44.それぞれの道
大変遅くなりました。
申し訳ありません。
「今ぐらいの時間ぎ丁度良かもんね。ほら、川の水面が上がってきたやろ」? 満潮になっぎんた真水ば海水で押し上げて、畑さん行く溝さん流れが入っていくとよ」
農業用水の流れを嬉々として説明するヴィーの隣には、風景のスケッチをしながらコレットが付いていく。
だが、ヴィーが説明している相手は彼女ではない。
「溝は仕切りで調整すっとばってんが、大した勢いじゃなかけん、板一枚で止めらるっとよ。板の数ば増やしたい減らしたいして、水の量ば調整すっとさ」
振り返ったヴィーの視線の先には、暗い顔をしたオルタンスが神輿の上に鎮座ましましている。
豊穣祈願のために町で年に一度行われているお祭りに使われているものだ。
「あっ、ヴィオレーヌ様のおいなっ!」
と、子供たちはが声を上げて手を振り、農作業に精を出している大人たちも釣られて顔を上げ、ヴィーの姿を見ては手を振ってくる。
そして、その視線は文字通り神輿に担がれたオルタンスへと向けられるのだ。
「新しか領主様やろうか」
声は聞こえないが、明らかにそれらしき会話をしている人々を幾人も目にしてきたオルタンスは、すっかり疲れ切っていた。
「傷口が開きそう……」
すでに怪我から五日ほど経過しており、しっかりと縫われた傷は順調に回復しているのだが、日を追うごとに元気は失われていく。
この数日の間、ヴィーは積極的にオルタンスを連れ回しては領土内での治水灌漑工事についての説明を続け、必要あれば現在でも工事中の場所で技術についての継承を行ってきた。
何一つ隠すことは無いとばかりに一から十まで説明を続け、もはや領内の事業についてほとんどを伝えたと言っても良いレベルにまで達していた。
現在、オルタンスは旧オーバン伯爵領については代官をしのぐ知識を有することになり、尚且つ、ヴィーが考案した(ことになっている)灌漑の技術についても、王国官吏としては随一の知識を持っていることになる。
「はあ……王国官吏になったヴィーさんの補佐として地道に成果を挙げるはずが……」
このままいけば、文官として王国に多大な功績を残した貴族として、無事に実家を継ぐ地歩固めが完了してしまうだろう。
王国へ貢献したとなれば高位貴族からも縁談が舞い込むだろうが、当然その相手は領地を継がぬ貴族たちであり、イアサントでは決してない。
「どうしてこうなった」
落胆しながらもヴィーの説明を洩らさず書き取っているあたりは、優秀な文官であり流石はコレットの姉と言うべきか。
旧伯爵領の平民たちも騒動からの落ち着かない雰囲気がすっかり収まり、今まで通りの生活へと戻っていた。
ボドワンたちは未だ塀の中だが、王国からの正式な沙汰が下れば解放される見込みだった。
もちろん無罪放免とはいかず、今後はデジレたち町の大人たちの監視を受けながらの生活となる。少々不便ではあろうが、それでもかなり軽い罰だ。
コレットは町を巡って故郷や王都とは違うのどかな風景とあちこちを縦横に走る水の流れを観察し、記録に残しながら、情景を心に書き留めていく。
「ここがヴィーの人生のスタート地点なんだね」
ちょっと……大分変った幼女の生まれ故郷は、コレットが想像していたよりもずっと普通に牧歌的な町だった。
しばらくはこの町に滞在して、その間にヴィーのことをもっと知れたら良いと思っていた。
彼女が父親を殺したという事実は、実のところまだコレットの中で消化しきれずにいたのだが、彼女の始まりと成長を知ることで、ヴィー自身もゆっくりと受け入れることができる気もしている。
これからの目標は、ひとまずヴィーを知ることだ。
「到着いたしました。では、私たちはこれにて」
オルタンスを無事に部屋まで送り届けた若者たちは、一礼して神輿を担ぎあげて意気揚々と帰っていった。
「神輿のまま部屋まで……」
使用人たちの視線を独り占めだったオルタンスは、ベッドの上で灰のように白くなっている。
「戻ってきたようであるな。ヴィーさんもコレットさんもいるのかね。これは都合が良い。少しよろしいかな?」
