再びの邂逅
初音視点です
「景介ー、いるー?」
「え?」
「……あれ、キミ1人?景介は?どっか行っちゃった?」
入ってきた茶戸先輩に、私は体を強張らせた。
今朝の職員室のように何かを蹴ったり叩いたりされたらどうしよう。
「か、会長は今、電話で……。」
ビクビクと怯えながら答えると、先輩は困ったように眉を八の字に歪め、笑みを浮かべた。
「そんな怯えないでよ。取って食ったりしないからさ。何してるの?」
「え、あ……か、会長のお手伝い……。書類の整理を……。」
予想外にフレンドリーに話しかけてくる先輩に、緊張しながらも私は書類を指差した。今朝の職員室で見たように優しげな笑みを浮かべる先輩に、どう接すればいいのか、迷うところだ。
「あ、あいつ女の子に仕事やらせてんだ。悪い奴だなぁ。ふーん……。ここ、違ってるよ。ここもここも。何、間違いばっかだね。」
「え?……え?」
ちらっと書類を見ると、先輩は次々と間違いを指摘していく。あまりの早業に、私は追い付くことができず、オロオロしてしまった。
そんな私を見かねたのか、先輩はもう一度、今度はゆっくりと指で示しながら丁寧に1つ1つ教えてくれた。
「ここ、この値段でこの数仕入れてたら、あと261円安くなるはずだよ。ここは誤字だし、合計はさっきので変わるよね。」
「……あ、ありがとうございます。」
すごい。その一言に尽きる。ちょっと見ただけでこんなに間違いを指摘できるなんて。私は、間違いを訂正しながら、そんなことを思った。
「んーん。それより大丈夫?こんな調子で。見たとこ、他のもひどいもんだよ。ざっと見て……17ヶ所は確実かな。はは、テキトーすぎるね。」
「え、うそ……。」
先輩のさらなる指摘に、私は青ざめた。
こっちもそんなにあるの?追い付かないかもしれない。今日何時までかかるかな。お兄ちゃんが心配するかも。
色々不安になって書類を捲っていると、先輩がケラケラ笑いながら書類を取っていった。
「え?あの……先輩?」
「大変そーだし、俺も手伝うよ。景介いないんだよね。景介のパソコン使っちゃおーっと。」
「いいんですか?」
「うん。俺、今気分いいし。そーだなぁ。あと30分くらいなら、時間とれるよ。」
「あ、ありがとうございます!」
予想外の助太刀に、私は立ち上がって頭を下げた。さっきの見せられたら、これ以上ないサポートだ。
頭を下げる私に、先輩は気にしないで、と笑っている。その手は勢いよく数字を打ち込んでいるけれど。すごく手慣れているような手際だ。
「ね、ここで会ったのも何かの縁かもしれないし、名前聞いてもいい?何ちゃん?」
「あ、そうですね。ご挨拶遅れました。私は宇咲初音です。よろしくお願いします。」
手を緩めず聞いてきた先輩に私が名前を言うと、先輩は動きを止め、目を見開いて驚いていた。
「え、……初音?初音っていうの?」
「え、はい……初音です。」
「……初音……。そう……。……俺のこと、知ってる?」
なぜか呆然としながら聞いてきた先輩に、私は頷いた。今朝聞いたばっかりだけど、名前は知ってるもんね。
「茶戸、貴斗先輩ですよね。先生から色々伺いました。」
「先生?誰?」
「畑本先生です。担任の先生で。」
「りゅーちゃんか……。そう……。」
少し考え込むように黙ってしまった先輩に、困惑してしまう。何かあっただろうか。
私が首を傾げていると、給湯室から会長が出てきた。
「ごめん初音ちゃん……って、貴斗?何してんだ?」
「あ、やっと現れた。景介、これ。終わったよ。」
「あぁ、やってくれてたんだ。サンキュー。……うん、さすがだな。ほんと、短時間でよくここまでできるな。初音ちゃんもありがと。すごく助かった。」
茶戸先輩の処理した書類の山を見て感心したように笑うと、会長は私に優しく笑ってくれた。先輩がやった量と比べると、微々たるものだ。少し恥ずかしい。私は顔を赤くして手を体の前で振った。
「い、いえ!その……先輩と比べると少なくって……。」
