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第6話 新しい日常

 椿は海璃と共に鏡華の部屋を訪れたのだが、中にはすでに鏡華の隣に空璃が立っていた。

 勧められるままに椅子に腰掛け、三人の話を聞く事になった。



 現在、この国は六つに分裂している。元々は皇帝が治めていたのだが、その権力が衰え、力のある諸侯が軍を興した。

 椿が拾われたここはの軍、鏡華を筆頭に多大な兵力を持つ。

 他にはの軍、椿と同様に天の国から来たという男がいる。

 の軍、江の軍に隣接し、裏で江軍を支配している。

 の軍、兵力は少ないが優秀な将が多い。

 の軍、圧倒的な兵力を有しているが、統率力は低いとされている。

 そして力の弱った皇帝軍である。



 各軍は互いに牽制しあい、大きな戦は起こっていないが時間の問題と言える。

 何を隠そう鏡華がこの国を欲しているのだ。いつでも動き出せるように準備は整えている。そう、きっかけさえあれば。

 椿の出現は鏡華にとってはきっかけだった。伊の軍は天の国の人間を有しているが、軍事あるいは政治目的に使用している素振りは見せていない。

 鏡華はそれが解せなかった。自分であればそんな人材を放っておくわけがない。

 しかし、どんな人物かも知らぬ男を利用する訳にもいかず手を拱いていた折、椿が現れた。



「貴方はその存在だけで価値がある。これから武術以外の能力も見せて貰うつもりだけど、より働けるのであれば、それに超したことはないわ」


 鏡華は怪しげな笑みで椿を見つめる。

 椿の気持ちは変わらない。たとえ利用されたとしても、ここに居れば自分は必要とされる。

 自分の能力を発揮できる世界でしか輝けないのであれば、それで良いと思っていた。



「分かった。俺は鏡華に従う。まだ何ができるか分からないけど、少しでも役に立てるようにするよ」


「えぇ、期待しているわ」


 可愛らしい顔だが、その内にはとんでもない野心を秘めている。椿はまだそれに気付いていない。いや、気付こうともしていない。それは彼にとってはどうでもよい事だった。



「それで、武器と服は用意したと聞いたけれど、余ったお金は好きにして良いわ」


 歯切れの悪い椿に対して、三人は小首をかしげた。



「武器に全額投資した。服は後払いにして貰い、試作品の製作を依頼しているところだ。だから…」


 椿はその後の言葉を続けられなかった。何故か。鏡華が激怒したからである。



「貴方は何を考えているの!」


 空璃と海璃の二人は慌てふためいた。久しく鏡華のこのような姿を見ていなかったからだ。

 椿も動揺して、二人の顔を交互に見回していた。



「人にも物を頼んでおいて、代金を払わないですって!?しかも作らせている?欲しい物は時間をかけて自分で作るか、金をかけて作らせるかの二択だわ。貴方はそのどちらでも無い選択を選んだ。それで良好な信頼関係の上で良い仕事ができるとは到底思えないわ」


 早口にまくし立てる鏡華に対して、椿は縮こまっている。

 間に割って入ろうとする海璃でも手に負えない程の怒りだった。

 それ程までに鏡華は自分の領地で暮らす住人の事を思って政務を行っているつもりだ。

 世間知らずとは言え、とんでもない仕打ちをしてくれた椿に激怒するのも仕方のない事だった。

 椿は捨てられた子犬の如く、悲しげな表情で猛省し謝罪した。

 結局、追加でお金を借り、朝一番で服屋へ謝罪するという事で落ち着いたのだが、鏡華の部屋を出た三人は非常に疲れた面持ちだった。

 翌朝、服屋に代金を支払い謝罪した椿は食事を終えると海璃の元を訪ねた。今の自分にできる事を探す為の相談を持ちかける為だ。

 書類業務の手を止めて相談に乗ってくれた海璃の手引きにより、椿の教育係が二人着く事になった。



 現在、椿は自室にて文字の読み書きの勉強をしている。

 教育係の一人は名をハツという。椿がこの異世界で初めて会った男であり、命の恩人とも言える存在にも関わらず、凰花流をお見舞いしてしまった人だ。普段は空璃の隊に所属している。

