ボクサーは1日にして成らず!
将士は喜多に惹かれているみたいで……
スパーリングが終わった喜多、そのままジムワークをしていた。どうやら、喜多にはスパーリングだけでは物足りない様であった。
「喜多君、明日からトレーナー業も頼めないかな?」
「構わないですけど、他にもトレーナーは居るでしょ?」
「そうなんだが……いまいち緊張感が無くてね……大橋、しっかり練習しろ!」
「……はい、すいません……」
大橋は天川会長に怒られ、肩を落としながら練習に移った。
「あの~……」
「どうしたんだい?」
「……僕も見学してていいですか?」
「構わんよ……喜多君を見てるといいよ」
「はい、ありがとうございます」
将士はジムの端に座り、喜多の練習を見学する事にした。シャドーボクシングをしたりサンドバッグを打ったりと、喜多は他のボクサー達と変わらない事をしているが、その動きやパンチのスピードに切れは群を抜いている。少なくとも、将士の目には喜多が輝いて見えていただろう。
喜多の練習を見学している将士、その横に天川会長が腰を降ろした。
「喜多君、悪いけどミットを持ってやってくれないか?」
「え~、今日からですか~?」
「いいじゃない、頼むよ!」
「……分かりましたよ……」
喜多はミットを装着し、天川ジムのボクサー達に声を掛け、ミット打ちを始めた。
「喜多君とはどういう知り合い?」
「別に……道を聞かれただけで……」
「道を聞かれたねぇ……助けて貰って、そのお礼に道案内かな?」
「うっ……図星です……」
「はっはっは、だろうね……所で、痣の割にはダメージが無いみたいだけど?」
「……何となく、パンチが見えてましたから……僕は目がいいんです……」
「そうか……しかし、君は喜多君に似てるのかもな?」
「僕がですか?……どう見ても似てないでしょ?」
「……聞いた話だが、喜多君も高校生の時は都合のいいサンドバッグにされてたらしいんだよ……聞いた話だけどね!」
「はい?……あの喜多さんがですか?……間違いでしょ、現にスパーリングの相手は話にもならなかったじゃないですか?」
「痛い事をさらっと言うね~……それじゃあ、俺的には困る所なんだけどね~……」
「あ、ごめんなさい!……余りにも喜多さんが見事だったから……」
「それは否定出来ないね……しかし、今の喜多君が有るのはそれなりの何かが有ったからさ……喜多君も、最初は無理だと思っていたんじゃないかな?……後は、自分次第だろうけどね」
天川会長は立ち上がると、喜多が相手出来ないボクサー達のミットを持ち始めた。
練習が終わると、喜多はシャワーを浴びて着替えて来た。天川会長からビジネスホテルまでの地図を貰ったのだが、
「……よく分かんねぇんだよな~……」
「僕が案内しますよ!」
「悪いな、将士……分かるか?」
「ここ……僕の家の横……」
「そうか!問題解決だな!……よし、飯でも食って帰ろうぜ!」
「……母さんが作ってくれてるから……」
「なら、俺もご馳走になろうかな?」
「何でそうなるんですか?」
「……喜多君は賑やかだねぇ……明日からもよろしくね」
「はい、暫くはお願いします!」
「喜多さん、暫くってどのくらいですか?」
「え~と……2年半くらい?」
「3週間だけどね」
「惜しいな!」
「……そんなんで大丈夫なんですか?」
「大丈夫だろ、多分だけどな!……では、明日もお願いします。失礼します……将士もほら!」
「はい、失礼します!」
喜多と将士は天川ジムから出て来た。
「おい、喜多!」
「あれ?藤沢?……どうしてここに?」
「出張……そっちの若いのは?」
「中台将士って言います……喜多さんに助けられて……」
「喜多に?……いじめられたの間違いじゃないのか?」
「あのなぁ、俺はそんな事はしねぇぞ?」
「しかし……人間サンドバッグの喜多も成長したな?」
「うるせぇ!」
「喜多さん、本当にいじめられてたんですか?」
「本当にって何だよ?……どうせ、天川会長が変な事言ってたんだろ?」
「将士君だったよね、確かに喜多はいじめられてたよ……友達が離れるのが怖くて、パンチ打ち返せなくてな!」
