秘密がバレたら婚約破棄です
マリベル魔法学園。名家の者たちが集うこの場所で今、召喚術の授業が行われていた。
「異界の生物を召喚するにあたって、極めて難易度の高いのが悪魔召喚です。彼らは莫大な力と狡猾な知恵で、人間を貶めようとします」
グレンダ先生が言葉を区切り、席に座る私たちを眺める。これは質問の前触れだ。この人の講義は唐突な質問が多く、答えられなければ追加課題を出されるため生徒からの人気は低い。
「史上、完全に成功したと言われる悪魔召喚は両手の指で数えられるほどです。では、その逆。数多くある失敗例の一つを挙げなさい。エレナ・ライズアウト?」
「あ、え……?」
名指しされた少女、エレナ・ライズアウトが口ごもる。エレナは実戦的な魔法の天才である反面、こうした知識が疎い。感覚派であるせいか努力をしようともしなかった。
そんな彼女が答えられるはずもなく、グレンダ先生にレポートの提出を言い渡される。エレナから思わず舌打ちがこぼれた。だが、それを見逃す先生ではない。鋭い眼光がエレナを突き刺す。
「何か文句がおありかしら?」
初老の女性とは思えない、力強い威圧がエレナを襲う。エレナが押し黙ったので、グレンダ先生はやれやれと言うように首を振った。
「では別の生徒。メアリー・ルースはどう?」
代わりに私が名指しされる。タイミングは最悪だが、昨日ちょうど予習していたところでよかった。
「諜報の悪魔召喚を行ったミストレイの事件があります。戦時中、諜報部隊に所属していた彼は功績を上げるため、悪魔から他人の秘密を見る目をもらいました」
契約の内容は「他人の秘密を見る目が欲しい」というもの。それに対し悪魔が行ったのは、彼の所属する諜報部隊全員にその目を授けるというものだった。たしかに自分一人にその目が欲しいとは言っていなかった。その行動のせいで、部隊はひどい混乱に陥る。
諜報部隊間で知られたくない秘密が流出したのだ。ある者の功績を横取りした。ある者の妻を寝取った。そんな情報を知りあって争いにならないはずもない。最後には諜報部隊は内部崩壊し、悪魔はひとしきりそれを笑うとどこかに去っていった、という話だ。
私が最後まで話し終えると、グレンダ先生は拍手を送ってくれた。
「いい回答ですね。内容は簡潔。挙げた例も特別有名というわけではありません。ミス・ルースの予習が見受けられます」
グレンダ先生はただ厳しいだけではない。やった分だけきちんと褒めてくれる先生なのだ。
「悪魔がもたらす力は絶大。しかし悪魔が素直に応じるはずがありません。必ずどこかに契約の穴を見つけ、契約者の不利になるような結果になります」
史上の成功例は全て、それを織り込み済みで行われたもの。命も惜しまぬ特攻のような形で使われたのである。
「みなさんも悪魔に魅入られるなどという馬鹿なことのないように」
グレンダ先生は講義をそう締めくくった。この講義が全ての発端になる。三日後。私は婚約者に婚約の破棄を伝えられた。
三日後。学園に登校してすぐ。教室に向かう廊下で、婚約者のアインズ・ヴィンセントに話かけられる。その内容と剣幕に私の頭は真っ白になった。
「ど、どういうことですか……?」
「自分の胸に聞いたら分かるだろう?」
私に白い目を向けるアインズ。しかし私には首を捻ることしかできない。
「見ていないのか? 今朝学園の掲示板に書かれた告発文を」
私は恐る恐る頷く。アインズは頭を抱えて息を吐いた。
「この学園の空き教室を利用して、集団でふしだらな行為に及んでいる集団があるという話だ。あろうことか君がそれに参加しているなんてな……」
「な、何ですかそれは!? 何かの間違いです!」
全く身に覚えがなかった。慌てて否定するが、アインズは肩をすくめる。
「なぜそのような話になっているのですか?」
「参加者の名簿が流出しているのだよ」
「それが偽物だという可能性もあるではないですか!」
「名簿に名の載った大多数の者が昨日現行犯で見つかっている。偽物というには証拠がありすぎる。その時君は偶然いなかっただけなのだろう?」
