49.潜入
お待たせしてすみません。
「子爵様はあなた方を歓迎するでしょう。ですが、直接お会いすることはできません」
「そうですか……直接お礼を申し上げたかったのですけれど」
受付担当だという女性は、残念そうに嘆息するブリジットに微笑む。
「いずれお会いできる日がきますよ。それよりもお仕事の話をさせていただいても?」
「ええ、お願いします」
事務的な対応ではあったが、丁寧でもある。
子供を連れた女性が相談に来る場所であるからか、女性が対応することになっているのも、室内が清潔で整った環境であり、質素ながら座面が大きなゆったりした椅子が用意されているのも配慮が行き届い居ているように見える。
また、母親が受付や相談をしている間、子供が遊べるスペースもあった。
現代日本でいうキッズスペースだが、積み木や木彫りの人形が置かれた一角を指差した職員が「お子様はあそこで遊びながら待っていてもいいですよ」と進められた時のヴィーの表情は苦虫をかみつぶしたようなものだった。
「……どうする?」
と、念の為尋ねたブリジットに嫌がらせかと思ったヴィーは、無言のまま身振りで拒否。一緒に話を聞くために大人しく椅子に腰かけている。
「お仕事の内容は簡単なものです。領主の屋敷の清掃や庭師の手伝いだけでなく、領兵たちが利用している施設や街中にある事務所など、清掃整備が必要な場所は沢山あります」
つまり、領内での雑用係をやってほしいということらしい。
領主の愛人扱いも想定していたブリジットは、思ったよりもまともな求人のようだと感じた。
「領主様は、領内にいる寡婦が生活に苦しんでいるのを知り、その手助けになることを望んでおられます」
王国の法には困窮者を救う目的のものはなく、基本的には各領地の責任者に一任されている。
現在の旧オーバン伯爵領のような王国直轄地では代官の判断次第であり、この町のように貴族が支配しているのであれば、その貴族家当主次第である。
「子爵様は、すばらしい御方なのですね」
ブリジットの言葉は当人としては半分演技ではあったが、本心がどうあれ、領地で犯罪者予備軍や娼婦に身をやつして不幸な子供を増やすよりは至極真っ当な政策だと感じる部分も半分はあった。
事実、貧困者や傷病者への福祉に予算を割く貴族は少ない。
「あの、住むところもお世話していただけると伺ったのですが、本当なのでしょうか?」
そういう世界である以上、少々の金を融通するだけでも福祉に篤い領地だと言われるのだから、住居まで与えるというのであれば、それは王都並みの待遇とも言える。
「もちろんです。あなたと同じように、多くの女性が新しい生活をしています。まずはこの町で仕事に慣れてから、領内各地に配属されることになります」
女性たちが生活する寮があり、食事も用意されるらしい。
炊事や洗濯は当番制との説明があったが、その程度は当然だろう。
「一家族で一部屋となりますが、お子さんと一緒の部屋ですよ」
「ありがとうございます。本当に、本当に、助かります……」
目元を覆う仕草と震える声。はた目には完全に泣いているようにしか見えないが、下から覗き込めるような位置にいるヴィーからは、目を赤くするために指で目元を擦っているのが見える。
役者ばいね、とヴィーは自分も同じように感激するべきかと迷ったが、芝居などというものはどうもやり慣れないので、とりあえずブリジットの様子を見上げていることにする。
「あまり見ないでくださいよ」
と小さくぼやいた彼女は、そのまま担当から部屋まで案内されてようやくヴィーと二人きりになった。
「あーっ、疲れましたよぅ」
外には聞こえない程度の声量でぼやいたブリジットが、ベッドにばったりと仰向けに倒れた。
簡素なベッドに薄いシーツのみのベッドだが、それでも貧民街にあるような朽ちかけた木のかたまりみたいなものに比べたら雲泥の差だ。
「ヴィーさん、どう思います?」
「話ば聞く限り、良かことばっかい言いよっち思う」
確かに寡婦にとっては助かる制度だが、あまりにも都合が良すぎるように感じる。第一、どこからそんな金が出てくるのかが二人にはさっぱり想像がつかない。