 もう一人は名をハクという。普段は海璃の隊に所属している男性であり、隠密行動を得意としている。あまり自分の事を語らない、謎の多い人物だった。

 チュンという人がいれば大三元なのにな、と考えるのは椿だけではないだろう。



「それではこのくらいにして、町へ行きましょう」


 發の言葉を待っていたかのように椿は表情を輝かせた。

 勉強は嫌いではないが、やはり引きこもる事は身体に良くない。適度に外出しなければ、気が滅入るというものだ。

 話は変わるが、先日こんな事があった。

 勉強の息抜きに中庭に植えられた立派な大木の木陰で涼んでいた時、鏡華に声をかけられた。

 機嫌が悪いのか、その声は鋭くて怖い印象を受けた。



「あれから女の子にはなったの?」


「なってない。空璃に傘を貰ったから、外ではそれを使っているし」


 見下ろす鏡華は椿の手を引き、木陰から引っ張り出した。



「いきなり引っ張るなよ」


 椿は男から女に変化したのだが、その手を掴む鏡華は鬼のような目つきで睨みをきかしている。



「ま、まぁ。な、何を…なさいますの…かしら、鏡華…さん……?」


 仰々しくため息をついた鏡華は椿の手を離して腕を組む。

 この時、普段の勉強とは別に手の空いている者が椿に女の子らしさ講座を開く事が決定したのだった。そして、外出時の傘使用禁止令も出された。



 お目付役の二人と共に町へ出た椿は当然女の姿である。

 人前で変身するわけにはいかないので、天候の変化や日の入りには十分に注意する必要があった。



「相変わらず、お美しいですな。発育もなかなか」


「俺をそんな目で見るな!」


「おやおや、そんな言葉遣いでよろしいのですか?鏡華様に言い付けますよ?」


 白はニヤニヤしながら、椿の身体を舐め回すように眺めているのだが非常に不愉快な思いだった。



「…そのような目で私を見ないで下さい」


 クックックと喉を鳴らすような笑い声がさらに椿の神経を逆撫でする。



「よせ白よ。椿殿、申し訳ありませぬ。この阿呆には後できつく言っておきます故」


 椿の苛立ちを察した發は白の頭を抑えつけながら謝罪した。

 すでにこの光景にも慣れている椿にとっては些細な事だが、セクハラ行為は絶対に許してはならないと肝に銘じている。

 鏡華達からの地獄の女の子講座を受けている身としては、女子の気持ちも察しながら生きているつもりなのだが、やはり言葉遣いや仕草や歩き方を体得する事は文字を読むよりも難しかった。



 さて、椿は朝と夜に行う空璃との鍛錬を日課としている。朝は女として、夜は男として。

 昼は發、白と共に部隊調練や馬術、剣術の教育を受けている。

 この数日で自分の身体については把握していた。直射日光を浴びる事で椿の身体は男から女へ変化する。変化は一瞬にして行われるが、雑なものではなく徹底的なものだ。

 骨格、体型、筋肉量、毛量、髪質、ホルモンなど遺伝子レベルでそれらが書き換えられている様だった。何故、このような変化が起きるのかは説明できない。十七年生きてきた中で、初めての経験であり戸惑う事ばかりだった。

 考えられる原因はやはり、異世界に来る時に聞こえた謎の声だろう。



 そんな事を考えながら中庭に出ると、既に空璃が準備体操をしていた。

 やはり女の身体は軽い。腰まで伸びる髪が鬱陶しい以外は文句のつけようが無かった。凰花流合気柔術の精度も高まっている。

 椿は長く息を吐き、全神経を目に集中させた。一度目を閉じて緩やかに開く。

 目の前にいる空璃の身体が薄く透けて、徐々に神経の流れが見え始めた。目にも留まらぬ速さで移動するそれらの動きを捉え、空璃の攻撃を避け続ける。

 しかし、それは永くは続かなかった。



「あいたッ」


 あっという間に五分が経過し、椿の眼の効果が切れると同時に空璃の手刀が椿の頭にコツンとぶつけられた。これが弱点だった。



「時間切れだ、馬鹿者。それに中身ばかり見て、私を見ていない。もっと全体を捉えろ。お前の視線は読みやすい」


 椿は凰花の眼を扱えきれず、翻弄されている。凰花の眼を得た女子が陥りやすい典型的なミスだ。

 まだ実践に慣れておらず視力に頼りすぎている椿は、さらに神経を視えるようになった事でより一層視覚からの情報を重宝するようになってしまった。

 空璃に指摘された癖を抜く事が当面の課題である。



「ちゃんと、"すとれっち"もやれよ」


 開脚を始めた椿の上に座る空璃。空璃達にとっては"ストレッチ"等は馴染みのない言葉だったが、椿が頻用するため覚えてしまったのだ。

 何故、ストレッチを重要視しているのか。椿の身体はいくら男の状態で筋肉をつけたとしても、女に変身するとリセットされてしまう事が分かったからだ。

 以前、試験的に男の姿で第24の型、落下鳶ラッカトンビを使用した事がある。早い話が踵落としなのだが、薪を真っ二つに割る程度の十分な威力があった。

 続いて、女の姿で同じ型を繰り出したのだが、より高く飛び、体幹と足はしなやかに伸び上がった。結果、薪は木っ端微塵に砕け散る事になったのだが、この一件で女の時は凰花流の精度が大幅に向上する事も分かった。

 この身体の変化は女として凰花流を使用するにあたって、もっとも効率的な身体になるように調整されるのだろうと結論付けた上で空璃、海璃と話し合い、ストレッチは欠かさずに行い、筋トレは行わないようにしたのだ。



 この世界に来て二週間が経った頃、鏡華は椿に警邏部隊へ所属するように命じた。

 警邏部隊長に挨拶し、一通りの仕事内容を聞いたのだが、素人目にしても効率が悪かった。

 少ない人数でこの広い町を巡回する。そして休暇も必要。さらに小さな事件も含めると事件発生率が高い。問題はかさばっているようだ。

 当面は郷に入っては郷に従うという事で、椿は食い逃げや窃盗等の傷害に含まれない事件の犯人を捕まえ続けた。

 凰花流は捕縛にはもってこいの武術である。そして機動力も武器だった。一つ難儀な事はフード付きロングコートだ。暑い。ひたすらに暑い。

 あまりにも暑い日は軽装で女の子として部隊の仕事をした。軍の人間は椿が女になる事実を知っているが、町人には知られていない。町人にとっては警邏部隊に二人の新人が入った程度の認識だった。



「新人、また手柄を立てたそうじゃないか」


 先輩隊員が休憩中の椿に飲み物を差し出しながら言う。

 仲の良い隊員達だが、やはり将軍の部隊に所属する兵士達とは異なり強くはない。

 椿にとっては居心地が良く、町人とのコミュニケーションを取る機会にも恵まれ、良いこと尽くしだった。

 そして徐々に椿は、警邏の方法や区画整備や犯罪率低下に向けての提案も行うようになっていく。忙しい日々を送っていた椿だったが、これまでに感じた事のない充実感を味わっていたのだった。



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