(爬虫類令息)の瞳を覗きこんでいるようだ。


「……っ」

「借金は……ギャンブルか。お父上にでも泣きつくことだな」

「痛いなっ、離せよ」

「二度とマナティー王女殿下に近付くな、いいな?」


 ゴキッと音がして、手首が変な方向に曲がったのが視界の端で見えたような気がするけれど、私はすぐに目を瞑った。レイラは「早く治療しないと曲がったままになるぞ」と(爬虫類令息)を脅していた。

 二人ぶんの足音と(爬虫類令息)の叫び声が遠ざかっていくのを聞いて、ようやく目を開けた。


「テオドルさま。何度も助けていただいて申し訳ありませんでした。ありがとうございます」

「いえ……」


 なんだか疲れてしまった。

 はやくルルドのところへ行きたい。

 気を取り直して厨房までの道を案内しながら、壁に飾ってある絵の話をした。テオドルは相槌が上手く聞き上手だったため、次第に気持ちが落ち着いてきた。


 厨房が目の前というところに来て、私にもテオドルにもようやく笑顔が戻ったころ――今度は例の研究者に出くわしてしまった。ぼさぼさの髪を後ろに撫でつけ、タキシードを着ていた。


「王女殿下!!」


 目が合ったのは初めてだった。いつもは髪に隠れていて、どこを見ているのかもよくわからなかったのだ。


「会場に王女殿下はいらっしゃらなくて、ここではないかと思い来てみたのです」

「……そう、ですか」


 私を探すならまずは厨房というのは王宮では有名な話ではある。この男爵令息が知っていたのは意外だったけれど。


「褒賞でいただいた研究費を使って、また新しい技術の開発に成功したんです!! 今度こそ褒賞に王女殿下をと思いまして!!」

「……あの、そういったお話をここでするのは非常識では?」


 男爵令息の声が大きすぎたため、厨房から料理人たちがわらわらと顔を出す。

 人をかきわけるようにして出てきたルルドは、私を見ると大きな目を見開いていた。


「姫さま!?」

「あぁ、ルルド。あなたのお兄さまをお連れしたわよ」

「ありがとうございます。兄上も遠くからお疲れさまです。それにしても姫さま、なんの騒ぎですか?」


 ルルドは男爵令息と私を交互に見て首を傾げていた。


「えっ? ええ……ちょっと困ってますの。あ、マンゴーのレアチーズムースとても美味しかったわ。味も香りもお互いを干渉していなかったし、最高だったわ」

 これだけは早く伝えておかねば。今後のデザート開発に支障が出るでしょうし。


「ホントですか!? 良かったぁ!! そうだ、姫さま、お腹空いてませんか? 俺、これから夕飯なんです。一緒にどうですか?」

「本当!? ぜひいただくわ。レイラもどう?」

「私は仕事中ですから」

「もうパーティーには戻らないわよ? 参加している皆さんもお相手を見つけていることでしょうし。テオドルさまも一緒にいかがですか?」

「もちろん、ご一緒させて頂きますよ」


 良かった。

 ルルドの作るご飯を食べたらきっと気分もよくなるはずだ。


「皆さま。今日は素敵なお料理をありがとうございました。ルルドをお借りしてもいいかしら?」


 厨房に向かって声をかけると、顔を出した料理長が「もちろんです」と頷いてくれた。厨房によく出入りしている私にとって、ここは最も落ち着ける場所だ。疲れたとき立ち寄ると、いつでも快く招き入れてくれる。


「では、試食室で待ってるわね」


 ルルドが頷いた。

 厨房から少し離れた場所に試食の為の部屋が用意されている。王宮の夜会などの食事は必ず一度、主催者が味をチェックするのだ。試食室はそのための部屋で、十人ぐらい入れるのでこの人数なら余裕だろう。

 

