4.幼女、人助けする
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「義によって、助太刀いたす……道行に人助けてん、講談で観た水戸の御老公のごたっ気分ばい」
「あ、あなた……!?」
突如現れた人物を見上げて、少女は言葉が出なかった。
颯爽と現れて啖呵を切った人物は幼女であり、頼りない片刃の細い剣を手にしている。
大きな瞳が綺麗な可愛らしい顔つきに、柔らかな銀髪を首の後ろで結んでいるあたりをみれば、彼女が女の子であるのはわかった。
だが、細くて小さな身体をまるで騎士が式典の際に来ているようなジャケットとスラックスで固めているのは、アンバランスにも見えた。
背筋を伸ばして雄々しく立つ姿は、まさに男装の麗人と言った風情で、不思議と凛々しくもある。
「なんでガキが出てくるんだ?」
「さあな。それよりも、早いとこコイツを連れて行かねぇと、また報酬を減らされちまう」
ぐるりと取り囲んでいるのは五人の男たちで、それぞれがサーベルやナイフ、手斧などを持っている。どれもこれも手入れが碌にされていない様子だが、凶悪な輝きを放っていた。
「どうも、相手にされとらんごたっ」
頭を掻いているヴィオレーヌは、へたり込んでいる少女へ微笑みかけた。
「まあ、都合ん良かとも言ゆっ」
「た、助けてくれるのは、ありがたいんだけれど……」
「ん? おいの勘違いで、こいつらはお友達やったとね? そいとも、どこじゃいから何か盗んで追われとっとかね?」
「そんなわけないでしょっ! 誘拐されそうになって、逃げて来たの!」
「そいない良か」
確認が取れたヴィオレーヌは、振り向きざまに身体を低くしたかと思うと、手近にいた相手の脛を横薙ぎに斬り裂いた。
不意を突かれた男は、一瞬呆けた顔を見せた後、無様に尻もちを突いた。
「ぐああっ!? 畜生っ、このガキぃ!」
怒声が響き、周囲からは悲鳴が聞こえてくる。
「多勢に無勢。ばってんが、こいくらいんことに反応できんくらいない、雑兵も良かところばい」
立ち上がり、剣を両手に握りなおしたヴィオレーヌはにやりと笑う。
「てめぇ、なんなんだよ!」
「おっと、名乗りばしとらんやったね。おいは……うーむ……」
ヴィオレーヌは迷った。貴族の籍を失っている以上、家名は当然名乗れない。ヴィオレーヌという名前も、仰々しく感じていた。
思えば、前世の苗字も名前も、妙に長ったらしく感じていて、幕末に流行した一文字名に憧れたものだ。
「ここにゃあ漢字は無かけんね。……うん。おいは『ヴィー』で良か。ヴィーと呼んでくれんね」
以降、彼女はこの名前を使い続けることになる。
オーバン伯爵の娘ヴィオレーヌはここで消え、ヴィーという一人の自由な幼女が生まれたのだ。侍の魂を持った、自由な女の子が。
「閻魔さんに自分が誰に殺されたこっちゃい聞かれたら、この名前ば伝えとかんね。そいぎ、おいが裁かるっときに話ん早か」
話を続けながら、ヴィーは先ほど足を斬りつけた男の上に圧し掛かる。
「こ、殺されって、おい、まさか……」
切っ先を真下に向けて、左手が柄頭を押さえる形になる。甲冑組打術の基本的な『とどめの刺し方』だ。
「やめろーっ!」
叫びも虚しく、迷いの無い動きでヴィーは切っ先を滑り込ませ、心臓を刺し貫いた。
肋骨を避けるように滑り込んだ刃は、血に濡れて引き抜かれたとき、刃こぼれ一つ無い。
「マジかよ……」
絶句しているのは、残った四人の男たちだけではなかった。助けられた少女も、周囲で遠巻きに見ていた人々も同じだった。
ただ一人、当人であるヴィーだけは平然としている。
「武器ば持って襲って来たっちゃけん、こうなるのは当然やろ? もしおいの方が弱かったないば、立場は逆になっとったとやけん」
「こいつ、イカレてやがる! 殺せ、殺せぇっ!」
文字通りに殺気立った男たちは、少女のことなど忘れてしまったかのようにヴィーへと殺到する。
「おうおう、いきり立っとっね」
振り下ろされた斧は、一歩下がったヴィーに当たらず、突き込まれた剣は少しだけしゃがんだ彼女の上を通り過ぎた。
「クソッ、やりづれぇ!」
ただでさえ同年代に比べても小柄なヴィーは、男たちとの身長差が実に五十センチから六十センチもある。細身なのも相まって、的が小さすぎるのだ。