入れ替わる様に入って来たのは、代官だった。
「わざわざそんな。お呼び頂ければ私の方が伺いますのに」
「いやいや、怪我人に無理はさせられんよ」
そんな気遣いができるなら神輿を止めさせてくれないかという言葉を飲みこみ、オルタンスは代官の言葉を待った。
「かねてより報告を送っておいた件に関して、王政府から返答が届いたのだ。オルタンス君は昇進が決まった。近いうちに部下が来るが、旧伯爵領の収穫増に関する報告書が完成したなら、陛下へお届けしてそのまま王都勤務となる」
それは代官が率いる作業チームから外れるということを意味し、オルタンスが率いるチームが作られるということを意味する。
「君のような優秀な人材がいなくなるのはとても残念であるが、君にとっては飛躍の機会であろう。王都で治療を受けながら、新たな任務に専念してくれたまえ」
「あ、ありがとうございます……」
喜びに浸っているわけにもいかない。オルタンスが気になるのはヴィーの扱いだが、その話題を出す前に代官はヴィーへと向き直った。
「次に、この旧伯爵領についての扱いが決定したので報告するとしよう。……最初に、あなたに伝えるべきだと思う」
「そいは……お気遣い、痛み入る」
代官の言葉に、ヴィーは深々と頭を下げた。
本来ならそんな必要は無いのだが、代官は当然の義理であると彼女への報告を優先したのだ。
「旧オーバン伯爵領は、このまま王家直轄地として治められることになった。しばらくは私が代官として治めることになるが、いずれ正式な人事が決定されるであろう」
それまでは責任をもって領地を管理すると代官は約束し、ヴィーはにこやかに支持を表明した。
「代官どのぎんた、安心でくっけんね。よかぎんた、長う勤めてもらいたかばってん」
冗談めかした言葉ではあるが、ヴィーは本心から言っていた。彼の采配は平民たちに自由な判断を委ね、尚且つ被害を最小限に止めることを最優先していた。ヴィーにとって好ましい人物だった。
ところが、代官自身もある程度は本気でそれを希望していたらしい。
「それも良いかも知れぬと考えているのである。すでに陛下にはさりげなく希望を送っているのでな。受け入れられれば、退任までここにいるかも知れんのだよ」
「えっ?」
ヴィーだけでなく、コレットやオルタンスもこれには驚いていた。
「妻とは、退官後は王都ではなくもっと落ち着いた土地が良いと常々話していたのでな。この実り豊かで、ゆるゆると流れる水に囲まれたこの土地はとても好ましい」
彼のように領地を持たない貴族が隠居後に移住することは珍しくない。農地を購入して農園主となる者や、新たに商売を始める者もいる。
代官自身はどちらでもなく、貴族年金でゆっくり生活したいようだが。
「さて、私のことよりもヴィーさん、あなたのことだが」
「おいの?」
何だろうか、と気楽に構えているヴィーと違い、オルタンスの方が真剣に耳を傾けている。
彼女の目算は、ヴィーの知識を確保しておきたい王政府は王都に招いてとどめ置きたいと考えるというものだった。
ところが、願望に塗り固められた予想は完全に外れた。
「ヴィーさん、あなたには王陛下から新たな依頼が来ております。王国内の自由な移動を改めて許可すると共に、各地で発見した貴族に関わる不正などを“報告”する任務を受けて頂きたい」
「ふむ。報告ときたばいね」
解決しろとは言わないあたりに、王の狙いがありそうだとヴィーは思った。
あくまで対応は王政府が行うという名目で、万一ヴィーが戦闘に入った場合でも責任も負わないし王の命令ではないとの逃げ道を作っているのだろう。
ヴィーを都合よく利用しようとしているのがわかりやすいが、それでも彼女はよかった。
「旅の目的の増えただけやけんね。こいで良か」
皆が笑顔でうなずく中、ベッドの上のオルタンスだけが頭を抱えていた。
そして数日が経ったころ、代官屋敷を一人の近衛騎士が訪ねてきた。
「お久しぶりです、ヴィーさん」
