45.夢の終わりに
お待たせいたしました。
それは、ヴィーが出発する前夜のことだった。
ボドワンやパメラを始めとした反乱の主要なメンバーたちは、日々監視を受けながらの作業を続けていたが、そこまで厳しい見張りがされていると言う訳でも無かった。
待ちの人間たちが彼らに向ける感情も、憎悪ではなくやんちゃな子供たちに向ける「困った連中だ」程度のものだったこともある。
そんな雰囲気のお蔭だろうか。
事件以降、ボドワンとパメラが山奥で落ち合って語り合うのが日課になっていたが、これまで誰かに見咎められたり、ましてや引き離されたりというようなこともなかった。
だから、エンゾがその場に現れたこと自体は不思議では無かったが、ボドワンたちにとっては意外だった。
「……何の用だ? エンゾ」
ボドワンは、二人の時間を邪魔されることに不機嫌だったわけではない。ただ、エンゾの様子が不穏なのが気になる。
いつもならおどおどとした不安げな視線を向けてくる彼が、険しい顔をしていた。
「ここにいる、と他の連中から聞いた。話をしたい」
「……いいだろう。パメラ、かまわないね?」
「そうね。私も話を聞きたいわ」
エンゾが承諾し、三人はそれぞれに向かい合って地面に直接腰を下ろす形になった。
「色々と言いたいことはあるが……単刀直入に言おう。ボドワン、お前はこれで良いと思っているのか?」
町は落ち着いたように見えるが、若者たちの中にはいまだに不満をくすぶらせている者も少なくない。
敗北したこと、ヴィーが味方ではなかったことに落胆しつつ、それでも自分たちが町の未来を作り上げていくことを自負している者が多い。
これもヴィーによる薫陶の賜物なのだが。
「いいや。実はな、パメラとこの数日話していたのはそのことなんだ」
「そ、そうなのか……?」
ボドワンの返答を受けて、エンゾは言葉を探す羽目になった。自己正当化してくるものだと思い込んでいたからだ。
しかし、エンゾの予想とは違い、ボドワンはがっくりと肩を落として意気消沈していた。
「熱が冷めて、恥ずかしいうわごとを言っていたのを思い出したような気分だ。はっきり言えば、僕は自分の存在がヴィオレーヌ様の心を変えられるくらいには大きいと思っていた」
でもそれは勘違いだった、と今ではボドワン自身も理解している。
「あの方が統治を否定した時点で、僕はみんなを説得して止めるべきだった。今更だけれど、この数日間ずっと考えていた」
彼の結論を支えるかのように、パメラがボドワンの腕を抱きしめる。
一時はヴィーに対して敵愾心をむき出しにしていた彼女だったが、嫉妬はすっかり鳴りを潜め、今ではただボドワンの言葉を肯定するばかりだった。
「反省した。だから許せとでも?」
「いいや。反省はしているし、みんなを間違った方向へと唆したことを許してほしいとも思っていない」
「それなら!」
立ち上がったエンゾが詰め寄るように近づいてきたのを、ボドワンは黙って見上げていた。
怒りに震える表情を見上げる彼の表情は恐怖でも反省でも無い。するりと表情が抜けたかのような、間顔だった。
「責任を取れ! 怪我をした連中はまだ苦しんでいるのに、どうしてお前や……パメラも、こんなところで暢気に話し合いなんてしているんだ!」
すぐにでも全員に頭を下げて回るようにとエンゾが吼えたのを受けて、ボドワンは静かに言いかえした。
「もう済ませた」
「なんだと?」
「エンゾ。お前以外の全員には、今回のことを謝罪して来た。全員が納得したわけじゃないけれど、言葉の上は許してくれたよ」
怪我をした者たちも、ボドワンに対しては然程怒りを覚えている訳でもなかったらしい。自分たちの選択の責任だと理解していたのだ。
だが、その中で妙な噂を耳にした。
「エンゾから『またやろう』と誘いを受けたと聞いた。……本当か?」
「……それがどうした」
「あれは失敗だった。それは発起人の僕自身が誰よりもよくわかっている。ヴィオレーヌ様にはひどい迷惑をかけてしまった。それをまた、繰り返すつもりか?」
ボドワンも立ち上がる。
少しだけ彼の方が背が高い。わずかに見下ろす視線は険しかった。
「そういう話を聞いたから、お前に話をするのは最後にしたんだ。僕たちが後始末をする前に、お前自身に確認をして、僕が責任を持って止めないといけないからな」
「後始末……?」
「お前がここで“二度と反乱などしない”と誓うなら、それでいい。だが、もし与太話をまだ広めようとするつもりなら、ここでお前を止める」
「それが後始末だと?」
「違う……いや、“それも含めて”だな」
ボドワンが腰からそっとナイフを抜くと、エンゾも慌てて腰に差していた短い剣を抜いた。
「簡単に、やられてたまるか!」
「そうだな。お互いにヴィオレーヌ様の手ほどきを受けた身。そう簡単に終わっては申し訳が立たない。最後の戦いなのだから、全力でやりあおう」
「最後にしてたまるもんかよ……!」
先に動いたのは、エンゾの方だった。
若干だがリーチの長い武器なのもあって、踏み込みは浅く、自分を庇うかのような横なぎの斬撃。
しかし、それなりに速度はある。
ボドワンは抵抗せずに足を引き、やり過ごした。
「ボドワン……」
「大丈夫。一人でやれる。君が手を汚す必要はないよ」
不安げなパメラの声に答え、ボドワンは前に出る。
「舐めるなっ!」
今度は縦に、相手を両断するかのような斬撃だった。