対して、ヴィーの方は的が大きくて、大振りの攻撃ばかりで実に楽だった。
「ほれ」
と、気の抜けるような声で、踏み出された足に切っ先を突っ込み、動きが止まった相手の腹を横一文字に斬り裂いた。
鎧も帷子も着ていないものだから、ぱっくりと開いた傷口からは、はらわたが零れ落ちていく。
「あ、あぁ……」
膝を突き、血を失って青褪めていく相手を、ヴィーは見ようともしない。こんなものは戦場で見慣れているし、もっと酷い目にあった敵も味方も見てきた。
出来ることは、苦しみを長引かせないように止めを刺してやることだけだ。
「じっとしときんさい」
自分に対して跪いた格好になった相手の頭部を押さえると、ヴィーはそっと喉笛を斬った。
ピクリと反応した相手は、座ったまま死んでしまったらしい。それ以上は動かない。
戦いは一方的に進み、ヴィーがもう一人の顎を突き上げて殺害したところで、誰かが連れて来たらしい兵士たちが近づいてくるのが見えた。
「貴様ら、何をやっているか!」
「あー、こいつらは……」
「ちょっとあなた、こっちに来てっ!」
「お、おう?」
いつの間にか残った二人の男たちは逃げてしまっており、暢気に状況説明をしようとしていたヴィーは、少女に腕を掴まれて引っ張り出されていく。
「どこさん行くとね」
「兵士たちに尋問されたら、面倒でしょう? いくら理由があっても平民同士が殺し合いなんてしたとバレたら、問答無用で牢屋行き! 下手したらその場で処断されるのよ!」
「ははぁ、そういうもんね。お嬢さんは詳しかばいね」
「あなたより間違いなく年上!」
人込みを掻き分ける少女の動きは随分とこなれていて、今までも似たような状況を経験してきたらしいとヴィーには分かった。
「どがんすっとね?」
「こっちが聞きたいっ! 今日は一体どうなってるの? 変な貴族に声をかけられるし、逃げたと思ったらチンピラに殺されかけて、こんな幼女に助けられるなんて!」
どうやら混乱しているらしい少女に連れて行かれながら、ヴィーは片手で器用に血を拭って剣を腰に戻し、相手を観察してみた。
茶色い豊かなくせっ毛をみつあみにして肩にかけ、長めの前髪の下からは、とび色で勝ち気な雰囲気の目が覗いている。
その目が、不意にヴィーを見た。
「この辺で、とりあえず大丈夫でしょ」
気付けば、王都の繁華街から離れた路地にいた。
振り向いた少女は、膝をついてヴィーと視線を合わせる。まっすぐな視線がくすぐったく感じられたが、ヴィーは真正面から受け止めた。
「さっきは、ありがとう。本当に助かった。あなたみたいな小さい子に助けられるとは思わなかったし、驚きもしたけれど、命の恩人ね」
ヴィーは微笑みを浮かべて、少女の頬を指先でなぞる。そこには、彼女の涙があった。
「あ……もう、恥ずかしいなぁ。いつの間にか泣いてたのね」
「怖か目に遭うたけん、しょんがなか。何のあったとか知らんばってんが、とりあえず落ち着かんば。ほら、座らんね」
ヴィーはポケットから取り出したハンカチ――彼女は手拭いと呼ぶのだが――を取り出して、地面へと広げてみせた。
「ふふっ、変な子……ありがとう」
ハンカチの上に腰を下ろした少女は、膝を抱えるようにして顔を伏せて、しばらくそのまま動かなかった。
彼女が泣いていること知りながら、ヴィーは声を掛けずに隣に座り、陽が暮れて少女が泣き止むまで待っていた。
「……私の名前は、コレット。あなたはヴィー、ね。ここまで付き合わせてごめんね」
「コレット、な。よろしく頼む。まあ、王都で暇を持て余しておったけん、あんまい気にせんで良かばってんが、いっちょ頼みたかことのあっとばってん」
「なに? お金とかはちょっと、恥ずかしいけどあんまり手持ちがないんだけれど……」
そうじゃない、とヴィーは恥ずかしそうに両手の指をぐりぐりと絡めて言い難そうに切り出した。
「旅籠ば取りたかとばってんが、手伝うてくれんやろか。どうもこの見た目ぎんた、不便やけんさ」
「え、えぇ、そういう話? ぷっ」
「笑わんでくんしゃい。しばらく王都におらんばいかんとこれ、切実か問題やけんくさ」
思わず噴き出してしまったコレットに、ヴィーは頬を膨らませて抗議する。
