厳しさを乗り越えるには、それ以上の厳しさを知る事!
将士、何としてもチャンピオンに!
将士の練習は厳しさを増していた。ロードワークの距離が倍となり、その間の基礎トレーニングも量が増えていた。それでも、将士は黙々と練習をこなしていた。
「さて、これから少し厳しくしようかな」
篠原会長はそれとなく、そんな事を言ったかと思うと将士にアップするように指示した。
将士がアップをし始めると、3人の男を佐伯が連れて来た。
「篠原さん、パートナーを連れて来ましたよ」
「ありがとう。さて、本格的にスパーリングとしよう……跳ねっ返りは来てる?」
「ええ、何とか」
佐伯は外に居る男の肩口を掴み、無理矢理中に入れた。その男は甲斐である。
「……俺は、見てるだけですよ」
「はいはい、それでもいいよ」
篠原会長は笑顔である。
「お?2人共、悪いな」
「少し協力頼むな」
喜多と手塚も佐伯と甲斐に声を掛けた。
佐伯が連れて来た3人だが、それぞれがなかなかの実力である。Sバンダム級の日本チャンピオンにフェザー級の東洋太平洋ランカー2人である。この顔触れだと将士は苦戦しそうな物だが、実際には……その誰もが3ラウンド持たないという結果であった。
「……か~、現役でこれかよ……」
「昴、中台君が強くなったって事だろ?」
「でもな~……」
佐伯と甲斐が話をしていると、
「困ったな~……これじゃあ、僕の心配事が増えるばかりだよ……佐伯君、責任取ってよね」
「無理ですよ~。俺、明日撮影有るし……」
「喜多君と手塚君も、最近は将士君に押されてるしね~……」
篠原会長はゆっくりと視線を喜多と手塚に向ける。
「悪かったですね。俺達も現役じゃないんでね」
「流石に、世界ランカー相手はきつくなって来ましたよ」
「参ったな~……池本君の最後の教え子なのに、力になれないなんて……」
篠原会長は静かに甲斐を見た。
「……俺は……」
「分かってるよ。見に来ただけだもんね。大丈夫大丈夫。池本君が最後に教えたボクサーだけど、負けたとしても君には責任無いしね。それに、リングに上がるのが怖くなっちゃったみたいだしね!」
「本当にそれっすよ!」
「何だ?甲斐は臆病風に吹かれたのか?」
「喜多~、始めっから臆病だよ!」
「……舐めた事を……よし、俺がしっかりと相手してやるよ!中台君、そのままリングに残れ!」
「はい、お願いします!」
甲斐はすぐに準備し、リングに上がった。その姿を見て、篠原会長を始め佐伯達は笑顔であった。
将士VS甲斐スパーリング……
将士は頭を降って前に出て行く。左ジャブを放ち、自分から攻めて行く。
対する甲斐だが、こちらはサウスポーから右ジャブを放ち、将士の前に出るタイミングでそのジャブを当てている。
ここで、地味かもしれないが物凄い事が起きていた。将士はしっかりと頭を降っている。並のボクサーなら、幻惑されてパンチが当たらないだろう。しかし、相手は甲斐である。最近まで現役であり、衰え等で引退したボクサーではない。トレーニングも日々続けているのだろう。先に将士とやった現役ボクサーよりも、いや、将士よりもジャブに切れがあり速い。そして的確である。将士の頭は面白い様に弾け飛ぶ。
(ダメだ、僕にはかわせない)
将士はガードを上げ、甲斐の右ジャブをしっかりと受け止めていく。そのまま前進し、甲斐の懐まで辿り着いた。
(よし!)