はめられた。私は愕然とする。実際にそういう事件はあったのだろうが、それに巻き込まれる形で私を貶めようとしている者がいる。私の立場からしてみれば、そうとしか考えられない。
「君は学生のうちからそういう行為はしたくないと、私のことを拒み続けた。そんな君がまさかね……」
「何かの間違いです。私を信じてはいただけませんか?」
「言い訳は不要だ。君のような悪女の血を我がヴィンセント家に入れるわけにはいかない。分かるね?」
私を貶めようとした者の計画通りに今、アインズに婚約を破棄されてしまった。アインズという人間は確かな自信を持っている。頼もしい一面もあるが、頑固とも言えてしまう。
「あら、なんだか剣呑な雰囲気ですのね」
こちらに声をかけてくる少女が一人。それはエレナ・ライズアウトだった。アインズとは親しく、その婚約者である私にことあるごとに突っかかってきていた。
「エレナか。掲示板は見たかい? 純朴な少女だと思っていたメアリーがまさか、あんな催しに参加していたとはね」
「あらあら。名家といえどもあなたの家は下の中程度。教育の方もたかが知れているのですわね」
クスリと私を馬鹿にして笑うエレナ。私は歯を食いしばって耐えた。濡れ衣といえども覆せる材料がない。親愛なる私の家族を貶されても、言い返すだけ時間の無駄だ。
「アインズ。……そこの女と別れたというのなら、今度私と食事でもどうかしら?」
「いいね。久しぶりに君とゆっくり話がしたいな」
楽しそうに談笑するエレナがふと、私に一瞥をくれる。その目は嘲笑に満ちていた。あまりにエレナに上手く行くようことが運ばれている。私は悟った。この女が全てを仕組んだのだと。
そこにもう一人。話に加わる者がある。それは主に生徒たちの生活態度等を指導する教師だった。
「メアリー・ルース。少し話を聞かせてもらおうか」
教師に呼び出され私はその場を離れた。既に二人は私のことなど眼中にもなく呼び止められることもない。
そうして私は教師に事情を聞かれた。私は名簿の件を否定し続ける。結局は証拠がないということでお咎めはなかったが、周囲からは私が不貞を働く淫乱な女であるというレッテルを貼られた。
今日最後の授業が終わる。鐘の音と共に私はため息を吐いた。人から敵意を向けられ続けるというのは精神がボロボロになる。原因が濡れ衣だからなおさらだ。
私は足早に教室を出ようとした。だが、そこを一人の男子に呼び止められる。
「大変なことになってしまいましたね」
私はその少年に見覚えがあった。名前はたしかテオ・アールハイド。かつて同じクラスだった。
「久しぶりです。メアリー」
「……テオも私を軽蔑しに来たんですか?」
「そんなことはありません。僕は君と同じ境遇なんですから」
「…………え?」
「あの名簿に名前が載っていた中で、現行犯として咎められなかった二人のうちの一人です」
テオは場所を移そうと言う。私は一も二もなく頷いた。同じ立場の者がいるのは心強い。そうして私たちは談話室の隅の席に着いた。
「一体何が起こっているか。メアリーは分かりますか?」
「分かりません。でも……」
私は今朝向けられた嘲笑交じりの視線を思い出す。
「犯人には心当たりがあります。エレナ・ライズアウト。今朝、彼女の態度には並々ならぬ含みを感じました」
それを聞いてテオもじっと考え込む。
「あくまで私の主観なのですが……」
「いえ。エレナなら僕を標的にしてもおかしくない。彼女の生活態度を注意してから、何かと突っかかられることが増えましたから」
エレナが危険な魔法を使おうとしたのを止めたらしい。それで不満を持つなんて、明らかに筋違いだ。
「しかしエレナはなぜ空き教室の事件を知っていたのでしょう? 偶然知ったとは考えにくいな」
空き教室での集団淫行。やる側もそれなりに偽装をほどこしていただろう。それに偶然発見しただけならば、すぐさま名簿を見つけ出し、私たちが参加しているよう偽装できるほど頭が回るだろうか。
だとすればエレナは意図的に集団淫行を発見しようとしていた。なぜ? どうやって?