「行きましょうか」


 斜め上を見上げると、テオドルが男爵令息を見ていた。

 レイラもなんだか警戒しているようで、体を彼のほうに向けている。


「王女殿下のエスコートは私がします!!」

 男爵令息の声の大きさと、ギラギラした目が怖い。


「……いえ、申し訳ないのですけれど、すでにエスコートしていただいておりますので」

 テオドルのほうがいいし、なんなら男爵令息の存在を忘れていた。ルルドの顔を見たら吹き飛んでしまったのだ。


「お食事にお招きいただいたことですし、遠慮なさらず!」

 チラリ、と男爵令息がテオドルを見上げる。


 その視線はどこか勝ち誇っており、不躾だった。

 確かに男爵令息は若いながらも功績を残している研究者だが、だからといって人を見下すのはどうかと思う。

 テオドルはジュストコートをさりげなく着こなしているし、所作も洗練されている。決して見劣りなどしていない……というより男爵令息よりよほど貴族に見える。


 戸惑っていると、男爵令息が私にぐいぐいと腕を差し出してくる。

 そもそも、食事に招いたつもりもない。

 どう説明すべきか頭を悩ませてしまった。


「失礼。貴殿は食事に誘われていないのでは?」

「何を言ってるんですか。王女殿下が私に対してそんな失礼なことするわけないじゃないですか」

「あの、申し訳ないですけど……」


 この男爵令息は空気を読むということができないらしい。

 むしろなぜ誘われたと思ったのだろうか。

 しかも、驚いたことに差し出してきた腕と反対の手で私の腕に触れてきた。やけに湿度の高い手が気持ち悪かった。


 パシッ


 小気味いい音を立て、男爵令息の腕はテオドルに弾かれた。驚いたような顔をしているが、驚いているのはむしろ私だ。


「王女殿下に触れるとは何事だ!?」

「それはこちらの台詞だ。私が正式な婚約者なのに、なぜあなたが王女殿下をエスコートしているのですか?」


 婚約者!?


「これは危ないな。王女殿下はどなたとも婚約しておられないはずだが?」

「まだ発表されていないので知らなくて当然ですよ。なんたって褒賞ですから。私はこの国の発展に貢献しているんです。あなたのようなどこの国の者かわからないような人に私の大切な婚約者のエスコートは任せられません。さ、王女殿下」


「お断りします」

「えっ?」

「婚約なんてしません。この後の食事にも誘っていません」

「あはは。照れてるんですか? 私は陛下が王女殿下を私への褒賞にしようとしていたことを後から知って、なるほどと思ったんです。王女殿下は私のことがお好きですよね? あの日も熱心に私を見ていましたし」

「いいえ、全く」

「私が真っ先にあなたを褒賞に選ばなかったから拗ねてるのかな。可愛いところもあるんですね……正直に言うともっと細い人のほうが好みなんですが、許容範囲です。皆から馬鹿にされているようですが、私はそんなことはしません。ちゃんと大切にしてあげますよ?」

「お断りします」

「遠慮なんかしなくていいですよ。自分のことなんて出来ないでしょうから侍女ぐらいは雇いますから生活面も安心してください」

「お断りします」

「頑固だな。そんな態度だからいつまで経っても相手が見つからないんだ。せっかくタキシードまで買って婚約してあげようとここまで来たのに」

「頼んでおりませんわ。レイラ」

「はい、殿下」

「お帰りいただいて」

「御意」


 いかにも弱そうに見えた男爵令息はレイラに取り押さえられそうになると酷く暴れ、私を睨みながら腕を振り上げた。殴られそうになり、身を固くした私の前にテオドルが出てくれた。男爵令息を押し倒し、体を押さえつけてくれる。レイラは剣を抜き、男爵令息の首筋にピタリと当てた。

 心臓がバクバクする。

 大小さまざまな面倒ごとはあれど、私に手を上げようとした人は初めてだ。

 うめき声をあげる男爵令息は、テオドルに押さえられ、レイラに剣をつきつけられてもなお私を睨んでいた。


「レイラ、一番近くにいる護衛を呼んできて」


 頷いたレイラは剣をおさめると、踵を返した。


 男爵令息は暴れながら暴言を吐いている。主に私の容姿への罵倒だった。

 引っ込んだはずの料理人たちが再び顔を出し、不安そうに事の成り行きを見守っている。しばらくして、レイラと護衛が駆けつけた。

 護衛は私への暴言を聞き「貴様、不敬だぞ!?」と怒鳴りながら男爵令息を引きずって行ってくれた。レイラも「事情を説明してきます」と言って護衛を追った。


「姫さま、なんか凄い騒ぎになっちゃいましたね」


 トレーに乗ったたくさんの天ぷらを抱えて出てきたルルドが心配そうに眉を下げた。

 テオドルと並ぶように立つと、あら不思議。案外似ていたのだ。最初は似ていないと思ったのだけれど、目元の辺りの優しい雰囲気がそっくりだった。


「もう片付いたわ。それより、今日の夕飯は天ぷらなのね!?」

「はい。姫さまの好物です。海老とホタテと白身魚とナスとかぼちゃとレンコン、しいたけ、あとなんでしたっけ? タラの芽? もたくさんあります」

「嬉しいわ! ほんとはタラの芽って名前じゃないみたいだから、あんまり言わないでね? 似てるだけだから」


 この世界には天ぷらが存在しなかった。


 パバル王国は魚介類が豊富でとても美味しいのだ。それを活かす天ぷらは絶対食べたかったし、天ぷらなら生じゃないから気持ち悪いと言われないだろうという思惑もあった。ルルドは魚介料理を学びたくてパバルの料理人になったらしく、私たちの利害は一致していた。


