第3話 満たされる心
広大な大地を颯爽と馬を走らせ目的地に着いた。
大きな門前には門番が二人立っていたが、男の合図で門が開かれた。そのまま馬を徐行させて町の中に入っていく。
門番は男の後ろで馬に跨がる少女を訝しげに睨みつつ見送った。町を進むとさらに門が立ち塞がり、先程よりも強そうな門番がいたが、こちらもすんなりと開門された。
「着いたぞ」
そう言いながら少女を馬から下ろした男は愛馬を部下に任せ、歩き出した。門の中には屈強な男達が大勢いた。皆が少女の事を見ている。
そんなにも今の自分は可愛いのか。これでは自意識過剰になっても仕方ないと自分を納得させながら男の後に続いた。
城なんて見た事もない訳で、キョロキョロしたい欲求を抑えながら城の中へ入っていく。
おかしい。
目線が高くなり、外ではその存在感をアピールしていたお胸様は雲隠れしてしまっている。さらに髪も馴染みのある長さに変化していた。少女もとい少年は混乱しつつも黙って歩いた。
すれ違う人が頭を下げる時がある。少年の前を行く男はそこそこの地位を持つ者だと推測した。
やがて分厚い扉の前に辿り着いた。
「くれぐれも無礼のないように」
そう言う男はこちらを全く見向きもしないが、男の緊張感は少年にも伝わっていた。
手続きを済ませて中に通された男は跪く。
「申し上げます。帰還の際、怪しい女を見つけましたので連れて参りました」
仰々しい雰囲気の中、どうして良いのか分からない少年は跪く男の後ろに立ち、椅子に座る人物を見た。
女性だ。そこまで年齢は離れていないだろう。足を組んだ女性の後ろには二人の女性が控えていた。
少年とは目が合っている。片方が飛びかかろうとするのを、もう片方の女性が視線で制しているのが分かった。しかし今更跪くのもどうかと思い、立っている事にした。
「女?どこに女が居ると言うのかしら」
男は顔を伏せたまま、自分の後ろで跪いているであろう人物を手で指し示した。
「私にはその者は男にしか見えないが?」
焦って顔を上げた男はようやく振り向いたのだが、そこには棒立ちする少年が立っていた。
「貴様何者だぁー!」
絶叫が室内に木霊する。
「いやいやいや!あんたがここまで連れて来たんだろ!」
「我は女を連れてきたのだ。貴様のような男は知らん!」
「だから、その女が俺なんだってば!」
弁解するが聞く耳を持たない男は腰の剣を抜き、斬りかかってきた。
「貴様、我を愚弄する気か!」
誰も助けに入らない。この状況を飲み込めている者は当事者を含めて誰も居ないのだ。
少年は動けぬまま、自分を目がけて振り下ろされる剣を見る事しかできなかった。
それは呼び起こされた感覚。曾祖母が亡くなってからサボっていたにも関わらず、身体が反応を示した。
振り下ろされる剣の切っ先を辛うじて避けて、剣を持つ手首を片手で握る。足を開き、地面に吸着させる。多少は体幹がブレるが、気にせず力任せに腕を引っ張った。遠心力を受けて、男が宙を舞う。一回転した男は受け身を取る事もできず、床に後頭部を強打した。
少年は、白目をむき仰向けに倒れた男の手首を離した。
刹那、控えている女性の一人が少年に飛びかかった。
「止めなさい、空璃」
凜とした声は良く響き、何者にも有無を言わさない覇気があった。
少年の目の前で動きを止めた女性は椅子に座る人物の方を向き直り、頭を下げて後ろに下がっていく。
轟音を聞き駆けつけた兵士達は、控えている大人しい方の女性の指示で未だに意識の戻らない男を担ぎ上げて部屋を後にした。
死んでいないと良いが…。
しばらくの静寂が訪れ、玉座に座る女性の小さなため息が聞こえた。
「改めて名を聞こうかしら」
「俺の名前は凰花 椿」
気に入っていない自分の名前を告げる。それからは怒濤の質問と曖昧な返答が続いた。