考え込んでいた私の頭に電流が走る。
「……もしかしてこれは悪魔召喚ではないでしょうか?」
私の言葉にテオはカッと目を見開いた。
「たしかに! それならば他人の秘密を暴くことも容易い。……ですが、いくつか疑問は残りますね」
一つ目は悪魔召喚が素人にそうやすやすとできるものではないということ。二つ目は秘密を暴けるのであれば、わざわざ集団淫行の濡れ衣など着せず、直接私たちの秘密を握ればいいということ。
「エレナは魔法実技の天才です。それでも召喚は不可能でしょうか?」
「…………仮にできるのだとしたら、ため息が出るほど才能の無駄遣いですね」
テオは苦虫をまとめて噛みつぶしたような顔をする。たしかにそれほどの才能ならば、やれることはいくらでもあっただろう。
「そういえば先日。グレンダ先生に悪魔召喚のレポート課題を出されていたな。それで知識を得てしまったのか?」
テオ曰く自分を過信した若者が悪魔召喚をするケースは少なくないという。二、三年に一度起こり、その代償として様々な事件が発生している。
「早めに止めた方がいいですね。悪魔召喚など成功するものじゃない」
そう言ってテオは目を瞑った。十秒ほどが経ち、その目が見開かれる。
「くっ。悪魔の気配を捕捉しました。間違いなくこの学園で悪魔召喚が行われています」
「そんなことができるのですか?」
「僕の家系は悪魔祓いを生業にしているんです。拙いですが悪魔の気配を探る術も身に着けています」
「でも……」
最初からそうすればよかったのではないか。私はそう言おうとして口をつぐんだ。何か理由があるのだろうと。しかしテオは私の言わんとしていたことを察して説明する。
「この魔術は悪魔を捕捉するために専用の魔力波を飛ばします。しかしそれは悪魔にも感知できてしまう。悪魔は自分の存在がバレたことが分かってしまうのです」
召喚されてしまった悪魔を倒すには不意打ちが最も効果的だ。しかし探知をしたことでそれは叶わなくなる。
「僕は急いで悪魔を滅しに行きます。メアリーは先生に報告をお願いします。敵は特別棟の訓練室にいると」
「お気をつけて……」
心配だったが悪魔祓いの家系ならば下手は打たないだろう。むしろ私がいては足手まといになる。私は速やかに職員室へと向かい、召喚術担当のグレンダ先生に現状をかいつまんで報告する。
「私としたことが……。微弱とはいえ悪魔の反応を見逃すなんて……」
先のテオと同じように悪魔の気配を探ると、グレンダ先生は悔しそうに歯噛みする。
「どうかテオ君の援護に……」
「必要ありません。悪魔の反応は今消えました」
つまりはテオが勝ったのだ。私は喜ぼうとしたが、その瞬間に頭が割れるように痛んだ。
「悪魔を不意打ちで倒さねばならない理由の一つ。それは悪魔が置き土産として行う契約の清算を防ぐためです」
グレンダ先生が苦々し気に呟く。けれど私にはその内容を理解できない。頭の痛みと共に莫大な量の情報が流れ込んでくるからだ。
それは不正。暴行。窃盗。淫奔。学園中の生徒たちの知られたくない秘密だった。中には他人に知られては生きていけなくなるような秘密もある。それが流出しているということは、この学園は混乱に陥るだろう。
エレナの契約は学園の生徒の秘密を知りたいというものだった。悪魔はそれをご丁寧に、学園中の生徒にバラまいたのだ。
「ミス・ルースはここにいるように。外の混乱は私たちが納めます」
この学園の教師は全員エリート。阿鼻叫喚のるつぼとなるであろう学園を一時的に力で治めることもわけないだろう。
ほどなくして学園は一時の静寂を取り戻す。しかし本格的に混乱を治めるには時間が必要とし、学園は一週間の休校となった。
「おはようございます」
しばらくぶりの登校。私は学友たちに挨拶をしていた。大体の人は謝罪を口にした。私が集団淫行事件に参加していたということが濡れ衣だということが判明したからだ。
あの日、学園中の生徒の秘密が筒抜けになった。それを引き起こしたのがエレナであり、彼女の悪行は全て白日の下にさらされる。