「ごめん、ごめん。わかった。そういうことなら私も協力する。とりあえずは陽も落ちて来たから、急いで宿を探しましょう。今日は相部屋でいい? 私も疲れちゃったし、その方が安く済むし」
「おう、そいは助かっばい。襲ったいせんけん、安心して良かけんね」
「女同士なのに、何言ってるのよ」
二人そろって宿があるエリアへと歩き始めたのを、監視役のブリジットは物陰から見つめて、小さくため息を吐いていた。
楽な仕事では無いと思っていた彼女だったが、まさか初日から騒動を起こすとは思わなかったからだ。
「すぐにでも報告しなければ」
監視対象が宿に入ったことを確認した彼女の姿は、すっかり陽が落ちた町の中で暗闇に紛れて消えた。
☆
「はっはは。早速やらかしおったか」
ブリジットからの報告をイアサントを通じて受けた王は、ヴィオレーヌ改めヴィーの“活躍”に笑みを浮かべた。
「ヴィー、と名乗ることにしたか。貴族出のくせに、出自をひけらかすことも無いとは殊勝な奴よな」
「自由を求めている様子でしたので、むしろ貴族であることを面倒に感じていたのかも知れません。いずれにせよ、判断が難しい状況です。正義感にかられての行いであるのは間違いありませんが、やりすぎです」
「ふむ、そこは法を理解しているという解釈もできる。誰ぞに唆されて女を誘拐するような連中、どうでもよい」
王はこの状況を楽しんでいるようだった。
だが、イアサントにしてみれば変に実力がある者が王都内で正義の名のもとに暴れ回るなど、頭痛の種にしかならない。
「今のところは、見物していた者たちの証言を集めているようですが、このままではヴィオレーヌどのは兵士達に追われる身となってしまいます。騎士をやって、この件は放置するように伝えましょう」
「無用だ。それではあの娘に王城が関与していることを兵士達に伝えることになる。それではいかん」
貴族位を剥奪した意味が無くなってしまう、と王は言う。
「このまま好きにやらせておけばよい。治安を乱すようであれば処罰を考えねばならんが、今のところは悪漢を懲らしめたに過ぎぬ。そうであろう?」
イアサントは肩を竦めた。
「懲らしめた、というには些か過激に過ぎますが」
「お前は、近衛のくせに目立つこと嫌うのだな。あの娘にはむしろ目立ってもらった方が良い。その方が、町のゴミ共に気付かれやすくなる」
悪い顔をしている。
イアサントは王の表情に対して咳払いで注意を促すのみにして、話題を変えた。
「旧オーバン伯爵領の件ですが、陛下が指名された代官と補佐の文官、計五名が護衛と共に現地へ到着したとの連絡が入りました。距離を考えると、二日前のことですね」
「よろしい。何か情報はあるか?」
「一つだけ……ヴィオレーヌ殿が“優秀な執事”だと話しておられた人物が、伯爵の屋敷にて自害した姿で発見されたそうです」
報告を聞いた王に驚きは無かった。
人口が少ない僻地と言っても、領地の運営は簡単では無い。報告書を作るのに伯爵が一人で全て管理して、誤魔化しているとは王もイアサントも考えていなかったのだ。
「遺書が残っておりまして、どうやら実務に関してはその執事が一手に行っていたようです。不正の責任を取る、と書かれていたと報告がありました」
「ある種、有能な人材であったのだろうな。それで、他にはまだ何もないのか? 例の収穫量の増加については?」
矢継ぎ早の質問に、イアサントは「まだです」と答えた。
「補佐についた文官の一人が、専任で調査に当たっております。続報をお待ちください」
「期待している。……ん? そういえば専任調査には誰が就いている?」
王が気にしたのは、貴族院の息が掛かった者が紛れ込んでいないかという部分だったが、言葉に詰まったイアサントが耳まで赤くしてるのを見て、全てを察した。
「オルタンス・フォーコンプレを出したな?」
文官の一人であり、納税に関する部門で働いている女性の名が出ると、イアサントは視線を落とした。
「私心を挟みまして……」
「良い、良い。あの娘は能力がある。それくらいは見逃してやろう。それに、あ奴には王都を出たいだろう“事情”もある。それを考慮してのことであろう?」
「ありがとうございます」
報告を待っている、と言い残して退室した王を、イアサントは敬礼のまま微動だにせず見送った。
ありがとうございました。