一目見たあの人は……
初音視点です
「行ってきまーす。」
家に向かって声をあげながら玄関のドアを開けると、お母さんと眠そうな様子のお兄ちゃんから声が返ってきた。私は、たった今起きたばかりのお兄ちゃんを一睨みし、玄関を出た。
こんな時間まで寝てていいなんて、大学生羨ましい。私なんて、もうすぐ始まる文化祭の実行委員として連日早めに学校に行く羽目になってるのに。
お兄ちゃんにプリプリと文句を並べ立て、歩きながら髪を結んでいると、何かが髪に引っ掛かった。
「いたっ……。うぇ……何?……あ……これか。あのお兄ちゃんの、ブレスレット……。」
引っ掛かったのは、私が身に付けるものの中でも1つ異彩を放つ男物のブレスレットだ。とは言っても、これは正確には私のものではない。
8年くらい前、あるお兄ちゃんに助けてもらったときに目印として預かったもの。教えてもらったはずの名前も、顔すら思い出せないけど、会ってお礼をするという約束は忘れていない。
「目印はネックレス、これと同じデザインの……。早く、会えないかなぁ。」
学校の中へ入り、再びブレスレットへ目を向ける。
あのお兄ちゃんと出会った町に、去年戻ってきたのだ。今までより、ずっと会える可能性が高い。会って、必ずお礼をしたい。
8年前のことを考えながら急いで職員室へ向かう。今から先生と少し打ち合わせがあるのだ。昨日のホームルームで話し合ったことをまとめたノートを手に、職員室にいる担任・畑本先生を呼んだ。
クラス展で喫茶店をやることになった私のクラスでは、打ち合わせや話し合いをすべきことが多い。今日も、予算関係の話をすることになっている。
「畑本先生、どうですか?会長、許可くれますかね?」
「……まぁ、今の段階でこれだけ話を詰められてるなら問題はねぇだろ。」
「よかった。それと、これも確認してほしくて……。」
昨日の報告と、今日の予定の確認をしてもらい、粗方話し終えた。これで、朝の用事は終了だ。
教室へ戻ろうとドアの方へと体を向けた瞬間、横から大きな音がした。思わずビクリと体を震わせ、音のした方を見ると、1人の先輩ーー学年別に分かれている制服のネクタイの色から、2年生の先輩だーーが、すぐ目の前の先生の机を蹴りつけていた。
「え……。」
信じられない光景に私が目を白黒させ絶句していると、その先輩はおかしそうにケラケラと笑い、明るく口を開いた。
「えー?センセー俺が悪いって言うの?売られた喧嘩買っただけなのに?悲しくなっちゃうなぁ。」
「喧嘩を買うな、といつも言っているだろう!お前なら、回避することだってできただろうに、よりにもよって流血沙汰を起こすなど……!」
「あはっ、まぁね。やろうと思えば避けられたけど、でも、そんなカッコ悪いこと、できないでしょ。売られたら買わないと。それに、先生も分かってるでしょ?俺が買わなきゃ、他の子が危ないって。俺は、みーんなを守ってるんだよ?」
すごい剣幕で怒鳴る先生を余所に、先輩はどこ吹く風、とばかりに飄々としている。先生は頭が痛そうに眉間を押さえながら、苦悩の声をあげている。
「お前という奴は……っ。ああ言えばこう言う……。たく……。いいか?次何か起こしたら、保護者に来てもらうからな!」
「えー?困っちゃうなぁ。親父に怒られちゃーう。怒ると恐いんだよ?」
そう言いながら先輩は、終始ヘラヘラ笑みを浮かべ職員室を後にした。
この場を張り詰めた緊張感に包んでいた先輩が出ていったことで、室内の空気が分かりやすく弛緩する。事の顛末を、息を飲んで見守っていた周りの先生たちも、安堵するように息を吐き肩の力を抜いている。
しかし、多くの先生が緊張を解いている中、ずっと頬杖をつき先輩の出ていった方を見ている畑本先生は少し異質だった。
「あの……、畑本先生、今の先輩……誰ですか?」
私がそう聞くと、先生は驚いたように目を瞬かせ、見つめてきた。
「何だ宇咲。あいつのこと知らんのか。茶戸貴斗って、学校一の有名人だぞ。」
「ゆ、有名人……?そんな人がいるんですか。」
「……そーか。あいつは内外で有名だと思ってたが……。あいつは、ここら一帯を締めてる、茶戸一家って組の跡取り息子だよ。あいつ自身、好戦的な奴で、今言われてたような喧嘩もしょっちゅうだ。」
「そ、そんな人がこの学校に……。」
驚きで、今度は私が目を瞬かせる。そんな様子を見て、先生は口端を引き上げ、クツクツと小さく笑っている。そして、少し優しそうに目を細めた。
「あいつよりその親父の方がすごいぞ。俺らが下手に口出しなんてできねぇくらい強いんだよ。それに、カリスマだ。俺らの年代の男なら、みんな憧れてた。」
先生の話に、私の体は固まってしまう。さっきの先輩も十分怖かったのに、その上を行く人がいるなんて。
「す、すごい人ですね……。なんだか、別の世界のお話みたい……。」
「実際、お前にとっちゃ別の世界のお話だろうよ。まぁそんな心配することもない。あいつは滅多なことじゃ他人を怪我させることもねぇし、理不尽な暴力を振るう奴でもない。近寄らなきゃ無害だよ。」
先生の言葉に、安堵のため息を吐き、私は教室へと向かった。
茶戸先輩……。この学校に、そんな人がいたなんて。……でも、茶戸貴斗って、どこかで聞いたことがあるような……?
次話も初音ちゃんの視点です。
コロコロ視点が変わるので、前書きに誰の視点かは書いておこうと思っています。
その他、何か要望があれば言ってください。その都度対応していきたいと思っています。