43.始末
よろしくお願いします。
「くふ、くふふふ……痛ったたた……くふふふふ……」
ベッドの中で痛みに耐えながら気色の悪い笑みを浮かべているのは、昨夜の戦闘で矢を受けて気絶したオルタンスだった。
目が覚めてみれば騒動は終息しており、聞くところによるとヴィーが中心となって若者たちの暴動を抑え、町の人々も彼女に倣って代官の指示に従うようになったという。
そしてこれからだ。
これからの展開でオルタンスが感じている『痛み』が効いてくる。
「王国文官が怪我をした責任は、本来ならば旧伯爵領の誰かに負わされるもの。でも今回は代官の以降とヴィーさんの希望で彼女の責任となる。つまり……」
オルタンスという存在が、ヴィーへの貸しになっているわけだ。
「王国における私の価値が高まるのは間違いないわ。あの治水の立役者は私に借りを作った。王国は私を通して、もしくは私の怪我に関する責任を取らせる形でヴィーに依頼を受けさせることが可能になる」
オルタンスは自身の価値が上がったことにほくそ笑んでいた。
「怪我は文字通り痛いけれど、これだけの成果があれば充分なアピールに……」
「オルタンス君。具合はどうかね?」
突然のノックからの声かけは代官だった。
「は、ど、どうぞ!」
「眠っているかと思ったが、話があるのでな。失礼する」
入室してきた代官の後ろには、ヴィーとコレットの姿があった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「心配ないわ。代官のお陰で傷は綺麗にふさがりそうだし、痛みはそうでもないもの」
「良かった。あの時は本当にびっくりしたし……その、ありがとう。守ってくれて」
肩は痛いだろうと頭を軽く抱きしめたコレットに、オルタンスは大げさだと笑った。先ほどまでの皮算用中の緩んだ表情はとても見せられない。
そして、ヴィーはと言うと神妙な面持ちで深々と頭を下げている。
「此度は、何と詫びば言うぎ良かかわからん……」
自分の教え子たちが暴走したことで代官及び王国に迷惑をかけたうえ、さらにはオルタンスに怪我を負わせてしまったことを陳謝すると続ける。
「ヴィーさん……」
言葉を切って、しばしオルタンスは迷った。
はてさてこの場面で恩を着せるような発言をしておいて、ヴィーの心理的な方向性を完全に掌握することもできるし、気にしないようにと伝えて良い人アピールをして信頼を勝ち取るという手もある。
前者は少々気が退けるし、代官の手前、あまり性格的に難ありと評されるような真似は避けたい。
かといって後者でも慎重であるべきだ。
『気にしないでください。大した怪我ではありませんから』
『そがんね。そいぎ気にせんで良かたいね』
となり、ヴィーが王国の手から離れてしまっては意味が無いのだから。
だから、オルタンスは努めて控えめに告げた。
「傷は痛みますが、国王陛下より命じられた任務は果たさねばなりません。恐縮ではありますが、どうか変わらぬご助力をお願いいたします」
「おお……おお、もちろんさい! 町の案内と説明はしっかいさせてもらうけんね。他の連中も協力すっごと言い聞かせとくけんが、心配せんでよかよ。なぁ、代官どの」
「ヴィーさんの言われるとおりである。オルタンス君、君の活躍は既に王都へと報告済みだ。きっと昇進となるだろうし、部下も付くだろう」
「あ、ありがとうございます。では……」
「担当替えなどはしないとも。ヴィーさんの協力を仰ぎ、引き続き旧伯爵領内の調査任務を遂行してくれたまえ」
オルタンスは内心でがっつりと拳を握りしめた。
代官はしっかりと彼女を評価してくれているらしい。おまけに部下が付くとなれば、さらに成果を出せる。
「かしこまりました。必ずやご期待に沿います。なるべく早く身体を治して……」
「いやいや、時間をかける必要は無いとも」
「……はい?」
涙が引っ込んだオルタンスが視線を向けると、代官とヴィーが並んでにこやかな笑顔を向けてきていた。
「ヴィーさんの声掛けもあってのことだが、町の人々がオルタンス君にせめてものお詫びの気持ちを見せたいと言ってきているのだよ。今後、領地を見て回る際には町の祭事で使われる神輿に乗せてくれるそうだ」
さらには町での買い物も割引してくれるそうだと伝えた代官に続き、ヴィーも頷いて続けた。
「町の若っかとが担いでいくけん、そいこそ王様んごと座っとくだけで良かけんね」
「……はい?」
代官とヴィーが何を言っているのか理解できないまま、呆けた顔をしていたオルタンスだったが、彼女の思考が復活する前に代官とヴィーが部屋を出て、コレットが手早く包帯を取り換えて着替えさせていく。
「お姉ちゃん、良かったね」
「……良かった、の?」