「ブリジットどの!?」
王都からの使いとして訪れたのは、近衛騎士のブリジットだった。ヴィーの顔を見知っている彼女が、依頼書の配達役に選ばれたらしい。
「先に内容は伝わっていると思いますが、今後ヴィーさんとコレット・フォーコンプレ様には王国内の自由な移動が認められます」
ヴィーの部屋にてそれぞれの通行許可証を手渡し、ブリジットは話を続けようとするのを、コレットが止めた。
「様付けは必要ありませんよ。わたしも、ヴィーと同じ立場で旅を続けますから」
「なるほど。それは助かります」
「助かる……?」
意味が解らないと言いたげなコレットに、ブリジットは依頼書とは別の、命令書と書かれた紙を取り出してみせた。
「私も、平民として同行します。国王陛下より、ヴィーさんの護衛として正式に任命されました」
「そいは助かっとばってんが……例の婚約者の話はどがんなったとね?」
え、とコレットは驚いていたが、彼女もブリジットが近衛騎士隊長イアサントから自らの弟を紹介されていることは知っている。
知っているが、あえて遠方へ行く任務を課せられたあたりに嫌な予感がして、確認するのは控えていたのだ。
ところが、ブリジットはにこやかなままだった。
「いやー、お蔭様で顔合わせも上手くいきまして。あ、未来の旦那様は少し私より年下なので、結婚までは少し時間があるので、それまでに実績を積み上げたいと思いまして」
だから気にしなくて大丈夫だとのことで、コレットも安心して質問ができる。
「年下なんですね」
「はい。十三歳でして……」
ブリジットとは五歳差。
相手は彼女のことをとても気に入っているらしく、特に近衛騎士として活躍しているのを褒めていたらしい。
「今は寄宿舎学校にて王国文官として働くために勉強中の彼ですが、卒業後は私の領地を監督してくれるそうで、私には騎士を続けても良いと」
まだまだ具体的な話は進んでいないが、自身の希望をちゃんと聞いてくれる婚約者に、ブリジットはすっかりのめりこんでいる様子だった。
「任務の途中で別の者と交代する可能性もありますが、どうぞそれまではよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、お願いします」
安心したらしいコレットとブリジットが手を取り合っているのを、ヴィーは苦笑いをしながら見ていた。
「……こん世界の女性は、強かとばいね」
自分の今の性別を忘れたヴィーがいささかのカルチャーショックを受けている間に、二人の挨拶は終わっていた。
「それで、最初はどこを目指すんですか?」
「ヴィーと相談して、もう決めているんです。馬車で十日ほどかかるんですが……ドゥルイット子爵領へ行ってみようと思います」
「なるほど……」
ドゥルイット子爵領についてはブリジットもそれなりに知識がある。
些か、良くない噂がある領地ではあるが、物見遊山で回るだけであれば問題は無いだろうし、元より王からはヴィーたちの行動を制限しないように厳命されている。
それに、王国側としては問題をあぶりだしてくれるのであれば、それに越したことは無いのだ。
「では、出発の準備を致しましょう。馬車の手配などはお任せください」
懸念は敢えて口にせず、ブリジットは率先して準備をしてくると言って二人を残したまま部屋を去った。
「行き先ばってんが、おいが決めて良かったとね?」
「いいんだよ。わたしも行ってみたいと思っていた場所だし。山がちで起伏の多い土地って、見たことがないから楽しみ」
早速食料などを手配しようとはしゃぐコレットに手を引かれ、ヴィーは「落ち着かんね」と言いながらも、笑顔で連れ去られていく。
こうして、旧オーバン伯爵領は正式に王家直轄地となり、ヴィーの影響は急速に薄れていくこととなる。
落ち着きを取り戻し始めた町を見届けてから、ヴィーはコレットやブリジットと共に、旧伯爵領民たちに見送られて旅立つ。
しかし、そこにボドワンとパメラ、そしてエンゾの姿は無かった。
次回もよろしくお願いします。