「実家は多少余裕のあったばってんが、かん人数ば雇おうでてざっとなかばい」
「……大人数を雇うのは大変って意味ですね?」
大分方言に慣れてきたブリジットも、時折迷う。
「そいで合うとっ」
肯定しながら頷いたヴィーは、話を続けた。
「人一人食わせていこうで思うない、そいだけ利益の上がらんばいかん」
父親の不正を調査しながら伯爵領内の金銭流通についても把握していたヴィーは、それをよくわかっていた。
「大体が、領地の長になっぎんた、まず“兵士”ば食わせていかんばいかんばってんが、こいがまあ金んかかっとよ」
充分な食糧と訓練のための施設に器具、当然ながら武装も配給せねばならないし、馬などにも金がかかる。
「そんくせ、兵士は金ば生まん。大金のかかっくせしてな」
前世で侍であったヴィーにとって、自虐のような言葉だ。
もちろん、この時代においての兵士も侍であっても、治安維持や行政の手続きなど戦闘面以外での人材としての有用性はある。
だが、いずれにせよ何か儲けが生まれるわけでもない。
「それは今回のお仕事のような雑役でも同じ事、ですか」
「そがんさ。官制の茶屋どんしよっないまだわかっばってんが」
雇い入れた女たちに客を取らせるような真似をすれば、すぐに外部に知られることになり、場合によっては王国から厳しい処罰を受けることになるだろう。
「実際になんばしよっとかわからんばってんが……」
ヴィーの視線がブリジットを捉える。
彼女が言いたいことは、伝わった。
「大丈夫ですよ。わたしも自分自身を守れる程度には戦えますし、逃げ足にも自信があります」
「そいは、重畳」
胸を張って言うことではないだろうとヴィーは笑ったが、逃げる選択肢を選べるのは重要なことだ。
その選択肢を捨ててしまったことで、無下に命を落とした同志を前世で幾人も見てきた。
ブリジットが未来の幸福を心安らかに享受できること、ヴィーは願ってやまない。
「それで、今後なのですが……」
ブリジットが切り出したときだった。扉を叩く軽い音が部屋に響く。
「よろしいですか? 明日からの研修についてご説明をしたいのですが」
先ほど受付をした女性の声だ。
「どうぞ」
一瞬だけヴィーと視線を合わせたブリジットが応えると、扉が開く。
「施設の案内もしたいので、同行してもらえますか。ただ、仕事についての話もあって少し時間がかかるので……」
女性の視線はヴィーへと向いている。
子供を連れて歩くには時間が長くなる可能性があると言いたいのだろう。
「どうする?」
声音は優しく、母親が訪ねる柔らかな響きを出せるあたりがブリジットの芸達者なところだろう。
ヴィーは、ただ頷いただけで返した。
「そう。……すみません、子供をこの部屋の近くで遊ばせても?」
「構いませんよ。お嬢さん、帰る部屋がわからなくなったら、さっきの所においで」
ヴィーと目線を合わせ、ブリジットと同じように話しかける女性からは、悪意など一欠片も感じられない。
ヴィーはただ頷き、ブリジットから「遊んでおいで。気を付けてね」と言葉をかけられると先に部屋を出た。
「では、よろしいですか?」
「はい、よろしくお願いいたします」
ブリジットたちが部屋を出たのを、ヴィーは密かに廊下の隅で確認していた。
「どがんしゅうか」
ブリジットを見守ることも考えたが、彼女はそこまで過保護にされるような人物でもないだろう。コレットのように戦う術を持たないわけでもない。
「たしか、武器ば隠し持っとっち言いよったね」
どこに何を持っているのかはわからないが、まず心配はないだろう。
「そがんなっぎ、俺がせんばいかんことは決まっとっね」
堂々と歩き回っても問題はないだろう。ヴィーは大きく深呼吸をして心を鎮め、まずは他の子どもたちがどこに居るのかを探ろうと歩き出した。
ありがとうございました。
本作は今後、週一ペース程度を目安に更新していきます。
また『異世海の日本人たち -世界変われど海賊退治-』という作品をスタートいたしました。
海保・海自が主人公の作品で、複数の方に取材を重ね、監修もお願いした作品です。
是非とも、よろしくお願いいたします。
 