自分を説明しようにも何も伝わらないのだ。椿はその身一つでこの場にいる為、学生証などの身分を証明する物がない。強いて言うなら、今の服装だけが彼女達との違いだった。
「もしかしたら、俺は上から落ちたのかもしれません」
あの真っ白な世界から落とされたのではないか。そんな夢のような話だったが下から這い上がる、或いは沸いて出るよりもイメージしやすい事を口走っただけだった。
しかし、彼女達の反応は椿の思ったものと違った。
「上!?それは天の国なの?」
素晴らしい想像力を持っている女性に感激しつつ、椿は話を合わせた。控えている女性達も驚いているようだが、自分がこの国の者ではなく、敵意が無い事は信じてもらえたようだ。
「俺は名乗りました。貴女達は一体?」
そうねと呟いた女性が自己紹介を了承した。
「私は鏡華。こっちが空璃で、そっちが海璃よ」
控えている女性二人。明らかに敵意をむき出しにしている方が空璃。密かに敵意を向けている方が海璃だと言う。
「椿と言ったかしら。貴方、なかなかやるわね」
「ありがとうございます」
椿の興奮が冷めてきた。今後の展開を考え、大人しくしておく事に決めた。
「貴方、行く当てはあるの?」
「いいえ、ありません」
「では、ここで生活し私に仕えなさい」
空璃が大げさな身振りで異論を唱えているが鏡華は聞き流している。
「もう決めた事よ。天から来た者を手放したくないわ。それにさっきの技を見たでしょう」
それでもよそ者を受け入れたくない空璃だったが、鏡華に睨まれ遂に黙った。しかし、タダでは起き上がらない性格らしい。
「こいつと勝負させて下さい!」
椿は心底、嫌な顔をした。絶対に強い。そう思えるオーラを纏っているのだから仕方が無い。拒否しようにも鏡華の真っ直ぐな瞳を見ると嫌とは言えず、椿は頷く事しか出来なかった。
中庭に移動中の一行だが、見知らぬ少女が増えている事に気付いた。
やる気満々の空璃と楽しそうにしている鏡華、そして椿の後ろで何やら話をしている海璃と増えた少女。
椿は手汗を拭きつつ、前を行く二人について行った。
(さて、俺の力がどれほど通用するか)
緊張しながら建物から庭へ一歩を踏み出す。日陰から出て太陽の光を全身に浴びると身体に変化が生じた。背が縮み、髪伸びる。
日陰に戻ってみる。元に戻った。
陰から出てみる。縮んで、伸びた。
これで椿は理解した。太陽の光を浴びると女の子になってしまうわけだ。
先に中庭に出ていた一同の視線が椿に集中する。皆が驚いている。それは仕方ないだろう。目の前で男から女へ、女から男へ変化されたら誰だって驚く。
「椿、貴方は男なの女なの?」
ごもっともな質問が飛んでくる。
「男ですが、太陽の下に出ると女の子になるみたいですね」
お天道様はとんだ女好きらしい。
不気味な笑みを浮かべている鏡華をよそに海璃が何かに納得していた。
「なるほど。先程、我が軍の兵がお前の事を女だと言っていたのは外での姿を見たからなのだな」
屋内での勝負を提案されたが、確認したい事があり中庭での勝負を所望した。
空璃の待つ場所まで歩いて行くが、服が相対的に大きくなっている為、裾と袖を捲る事にした。その間、空璃は複雑そうな表情をしていたが、まさか女の子と戦う事になるとは思っていなかったのだろう。
そして椿にとっては迷惑な戦いが始まる。鏡華の合図と同時に空璃が突っ込んで来た。先程の複雑そうな顔はどこに行ったのか。
猪突猛進。まさにこの言葉がぴったりだった。間合いを詰めて鋭い突きを何発も放つ空璃。椿はギリギリで全部避けた。避けたつもりだった。
「痛ッ」
腹に一発の正拳突きを受けているが急所ではない。まだ戦える。後ろへ跳び間を空けた。
(なんだ!?)