将士はそのままラッシュを掛けた。だが、上手くいかなかった。将士が左ボディを放つのだが、甲斐は素早くオーソドックスに構えて将士からボディを遠くした。将士のパンチは空振りとなったのだが、将士は構わずパンチを出し続ける。そのパンチに対し、甲斐は頭を降って全てをカウンターで返していた。結果、将士はどんどん後退していく。そのまま将士はコーナーまで押し込まれた。
甲斐の左フックが将士を捉える。将士の腰が少し落ちた。その瞬間、甲斐は右アッパーを放つ。
誰もが決まったと思った瞬間である。2人の頭が同時に弾けた。2·3歩後退する甲斐。将士はしっかりとガードを上げて前に出て来た。
そこからは、なかなか悲惨であった。甲斐は将士に対して徹底的に攻めていく。スイッチしながら将士の距離感を狂わし、将士のパンチにカウンターを合わせていく。将士を心からへし折るのではないかと心配になる様な攻撃である。
対する将士だが、打たれても前に出てパンチを放つ。当たらなくても、カウンターを取られても攻撃を辞めない。将士は必死に甲斐に食らい付いていた。
このスパーリングは2ラウンド行い、結果的には将士の惨敗である。ダウンを取られなかった事が、せめてもの救いである。
「ダメだな。はっきり言って弱い。ここから、死ぬ気でやり切るしかないな」
「そのつもりですよ!」
「今は口だけだな。口だけで終わらない様にな。試合は見に行ってやる」
「はい!絶対やります!」
将士はそのまま、ロードワークに出て行った。
着替えて来た甲斐、篠原会長達に声を掛けた。
「……俺をボクシングに戻そうとしてましたね?」
「まぁね。君には、ボクシングしかないだろ?池本君から教わったしね」
「しかし、拳人は変わらず鍛えてたんだな?今すぐ世界が取れるよ」
「習慣さ。身体動かさねぇと、何だか落ち着かねぇんだ」
「俺達と同じだな?」
「池本さんに、いつか文句言ってやろうぜ」
「しかし……俺とのスパーリングで中台君は良かったんですか?」
「これでいいんだよ。将士君は、上しか見ないから強くなったんだ。だから、上を思い知る事が必要なんだよ。まだまだ上がある。まだまだ、自分は弱い。そこが将士君だからね」
「所で、コーナーに詰まった時のパンチ……」
「あれね。あれは、菅原君との試合で用意してたんだ。まぁ、出さなかったけどね」
「……やられましたよ……一瞬左フックが見えた。だから、咄嗟に顔を倒したんですけどね……あそこからアッパーだもんね」
「??左フックは見えなかったぞ?なぁ、手塚?」
「おう、俺も見えなかった……佐伯?」
「フェイントですよ。最も、その左が見えるくらいのフェイントだから……覚悟の有る一撃だったという所でしょうね」
「将士君も覚悟してるのさ。自分も、引退という言葉が近付いてるってね。だからこそ、後悔を持たせたくないんだ」
「それでも……やり過ぎましたかね?」
「いや、それはねぇぞ。なぁ、手塚?」
「おう、少ねぇくらいだ。あれで結構頑固だし、何より池本イズムを強く叩き込まれてるからな。叩けば叩く程、強くなる!」
「それに、篠原さんの目的も達成されてますしね?」
「??昴、篠原さんの目的って?」
「分からねぇの?篠原さんは、お前程の厳しい攻撃は他にいないと思ってるって事だよ。ねぇ?篠原さん?」
「鋭いね~!そう、甲斐君よりも厳しい攻撃をするボクサーは、僕は知らない。それを耐えきった将士君なら、今度のタイトルマッチでも大丈夫だろ?将士君は、転んでも只じゃ起きない男だからね。今日はとてもいい収穫になったよ、ありがとう」
「いや、こちらこそ……そっちの伸びてる3人は連れて帰りますね」
「うん、よろしく。甲斐君、君の始まりはボクシングだよ。それ以上でも以下でもない。そして……池本君はそんな甲斐君を誇りに思ってた。いいね?」
「はい、ありがとうございます」
「よし、拳人帰ろうぜ。では、失礼しました。ほら、お前等も帰るぞ」
「すいません、失礼します」
佐伯と甲斐はスパーリングパートナーを連れて帰って行った。
「篠原会長、将士はいつの間にか強くなりましたね」
「本当に……甲斐じゃないと、厳しさを教えられないくらいに……」
「トレーナー冥利に尽きるけど、これからが勝負だからね。僕達も、気を引き締めないとね。少なくとも、甲斐君とはまだまだ差が有る。僕達が出来る事はまだまだ有るって事だね」
「「はい!」」
篠原会長の言葉に、喜多も手塚を気を引き締めていた。
「くそ~、全然ダメだ~!絶対に見返してやる~!」
将士は悔しさを胸、必死に走っていた。どうやら、とても良い薬になった様である。
現役時代に最強と言われた男とのスパーリング。将士には、とても良い刺激になったみたいです。