「うっ!?」
ボドワンは避けようとせず、今度こそ叩き切ったと確信したエンゾは不意に自分の手に痛みが走ったことに驚き、取り落としかけた剣を慌てて握りなおした。
「戦いの最中、視野が狭くなる癖がある、とヴィオレーヌ様に指摘されたことがあっただろう?」
ボドワンは、エンゾの斬りおろしに対してナイフを使わず手首を蹴り上げて攻撃を止めたのだ。
隙を突いたナイフによる一閃が、エンゾの肩を浅く斬り付ける。
「くっ」
うめき声をもらしたのは、ボドワンの方だった。
それはボドワンにとって大きなミスだったのだ。
蹴りは剣を手放させること能わず、ナイフは致命傷を与えるどころか、相手が動ける程度の浅手でしかない。
想像以上に自分の腕前が足りていないことを悟り、彼は自分に落胆する。
いくばくかはヴィオレーヌという憧れに近付けたかと思っていたが、何のことは無い。少しばかり手本がいない間に、増長していたに過ぎないのだ。
若者たちのリーダーとして祭り上げられたことで、知らず虚栄心に彩られた虚しい自己像が露呈したとも言えるかも知れない。
ちらりと、パメラの顔を見て、ボドワンは覚悟を決めた。
「すまない、パメラ」
「詫びる相手はこっちだ、ボドワン!」
剣を持ち直したエンゾは、前傾姿勢から身体を起こす勢いそのままに、ナイフを下ろしたままのボドワンへと身体をぶつけた。
「へへ……」
深々と突き刺さった剣からボドワンの脈を感じながら、エンゾは笑みを浮かべる。少々問題はあったが、これで自分がまとめ役に収まることを確信したからだ。
だが、彼の目論見は潰える。
「な、何をするつもりだ、おい!?」
まるで刃をさらに深く受け入れるかのように、ボドワンの左腕がエンゾの身体をがっちりと抱き留めたのだ。
相当な痛みを感じている筈だが、やや汗をかいている以外ボドワンの表情に変化はない。
「気でも触れたか……」
混乱しているエンゾは、剣を離すことを選択できず、とにかく目の前にある身体を切り刻んでくれようと手を揺り動かす。
しかし思うように身体は動かず、そうこうしているうちに自分の喉元にボドワンのナイフが触れていることに気付いた。
「やめ……」
懇願の言葉は、すぐに空気が漏れて血と混じる音に変化した。
分厚い無い卯の刀身はあっさりと喉笛を切り裂き、気道を切断したのだ。
「もとより、パメラと二人で死ぬつもりだったんだよ。それが“後始末”なんだ。ヴィオレーヌ様はお許しくださったけれど、それじゃあ駄目なんだよ」
できればエンゾをしっかりと成敗してから死にたかったが、一方的にやられてしまうよりは良いと考えたのだろう。ボドワンは確実な方法を選んだのだ。
「ボドワン……もう充分よ」
「ん、そうか……」
気付けば、エンゾは完全に事切れていた。
血塗れになったボドワンから死体を引きはがしたパメラは、そっと横たえたエンゾのまぶたを下げた。
そして改めてボドワンへと視線を向けると、腹に剣を生やしたまま、彼は座り込んでいた。
「……思ったより、痛くない、な……」
「私は……」
ボドワンの側に座ったパメラは、彼の身体を横たえて膝枕をした。
見下ろす彼の顔からは、次第に生気が抜け、死の陰りが見える。
「あなたに殺して欲しかったのだけれど」
「そうか……でも、ごめんよ。もう身体が動きそうにない」
わかっている、とパメラはボドワンの右手を丁寧にほぐしてナイフを受け取ると、自らの首に当てた。
「腹じゃ、ないんだな……」
「私は罪人だから、首を切られるのが似合っているわ……それじゃ、先に行って待っているから、私を殺さなかったことを反省しながら、ゆっくり追いかけてきて。ゆっくりで、本当にゆっくりでいいから」
パメラの手に迷いはなく、笑顔のまま自らの首を横一文字に引き裂いた。
どろどろと溢れ流れてくる血を顔で受け止めながら、ボドワンは目を閉じてその温かみを感じながら、意識を手放した。
三人が見つかったのは、翌朝のことだ。
「どうにもわかりませんが、パメラが自分で喉を掻き切ったのは間違いないようですな」
現場検証の為にデジレを案内した第一発見者の老人は、冷静に説明しながらも、声を震わせている。
「どうしてでしょうなぁ。三人とも、ヴィオレーヌ様は許すとおっしゃってくださったのに……」
「わからん。だが……」
エンゾの表情は苦悶に満ちていたが、パメラとボドワンは穏やかな顔をしている。
苦しみや痛みは相当なものだったはずだが、安堵すら感じさせる表情だ。
「まだまだ、我らの世代が頑張らねばならぬようだ」
語り継がねばなるまい、とデジレはため息交じりに続けた。
「彼らの過ちと、覚悟を。……ヴィーさんが戻られたら、彼らは病死したと伝えよう。これ以上、あの方のお心を重くしたくはない」
遺体を家族の元へと送るように指示を出したデジレは、その場に座り込んだ。ゴツゴツとした木の根の感触が痛い。
大きく息を吐いて俯いた彼の表情は誰にも見えなかったが、誰もが想像はできていた。
だから、誰も彼には声をかけなかった。
ヴィーは、このことを知らない。
これで二章完結となります。
第三章の開始も同時に掲載しておりますので、よろしくお願いいたします。
実験として、第三章から佐賀弁の翻訳ありません。
なるべくマイルドにするつもりですが、
どうしてもわからないときは感想の方でお尋ねください。