シュンと肩を落とす私に、会長も先輩も笑っている。私が2人を見返すと、会長は先輩を指しながら私をフォローしてくれた。
「だめだよ、貴斗と比べちゃ。こいつは普段からこーいうのに慣れてるだけ。それに、貴斗の処理能力は特別早いんだよ。」
「そーそー。初音も十分早かったよ。」
「そう、ですか?ありがとうございます。……あの、1つ聞いてもいいですか?」
「ん?何?どうしたの、初音。」
先輩がなぜかすごく食いついてきた。真剣味を帯びた先輩の目は、私だけを見つめている。
「え、あ……。その……せ、先輩と会長って、すごく仲良さそうですけど、昔からのお知り合いなんですか?」
「……え?あぁ、うん。景介とは、幼馴染みなんだ。」
「そうなんですか!意外ですね」
接点がありそうに見えない2人が幼馴染み。全然イメージができない。私がそんな気持ちを伝えると、2人は苦笑した。
「よく言われる。そっか、初音ちゃんは知らなかったんだね。」
「あれは俺たちの学年だけなんじゃない?」
「え?何がですか?」
2人が顔を見合わせ笑っている。何か、2年生の間では、噂があるらしい。気になって聞いてみた。
「りゅーちゃんに聞いたんなら、俺の家のことも言われたんじゃない?」
「あ……はい。」
「俺はね、この学校の中では、悪い方向で有名人だ。誰かに危害を加えうる存在として認知されている。」
「先輩……。」
全く気にした風もなく言い切った先輩に、何となくモヤモヤした気分になった。自分が悪い存在だって思われるのがいつものことみたいに先輩が思ってるなら、それは悲しい。
そんな私の内心を知らない先輩は、次に会長へと話を振った。
「で、景介はいい方向での有名人だよね。この学校始まって以来の秀才だって言われてんだろ?」
「何言ってんだ。お前には敵わないよ。」
「総合値の評価じゃ、お前の方が上だよ。俺は景介みたいに清廉潔白な聖人君子じゃないし。」
困った顔で笑う会長に、先輩はケラケラと面白そうに笑っている。確かに、今朝の職員室での様子を見ると、先生たちの評価の面じゃ会長の方が上かもしれない。
「そんな俺と景介がすごい仲いいもんだからさ、裏でよく言ってる奴がいるの。”光の湧洞・陰の茶戸”ってね。」
「……まったく、貴斗を陰だなんて、言わないでほしいけどね。俺と貴斗がいつも一緒にいるからさ、光と陰は表裏一体。けして離れないからこう言われてんの。」
「……そうなんですか。……でも、茶戸先輩、優しいですよね。そんな悪い人には……。」
朝からあんなに怖がっておいてなんだけど、今の私には、先輩が恐ろしい人とは思えなかった。
私が思ったことを言うと、先輩は驚いたように、会長は嬉しそうに声をあげ、私を見た。
「分かってくれる?初音ちゃん。貴斗、悪い奴じゃないよね。」
「景介、ストップ。俺はいい奴じゃないでしょ。初音も。俺のこと簡単に優しいとか言っちゃダメだよ。」
嬉しそうに笑う会長に、先輩は呆れたように口を挟んだ。そして私にも咎めるように目を向けてくる。
「貴斗、お前はいい奴……いい男だよ。ごめんね、初音ちゃん。こいつ、照れてんの。」
「そうなんですか?ふふっ。」
「……2人して俺を馬鹿にしてる?もー……。」
クスクスと笑いながら会長と2人で先輩に目を向けると、先輩は私たちを睨んでムスっとしている。会長が先輩を宥めながら時計を確認し、私に声をかけてきた。
「初音ちゃん、こんな時間までありがとう。おかげで助かったよ。あんまり遅くなってもよくないし、今日はこれで解散にしよう。」
「そうですね。また何かあれば声かけてください。いつでもお手伝いしますから。では、私はこれで。会長、先輩、さようなら。」
「うん、ばいばい。」
「ばいばーい。」
ユルユルと振られる手に私は笑みを溢しながら頭を下げ、部屋を後にした。
茶戸先輩、すごくいい人だったな。やっぱり実際に会わないと人柄は見えないものだ。噂と違い優しい先輩に、頬を緩めながら、私は軽い足取りで帰路についた。
次話から貴斗視点が始まります。