椿は視覚の変化に戸惑った。突如として体中の伝達経路が見えるようになったのだ。
空璃の身体が薄く透けて、何かがとてつもない速さで流れているのが見える。
椿の見ているものは正しく神経であり、相手が次にどの部分をどう動かそうとしているのかが何となく分かる気がした。
(攻撃が当たったのは最初の一発だけ。躱すのだけは上手いようだな)
それからも必死の攻防が続いた。それはわずか数分の出来事だが、椿には非常に長く感じられた。
空璃はまだ余裕の表情だが、椿は息切れするようになってきている。ついでに髪が揺れて鬱陶しさもあった。
(いけるか?今の俺は女の子だ。なら出来るはずだ)
椿は昔教わった通りに構え直す。勝負を決めにきた空璃は渾身の右ストレートを繰り出した。
「凰花流合気柔術。第十の型」
椿はギリギリの所で空璃の拳を避けて手首を掴む。
空璃の驚愕の表情を無視し、胸元へ手を伸ばした。服を掴み、足を刈ること無く、重心移動のみで相手の身体を持ち上げた。
周囲から見ていると空璃の身体はふわりと浮いたように見えただろう。
「滝壺落とし」
空璃は綺麗な円を描きながら、宙を舞い、気付けば背中から地面に叩き付けられていた。
本来であれば、頭部を地面にめり込ませる技なのだが、鈍っている上に完全な一桁の型を使用した経験のない椿は、その型の本来の力を発揮できていなかったのだ。
地面に横たわる空璃だが、流石と言わざるを得ない。後頭部を強打しないように左手で頭部を守っていたのだ。しかし背中、腰、尻は打ちつけているので表情を歪めている。
周囲の者は騒然としていた。
「でき…た。あぁー!大丈夫ですか!?」
腰をさすりながら地面に座っている空璃に対して、髪を耳に掛けながら顔を覗き込む椿。
空璃は頬を赤らめながら返事をしたのだった。
鏡華にからかわれて、さらに頬を赤く染める空璃を見て、海璃がクスクス笑っている。もう一人の少女は興奮気味で椿を見ていた。
「さっきも見たけど今の技は何?」
「これは合気道という武術です」
「あいきどう?天の国の武術ね。さっきよりも綺麗に決まっていたわね」
「多分、男の時よりもこっちの方が強いと思います」
鏡華は相槌を打ち、正式に椿を我が軍に迎え入れると宣言した。空璃をはじめ、この場に居る者で反論する者はいなかった。
「俺は本当に此処に居ていいのですか?」
怖かったが、椿は聞きたかったことを質問した。自分には何も出来ない。迷惑になる事は間違いない。生活費がかかるのでマイナスの要素しかないと考えていた。
しかし、椿の考えとは裏腹に鏡華は何も問題ない事のように肯定する。
「貴方は十分強い。そして何より可愛いわ」
鏡華はそっと椿の頬に手を添えた。全てを見透かすような瞳。この人には嘘がつけないような気がした。
「貴方の力、貴方の知恵。いいえ、私には貴方自身が必要よ」
この瞬間、椿は自分でも想像できない程に驚いた表情をしていた。必要だと言われたのは曾祖母以外で初めてだったのだから。
なんだろう、とても暖かい。今まで空いていた穴が埋められるような変な感覚。しかし嫌ではない、むしろ心地良い。
椿の瞳からは涙が溢れていた。
そんな姿を見た鏡華はただ黙って椿を抱き寄せ頭を撫で始める。
すごく情けない光景だと思う。だけど…落ち着く。椿は皆に見られていることも気にせず鏡華の腕の中で泣き続けた。
試合後、椿は用意された部屋へ移動し休むように指示を受けた。
今、玉座の間には女性と少女の四人だけが居る。
「空璃、あの子と手合わせしてみてどうだった?」
「はい。初めは単に避けるのが上手いだけかと思いましたが、途中からは心を読んでいるかのように私の動きの先を行くので当てることができませんでした」
「それはあの子の反応が速いだけではなくて?」
「違うと思います。そのような簡単なものではないかと」
ここに居るのは軍の中でも極めて優秀な人材だ。その者が言うのであれば、間違いないだろう。
慎重派の鏡華にも武芸の心得はあり、自分が感じた物を再確認する良い機会になった。
その後、鏡華達は椿の話を詳しく聞く事にした。
これまでに誰も話した事のない自分の過去をさらけ出す事に戸惑いを見せた椿だったが、彼女達を信じると決めて、ゆっくりと身の上話を始めたのだった。