 前世では水で溶く天ぷら粉しか使ったことがなかったから、玉子と水と小麦粉で作るときの分量がわからなかった。ルルドがあれこれ試してくれて、最終的にはお店で食べるような美味しい天ぷらを作れるようになってくれた。ルルドさまさまである。


「レイラもそのうち戻ってくると思うから、試食室へ行きましょう」


 気を取り直すように声を上げると、テオドルは私の瞳を食い入るように見つめていた。

 誰からもそそがれたことのない熱い視線に、私の肩はびくりと跳ねたのだった。



「えっと、テオドルさま?」


 試食室に入ってもテオドルは熱心に私を見つめていた。


「ね、ルルド。テオドルさまどうなさったのかしら?」

 思わずルルドに聞く。


「あー、うーん。兄上、僕から説明してもいいの?」

「いや。レイラ殿が到着したら、私からしよう」


 場をもたせるために、ルルドとの出会いから、料理を二人で試行錯誤したころの話や、ルルドの料理の美味しさを熱弁した。ようやくレイラが戻って来たころには、ルルドの顔は真っ赤だった。テオドルは終始楽しそうに聞いてくれた。

 

「大変だったわね。レイラも一緒に食べましょう?」

「……ですが」

「もういいじゃない。テオドルさまからお話があるようなの。盗聴防止の道具を起動するから長くなるわ。あなたも疲れたでしょう?」

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えまして頂戴いたします」


 レイラは侯爵令嬢だけあって、とても綺麗に食べる。滅多に一緒に座ってくれないので、私は嬉しくなってニコニコしながら食べているところを眺めた。


 皆があらかた食べ終えるのを待って、テオドルがゆっくり語り始めた。


「私とルルドは正確に言うと、従兄弟なのです」

「まぁ。そうなの? 目元が似ているからすっかり兄弟かと」

「私の正式な名はアレクサンドル・テオドル・マトゥラです」

「マトゥラって、王国のお名前……」

「現マトゥラ王は兄です」

「まぁ! 知らなかったとはいえ、失礼をいたしました」

「とんでもない。正式に名のりもしなかった私に親切にしてくださって、とても嬉しかったですよ」


 微笑んでくれてはいるが、私の背中は汗でびっしょりだった。

 先ほどの令息たちは、本当に不敬罪だったのだ。


「ルルドは私の母の妹の子で伯爵家の次男です」

「そうだったの。私なにも知らなくて。ごめんなさいね」

「何をおっしゃってるんですか~! 姫さまに会ってなかったら僕なんてここで働けず、すごすご帰国しなきゃならなかったんです。一人前の料理人になるといって家を出たのに恥ずかしい思いをするところでした。姫さまが拾ってくださったんですよ。天ぷらで」


 天ぷらの他にも、ルルドには色々な料理をお願いして作ってもらっていた。その頃ルルドは他国出身ということで先輩たちから嫌がらせを受けていて、辞めるか辞めないか深刻な状況だったらしい。精神的にはギリギリだけど私と作る料理は楽しく、しばらく続けてみよう、辞めるのはその後でいいだろうと引き延ばしていたらしい。そのうち料理長がルルドの様子に気付いて、完成した料理を食べてくれるようになり、次第に先輩たちにも腕前とやる気を認められて居場所が出来たのだという。


「やだわ。私が食欲を満たすために必死だったのがバレちゃう」

「そんなことないですって。姫さまは日頃から我慢しすぎなんですよ。出たくもない婚活パーティーに出て、変なのに毎回絡まれて、いっつも我慢して」

「私は行き遅れのみそっかす王女だから仕方ないのよ」

「そんなことばかりおっしゃるから、僕も我慢の限界がきて兄上をお呼びしたんです」

「どういうこと?」


 テオドル――アレクサンドル殿下のほうを見た。


「十九歳の王女さまにとっては、三十歳を超えた私からの求婚なんて困るだけだろうと……そう思って名を伏せていたのですが」

「……きゅうこん」


 キュウコンといえば、この国では野菜って意味もあるのよねぇ。作物の仕入れかしら? 