結果として彼女は退学になった。甚大な被害を振りまいたとして、彼女の家にも多額の請求がいっているという。エレナは両親からも勘当され家を追い出された。今は町で働いているのだろう。
大した家柄でもないのに、少し賢いからと調子に乗っている者が許せなかった。そんな動機で犯行に及んだエレナの結末としては、この上なく皮肉なものだろう。
「なにはともあれ落ち着いてよかった」
私はホッと一息つく。だが、トラブルは次から次に舞い込むものだ。
「メアリー! すまなかった。俺はあの女に騙されたんだ!」
ドタバタと教室に入ってきたのはアインズだった。あの女、というのはエレナのことだろう。
「俺をだましていた女はもういなくなった。だからもう一度やり直そう。な、メアリー!」
アインズは必死に語る。だが私の心は冷めたままだ。
ただ騙されていただけならば、不満は残るが許したかもしれない。エレナのやり口は詰めが甘かっただけで、途中までは巧妙だったからだ。
騙されても仕方ないなと思いはする。しかし……。
「アインズ。あなたは私にあれだけのことを言ったくせに不貞を働いていたというではありませんか」
アインズの秘密。それは同じ学園の生徒や使用人と散々淫行を重ねてきたということだった。
「そ、そんなものは男の貴族のたしなみだ!」
「その高貴な考えを理解できない者をヴィンセントの家に入れるわけにはいかないのでしょう。どうかお引き取りを」
私はぴしゃりと言い放つとアインズは言葉に詰まる。すると今度は横から別の男性たちが私に声をかけた。
「メアリー。その男と別れたなら今度ご飯でも行きませんか?」
「ミス・ルース。ご機嫌はいかがかな?」
「喜べ。貴様は私の家に迎え入れてやろう」
紳士的なアプローチから不遜なプロポーズまで。名も知らぬ様々な男性に言い寄られて私は目を回す。なぜこんなことになっているのか。私には心当たりがない。
「……大変ですね。メアリーさん」
そこに見知った顔が映り安堵する。
「テオ。お怪我はありませんか?」
「心配いりません。あれは悪魔の中でも弱い部類でしたから。わずかに間に合いませんでしたけどね」
テオは目を伏せて申し訳なさそうに言う。だが、テオが謝意を感じる必要などないと私は思う。彼より早く討伐できるものはいなかったのだから。
しかし、結果として私の秘密もテオの秘密もみんなに判明してしまった。
「……メアリー。僕と今度ご飯に行きませんか?」
テオは照れながら言う。それはれっきとしたデートの誘いだった。彼の秘密とは「メアリー・ルースを愛していること」だったのだから。
「はい」
断る理由もない。テオは優しい好青年だ。私の返事に周囲の男子たちはがっくりと肩を落とし、教室から出ていった。
「そういえばあの方たちは何だったのでしょうか?」
「みんなあなたを狙っていたのだと思いますよ。あなたの秘密が秘密でしたから」
テオの言葉に私の頬が熱くなる。きっと赤く染まっているだろう。
「言わないでくださいまし。つまみ食いのクセがあるなんて、恥ずかしいんですから……」
私の秘密はつまみ食いのクセがあること。お母様の料理はとてもおいしく、ついつまみ食いをしてしまうのだ。それがみんなに知られたとなると、顔から火が出るほどに恥ずかしい。
「逆ですよ。あなたの秘密が純粋だからこそ、みなさんがあなたに惹かれたのです」
テオが言うには今回の事件で様々な女性の裏の顔が暴露され、別れたカップルも多かったのだという。
数多の男と肌を重ねていた者。使用人を鞭で打つのが日課という者。仲良く見せていた友人の陰口を裏でひたすら言っている者。そんな異常性を知ってしまった男たちは余計に清廉さを持ったものに惹かれたのだとか。
「でも、私にはテオがいますから」
「そう言ってくれると嬉しいですね」
私たちは笑いあう。テオの裏表のない笑顔に、この人と結婚したなら幸せな家庭を築けるだろうと思った。
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