プロローグ
とある森の中。頭上には人の何十倍にも匹敵する巨木が、それぞれの枝と葉で日光を遮り、森全体の明るさを低く保つ。足下には色とりどりの落ち葉が所々に散らばっており、そのさらに下には手入れもなにもされていない芝生が広がっていた。
そんな森の中に、ひとりの少年がいた。
◆ ◇ ◆
「ぃいいぃぃぃぎゃあぁぁぁあああ!」
俺、こと吉崎蒼唯は逃げていた。それも必死に。
いったい何から逃げているかって? 俺のすぐ後ろを見れば嫌でも分かる!
俺のすぐ後ろから追いかけてくるのは、体長5、6mはあろうかという程巨大なイノシシだ。茶色と黒の混じったような色の体毛に覆われ、下顎から伸びる牙は、身長が175cmある俺と同じくらいの大きさだった。
ひとつ言い忘れていたが、ここはみんなが知っている地球ではない。まぁ、その話は今はどうでもいい!
今は逃げることが最優先だ!
「し、死ぬぅ! くそォ、俺がいったい何したってんだぁ!」
叫んではみたものの、ここは薄暗い森の中。誰の耳にも届くことはなく、イノシシのドドドドという足音にかき消される。だとしても、人には叫ばずにはいられない時があるのだ。
ちょうど森の中を探検していたところ、運悪くこのデカブツと出くわしてしまったのだ。
しかし驚いた。地球のイノシシでも陸上動物の中で17番目、つまり100mを8秒で走れるという話を聞いたことがあったが、なんとかギリギリのところで追いつかれずにすんでいた。人間死にものぐるいでやれば、案外何でもできてしまうようだ。まぁ、『死』そのものから逃げているようなものだし、それもそうか・・・・・・。
走馬燈の要領で、そんなことを一瞬のうちに考えていると、ちょうど数メートル先に大きな崖が見えてきた。その時俺は、今のこの状況を打破できる命がけの作戦を思いついた。
「オラァ!かかってこいや、デカブツゥゥゥウウ!」
スピードを落とすことなく、俺は崖の方まで走った。
勝負は一瞬!
そう決意した直後、崖の手前、だいたい崖から4mくらい離れた場所で振り返り、イノシシと対峙した。と同時に、イノシシのひどく突き出た牙を両手でガッチリ抱え、相手の勢いに身を任せるようにうまいことイノシシの懐に入り込んだ。
そのまま地面に背を着け、イノシシの腹を真下から思いっきり蹴り上げる。
「おぉぉぉぅうらぁぁぁああ!」
この技は日本柔道の巴投げである。
俺の声とともに、イノシシのからだは向かってきたスピードも相まって、そのまま崖へと放り出され、底へと瞬く間に消えていった。
「ハァ、ハァ・・・・・・なめんじゃねぇぞゴラァァァ!」
肩で息をしながら暗く底が見えない崖下に向かって吠えた。その後、休憩のために近くにあった木の根元に座り込んだ。
少し落ち着いてから、ふと、地球とさほど変わらない青く澄み切った空を見上げて、声がもれた。
「・・・・・・俺、なんでこんなことしてるんだ」
そして俺は、この異世界で目が覚めるまでの記憶を休憩がてら思い返してみることにした。