「違いますね」


 心が読めるのかしら。


「少しだけ」


 やだ。会話できちゃう。


「顔を見ればある程度予測もつきますが、ちゃんと口にしていただかないとさすがに会話は続きませんよ?」


 アレクサンドル殿下は吹き出し、お腹を抱えて笑い出した。


「王女殿下は見た目通りのご年齢ではなさそうなので気が変わりました。私に読まれても気にされないようですし。最初に触れたときから相性がいいことはわかっていたのですが」


 どういうこと?

 ちょっとわからないわ。

 確かに前世の記憶があるから私は見た目通りじゃないけれど。


「声を上げないからと言って怒っていないわけでも、泣かないから悲しくないわけでもないのに、人というのは都合のいいように解釈しますからね。否定しないからといって嫌がっていないわけでもない。声を上げるなんてよほどのことなのに、それすら理解できない。我が国にも一定数いるんですが。私はカンがいいのでそれを感じてしまう。うっすら視えてしまったりする。私の能力に気付いた途端、今度は探られたくないと真逆の態度を取り始める。それを見て私も幻滅する。そんなことを繰り返していたら、すっかり婚期を逃してしまい、この歳です」


「この歳って、まだお若いですわ」

「三十二歳になります。王女殿下の今のご年齢からするとおじさんですよね」

「……そうかしら?」


 確かに、前世の二十五歳の記憶があるからあまり抵抗がないのかもしれないけれど。

 そうじゃなくても素敵だと思う。

 精悍な顔つきなのに優しい目元とか。聞き上手で大人なところとか。


「とても素敵だと思います」

「……ありがとうございます」


 アレクサンドル殿下は私の足元に跪き、手の甲に口付けた。

 あまりの速さにレイラも口を開けただけで反応できなかった。


「どうか、私と結婚していただけませんか?」

「けっ……こん……ですか?」

「はい」

「レイラではなく?」

「……レイラ殿、ですか?」

「最初に会った時に、お相手をと仰っていたので、レイラがお好きなのだとばかり思っておりました」

「あぁ、なるほど。それであの時……いえ、素晴らしい剣の使い手とお見受けしましたので、そのうち手合わせを、という意味でした」

「そう……なんですか」

「はい。私は王女殿下に会いに来たのです。ルルドから王女殿下と会ってみてくれないかと言われまして。会えばきっと好きになるからと。それで取り急ぎ兄を通して陛下に謁見の申し込みをしつつ、はせ参じたというわけです。こちらかなと思うほうへ歩いて行けば、まさにそこには天使マナティーの名をほしいままにした王女殿下がいらっしゃったのです」

「まさかそんな」

「お疑いになりますか? それとも、中年の愛の囁きは『キモい』でしょうか」

「やだ、そんな言葉よく知って……え?」


 いまこの人、日本語喋ったよ!?


「多少、カンはいいので」

「それカンで済ませちゃいます?」

「こんなものに名を付けたら面倒なことになりますから」

「……なるほど?」

「どうでしょう? 拒否の色は感じないのですが、他にも気になることはありますか?」


 そう言われて、レイラとルルドを見てみると、レイラは無表情のまま頷き、ルルドは期待の眼差しで私を見ていた。レイラが『合格』みたいな顔をしているのが珍しかった。


「あのぅ、ひとつだけ」

「なんでしょう」

「さすがに天使マナティーの名を欲しいままにというのは言い過ぎかと」

「「それはない」です」


 ん? ルルドまで?

 

「マトゥラ国の宗教画を見に来ていただければわかります。そのミルクティ色の美しい髪に翡翠色の瞳とふっくらした頬と桜色の唇。全てが宗教画のままです」


「ほんとに?」

 ルルドに聞くと、ルルドが力強く頷く。


 マナティーという名は、亡き先代の王が付けてくれたらしい。本当に似ているのだとすれば、マトゥラ国の宗教画をご存知だったのかもしれない。


「知らなかったわ」

「何度も何度も『天使マナティーさま』だと僕が伝えても全然取り合ってくれなくて悲しかったです。複製が禁止されている絵だから見せることもできないし」

「マトゥラ国に来ていただければ理解してもらえるかと思いますが」

「……困ったわ」


 本当に困ってしまった。

 私の発言にルルドは眉を下げ、アレクサンドル殿下はニッコリ笑った。


「嬉しくて、困ってしまうわ」

「では」

「はい。お受けいたします。きっと、相性がいいというのは本当のことなんでしょうから……ですよね?」


 私が聞くと、アレクサンドル殿下はわかりやすく焦り出した。

 なぜ焦っているのだろうと首を傾げていたら「本当の意味はそのうちわかります」と耳元で囁かれた。思わぬ接近に私が顔を赤くしていると、レイラがゆらりと立ち上がったので剣を収めるよう宥めるのが大変だった。合格だが、婚約前に近付くのは禁止ということらしい。