手放しで喜べない状況に落ち着きつつあるが、どう対応して良いかわからないオルタンスは、首を傾げてコレットにされるがままで着替えていく。
「わたし、やっぱりまだ家には帰れない。でも、お姉ちゃんも好きにしたら良いんじゃないかな」
「でも、家が……」
「まだお父さんもお母さんも元気だし、なるようになるんじゃないかな? わたしにはわたしの人生があって、お姉ちゃんもそうなんだよね。貴族に生まれたからって、夢を捨てることはないと思う」
「そんな無責任な」
「責任とか、最初から無いんだよ。王都でも色々あったけれど、人は自分が選んだことに責任は取らないといけないけれど、そうじゃないことなんて『知らないよ』って言っちゃえばいいんだよ」
「あんたねぇ……」
大きなため息を吐いたオルタンスは、コレットの肩を借りてベッドから立ち上がった。
少し痛みはあるが、処置が早く傷口も小さかったお蔭でそこまで酷いわけではない。
薬が効いて少し倦怠感がある程度だ。
「……わかった。私もしばらくは好きにさせてもらうから。そうね……三年経ったら、また話し合いましょう。その時には、私はもっと昇進しているわよ」
「うん。わたしも自慢できる成果を見せるよ。必ず」
コレットが言う成果が何か、オルタンスは少し考えたが前から言っていた『紀行文』のことだろうとは思いつつ、気になっていたことをこの際だからと口に出してみる。
「……小さな花嫁をもらいましたって話にならないでしょうね」
「どっちかといえば、彼女の方がお婿さんな感じがするんだけれど」
冗談のようにも取れる答えにオルタンスは口をへの字にして考えていたが、それ以上は突っ込むのを止めた。
「行こうか。みんな待ってる」
少しだけ自分より背が高いオルタンスを支えて、コレットは半歩だけ先を歩く。
「正直、行きたくないんだけれど。何よ神輿って……」
「表に用意されてるのを見たよ。まあ、そうだねぇ……見てのお楽しみで」
「不安が募るわ……」
そんな会話に、ヴィーと代官はドアの前で聞き耳を立てていた。
「二人の問題は落ち着いたようですな」
「そがんごたっね。それにしても、見事な処置ばしといなった。矢傷の治療てん、どこで憶えたとですか?」
「はは。地方回りが多い仕事なものでしてな。意図せず戦場に放り込まれることも幾度か……昔の、まだ不安定な地域が多かった頃の話ですがね」
言葉にはしなかったが、ヴィーは代官の目の色に自慢ではなく憂いが漂っているのを見た。
今回は本格的な衝突には至らなかったが、最終的に地方反乱として制圧することになった例は決して少なくはないことをヴィーも知っている。
そんな現場にいたであろう代官は、上司や部下を幾人失っただろうか。
「今回は、あなたが居て良かった。感謝する」
「いやいや、むしろおいのせいで迷惑ばかけてしもうたけん」
互いに頭を下げて、代官はこれで一段落だと告げた。
「部下と町の人々、若い人たちが皆自分の道を改めて進めることになったのは、実に喜ばしいことですな」
ボドワンやパメラらの首謀者と、エンゾたちのように最後までヴィーの勧告に従わなかった者たちには処罰が下される予定になっている。
しかし奇跡的に死者が出なかったことと、代官が若者たちに可能性を残したいと願ったことで、沙汰はかなり軽いものとなる予定で、対象となる彼らは今、治療しながら拘禁されている。
「それにしても……あなたは出てくる必要が無かったのでは?」
「女性が着替ゆっとやけん……ああ、そうやった、そうやった」
頭を掻いて、ヴィーは恥ずかしそうに視線を落とした。
「まあ、姉妹水入らずで話したかったろうけん、そいで良かでしょう。代官殿の言うごと、町の若っかとが救われた。おいにはそいで充分。重畳、重畳」
神輿を用意せねば、と逃げるように去っていくヴィーを見送り、代官はにやりと笑った。
「どちらかといえば婿、とはね。どうやら彼女にも秘密が色々とあるようだ」
代官はしかし、王命でもなければ追及はしないつもりだった。彼女の何かを覗き込むことで、誰かが幸せになるとは思えなかったからだ。
「彼女は面白い。いずれもっと面白いことをやってくれるであろう。それを楽しみにしていようか」
大きな問題が終わった今、代官は伯爵領の調査がこのままつつがなく進むだろうことを確信していた。
あとは王国の判断次第であり、彼の知ったことではない。
「自由か。引退したら、私も自由とやらを楽しんでみるとしようか」
以前に赴任した地を巡るのも良いし、行ったことが無い土地を見るのも良いかも知れない。
代官は若者のように期待で胸が膨らむのを心地良く感じていた。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。




