哲男の躍進!
日本タイトルマッチに向けて!
哲男は日本タイトルマッチまで、残り約3ヵ月である。この時期は、基本的な体力等のアップとスパーリングによる実戦感覚のアップが主体となる。
「石谷さん、将士貸しましょうか?」
「要らん。既に揃ってる」
喜多の申し出を石谷トレーナーは断っていた。それだけ、夏雄がやるスパーリングパートナーは優秀という事である。そのスパーリングだが、最初こそ夏雄が一方的に攻めていたのだが、1ヵ月も過ぎると哲男も食らい付く。スパーリングだというのに、かなり見応えが有る。
そんな練習の続く哲男、ある日の事である。
本日も例に漏れず、アップが終わると夏雄とのスパーリングが行われていた。確かに哲男は、物凄く進歩している。夏雄と左の差し合いをしても引けを取らず、インファイトをしてもしっかりと打ち合いをしている。これだけでも、確かに凄い。しかし、
「……クソッタレ!俺の右をぶち込めねぇ!」
「お前が弱いだけだよ」
「チキショウ!」
「うるせぇ!ロード行って、練習に移れ!」
石谷トレーナーに言われ、本日も歯ぎしりをしながらロードワークに出て行く哲男である。
いつものコースの途中、哲男は将士のスマッシュを思い浮かべていた。
(……あのパンチ、逆転の一手に使えるよな~……俺には……)
そんな事を考えていた矢先、哲男は石に躓いた。
「おわ!」
左足を躓いた哲男、右足を出して目一杯に右腕を上から振り被る様にして、ガードレールを何とか掴んだ。
「あっぶね~、転ぶとこだよ~……あれ?」
哲男は自分の躓いた所と今の場所を見て、少し困惑している。
(……あそこから届くの?……あれ?どうして?……)
哲男は立ち上がり、ファイティングポーズを取る。軽く左ジャブを2·3発放ち、不意に右足を踏み込みながら右腕を斜め上から振り抜く。次の瞬間、左アッパーを繋げてバックステップし、すぐにファイティングポーズを取る。
(……無理なく出来るな……前も行ける……あれ?やれるぞ?)
哲男の顔が明るくなる。
「フハハハハ!やれる、やれるぞ~!」
哲男は叫びながら、ロードワークを再開させた。
ロードワークから帰った哲男、夏雄は既に帰った後である。
「哲男、ミット行くぞ」
石谷トレーナーに言われ、哲男はミット打ちを行う事となった。
このミット打ち、石谷トレーナーは違和感を覚えていた。スパーリングが上手く行かず、迷いの有る者のミット打ちではないのである。パンチに迷いが無い為、切れが増している。受けている石谷トレーナーは誰よりも理解している。その上で、明らかに哲男の目の輝きも増している。
「最後、ここに打ち込め!」
離れた石谷トレーナーが右手のミットを上げる。そこに向かって、哲男は先程の要領で右足を踏み込みながら、斜め上から右のフックを放った。
[パァン!]
歯切れのいい炸裂音が響く。
「……今のパンチは?」
「さっき、ロードワークで躓いて……」
「……そこで得たのか?」
「そんなとこです」
「……何がきっかけになるか、分かんねぇな……今のパンチだと……」
「はい、この後は左アッパーを繋げて……下がるか出るかは、その時次第ですけど……」
「1発のパンチも使えるし、コンビネーションも出来る。その上で、引くも行くも自在……ねぇ頭で、良く考えたな?」
「無い頭は失礼でしょ?」
「本当の事だろ?……そのパンチ、夏雄には見せるなよ」
「どうしてですか?」
「試合まで、隠しておくのが大切だ。それから、下からの攻撃のバリエーションを増やして……インでの戦いも想定しないとな?」
「大丈夫です。それくらいやらないと、将士に勝てませんからね!」
「よし、明日からはインで夏雄を捩じ伏せるぞ」
「はい、絶対に!」
石谷トレーナーと哲男、手応え有りの様である。
この光景を見ていた川上会長、右手を顎に置いているが、目元が少し垂れている。笑いたい所を無理に我慢している様だ。
(楽しくなって来たな)
川上会長も哲男に期待している様である。
翌日の哲男と夏雄のスパーリングだが、こちらは前日とは比べ物にならなかった。自信を持ってスパーリングに望む哲男、迷いが吹っ切れた分だけ動きが良い。それはコンマ何秒の中でパンチのやり取りをするボクサーには、物凄く大きな事となる。実際、哲男の反応は明らかに良い。
左の差し合いでも引けを取らない哲男、今までの様に打つ手が無くて前に出るという事はない。自分のリズムで、自分の意思で距離を縮める。石谷トレーナーに言われた、夏雄をインで捩じ伏せる事を実行する様である。
夏雄はそこまで余裕が無い。アウトでアドバンテージを作れなかったからである。そこに哲男の踏み込みである。夏雄は頭を整理仕切れないまま、接近戦を行う事となる。しかし、迷いの無い哲男と混乱している夏雄では、結果は見えている。何発ものパンチの交錯の後、哲男の左アッパーで夏雄の頭が弾けた。そのままバックステップをする夏雄、哲男は少し前屈みになる。
「哲男!」
石谷トレーナーの怒鳴り声が響いた所でゴングが鳴った。
スパーリングが終わり、夏雄はリングから降りて軽く身体を動かす。
「馬鹿、この前言っただろ?」
「すいません……」
「しかし、少しは準備が出来て来たな?」
「少しは……ですかね……」
石谷トレーナーと哲男は少しのやり取りをし、そのまま哲男はロードワークに出て行った。
「石谷さん」
「何だ?」
「哲男、何か有るでしょ?」
「どうしてだ?」
「最後の時、物凄ぇプレッシャーだった……絶対何か有ると確信しましたよ!」
「……タイトルマッチを見れば分かるさ……それより、お前、もう少し頑張れよ!哲男のスパーリングパートナー、務まらねぇぞ?」
「うっ……すいません、頑張ります……」
夏雄は何か気付いたみたいだが、石谷トレーナーは上手くかわしたていた。しかし、哲男の成長は見られている。タイトルマッチが楽しみである。
哲男、正念場!