* * *




 そして半年後。

 連れて行ってくれないのであれば腹を切ると言い出したレイラと、これを機に帰国するルルドと共にマトゥラ国へ嫁入りした。

 王族の嫁入りは婚約期間が一年ぐらいはあるものだが、ひと悶着あったせいで結婚そのものが早まってしまった。


 なんと、父が私を国外に出さないと言い出したのである。

 あれだけ結婚をせかしておきながら何なんだと父相手に謁見の間で憤慨したが、アレクサンドルさまは私以上に憤慨していた。

 父の本性が『視えて』しまったのだという。


 父は私の容姿と言動が恥ずかしいから、他国へ嫁がせたくなかったらしい。我が国の恥になるからというのが本音だったのだ。他国へ婚姻の打診など最初からしていなかったのだ。さらに第二王女は国外に出られないほど病弱だと噂を流していたのだという。旨味のない小国の病弱姫など誰も欲しがらないだろう。父は何としても国内で、誰でもいいから私を押しつけたかったようだ。アレクサンドルさまが現れてくれなければ、今ごろあの男爵令息が願うまま結婚させられていただろう。

 ちなみにマトゥラ王国では、アレクサンドルさまとは年齢が合わないということで候補から外されていたらしい。

 

 父の、父とも思えない本音にキレたアレクサンドルさまは、結婚を認めないのであれば貿易の関税を引き上げると脅してほぼ無理やり私を娶ってしまった。

 アレクサンドルさまは、私が軽んじられるのは父や兄の言動のせいだと言って怒ってくれた。私のことを気味が悪いと言って遠ざけ、式典以外で顔を合わせることのなかった母については「哀れな人」という一言で片づけた。アレクサンドルさまは私を強く抱きしめ「これからは私がいるから大丈夫だ」と言って背を撫でてくれた。


「マナティーを国から出さないという判断はある意味正しい。あなたという天使を失ったこの国がどうなるか。特にあなたを粗末に扱った王家は衰退するだろう」

「まさかそんな、大げさです」

「いいや? なぜマナティーに前世の記憶があるのかと言えば、その記憶がこの世界にとって重要だからだ。本来であれば、天使の発言は【予言】だからな。大切に育てていれば、次々に国のためになる【予言】が出てきたはずなのに。あなたを蔑み、気味が悪いなどと遠ざけるから、貴重な【予言】が封印されてしまった。どこか前世の記憶が曖昧なのはそのためだよ」

「封印……ですか」

「あぁ。だがこれからは私がマナティーに愛をたっぷり注ぐから、もしかするとマトゥラのためになる【予言】が出てくるかもね」


 私を愛してくれるアレクサンドルさまならではの発言と、この時は軽く流した。

 三年後、私はアレクサンドルさまの言葉の意味を深く知ることになるのだが――この時は、あまりの忙しさに言葉の意味を深く考えることなく記憶の海の底に沈めてしまった。



 そうして急ぎ嫁いだ私は、マトゥラ王国で驚くほど歓迎された。

 アレクサンドルさまは私を抱っこしたまま城中を歩きまわるので、皆から溺愛将軍と呼ばれ――なんと、アレクサンドルさまは将軍だった――親しまれるようになった。


「どうした? マナティーがルルドの料理を食べないとは珍しいな?」

「なんだかちょっと、気持ちが悪いのです」

「……まさか」


 反対側の席から駆けつけたアレクサンドルさまが、私のお腹に耳を当てた。


「おそらく男の子だ」

「まぁ!」


 結婚してから、わずか三か月。


 王族はどこも世継ぎ問題で揺れている。ストレスからなかなか授からない人が多いと聞くが、私には無縁だったようだ。


「相性って、子どものことでしたの?」

「いや……うん。そう、とも言うな」


 珍しく歯切れの悪いアレクサンドルさまは、何かをごまかすように私を抱き上げると、医者の元へと駆けたのだった。

 



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