「何だよ藤沢、お前まで余計な事を……」
「喜多さん、どうしてそんなに強くなれたんですか?」
「俺も聞きたいです、喜多さん!」
「悪乗り辞めろ!……将士、さっきも言っただろ?……やれるかやれないかは、自分次第だって……」
「偉そうに!……池本さんが居なければ、今だってダメ夫だった癖に!」
「それは言うなよ!」
「池本さん?」
「そうだな~……喜多にボクシングを引き合わせた人かな?……凄い人なんだよ……さて、俺はホテルに帰るかな?」
「何しに来たんだよ?」
「お前がちゃんとスパーリングパートナーをやってるか、手塚に頼まれてな……」
「確認の為かよ、あの野郎……」
「まあまあ……じゃあな喜多、そのうち飯でもな!」
「おう、またな!……よし、帰るか将士?」
「はい!」
「いやにいい返事だな?」
喜多と将士は帰路に着いた。
色々話しているうちに、将士の家に着いた。お弁当屋である。
「ここが僕の家!」
「ほう……旨そうな匂いだな?」
「将士、お帰りなさい……そちらの方は?」
「ただいま、こっちは……」
「喜多と言います。道案内を頼んでまして……お姉さんですか?将士をお借りしてました。隣のホテルに泊まる事になってます」
「お姉さんだなんて……口が上手いんだから!」
[バシィ!]
「痛ッ!」
喜多は強めに肩を叩かれた。
「将士の母です……良かったら、お弁当を買いに来て下さい」
「お母さん?……本当に?……将士?」
「うん、お母さん」
「……そのうち、お弁当を買いに来ますね。では、失礼します」
喜多は頭を下げてホテルに入って行った。
「母さん、遅くなってごめんね……手伝いが出来なかった……」
「いいのよ、好きな事をやりなさい……自分の為の人生なんだからね!」
将士の家は、母子家庭である。将士が幼い頃に父親を亡くし、将士の母親が女手一つで将士を育てた。将士は確かに優しい子に育ったのだが、少し自己主張が不得意である。その為か、高校では良くない連中に的にされていた。
「将士、その傷……」
「何でも無いよ、転んだだけ……それよりなんだけど……ボクシング……やってみたいかな……」
「ボクシング?」
「うん……さっきの人は喜多猛さんて言って、元世界チャンピオンなんだ……」
「……将士に出来るかは分からないけど、あんたがやりたいって言ったのは初めてだね……やるだけやってみなさい!」
「うん、ありがとう」
「お取り込み中にすいません。将士、明日はここに朝5時半な!」
喜多がホテルから戻って来て、唐突に将士に声を掛けた。
「どうしたの喜多さん?5時半て……どうしてそんなに早く?……」
「朝のロードワークなんだが、俺はこの辺が分からん!……ついでにお前も鍛えなさい!」
「どうして?」
「健全な心は健全な肉体に宿る……お前は少し健全ではない!」
「将士、やってみたいんでしょ?」
「……分かりました!明日、お願いします!」
「どうした?頭下げてそんな大きな声で……熱でも有るのか?」
「あのね、喜多さん……僕もボクシングやってみようと思うんだ!」
「将士がボクシング?」
「無理かな?」
「……無理ねぇ……やれるかやれないかは……」
「自分次第だよね?よし、頑張るぞ~!」
「……やるからには、徹底的にだぞ?」
「はい!」
「出した言葉は飲み込めねぇぞ?」
「はい!」
「……よし、俺が鍛えてやるよ」
「はい!」
「すいません、お願い致します……お礼は……」
「毎日の夕飯でどうですかね?……出来れば、今日からだと有難いんですが……」
この日、将士はボクシングをやる事を決意した。とはいっても、向いているとはとても言えない様に見える。確かに向いてると言えないのだが、喜多もボクシングに向いているとはボクシングを始めた頃は言えなかった。
「時に将士、ボクサーは1日にして成らずだからな!」
「どういう意味?」
「分かる頃には、お前も立派なボクサーさ」
これからの将士、どんなボクサーに育って行くのだろうか。
ここから、将士のボクシングが始まる……